所詮道具は道具。
 愛されるなんておこがましい。
 ただ戦うことだけを考えれば良い。
 他に考えることなんて許しはしない。
 おまえは道具、武器なのだから。



「っは」
 布団をはねのけ、上半身を起こす。
 悪夢に起こされるなんて。
 動悸が激しく、汗も大量に噴き出て寒いくらい。
 もう忘れたと思っていたのに。
 もう過去のことだと思っていたのに。
 消えてくれはしないのか、この傷は……。
 未だに収まらない動悸。
 いい加減に慣れろ。
 なんてことはない。
 胸を押さえて、縮こまって、深い呼吸を繰り返して。
 気持ちを落ち着けた。
 ようやく周りが見えてくる。
 ここは灯台の町の宿。他のベットには怒濤の旅路を共にした仲間たちが眠っている。
 あの辛い日々は昔のことなのだ。
 今、僕は、道具では、ない。
 ただそれだけを確かめたかった。
 しかし、どうすればそんなことを確かめられる?
 気持ちをリセットするために一人部屋を出て、外の空気を吸うことにした。
 いつもと同じようにすればいい。もう道具なんかじゃないと、みんなが教えてくれたから。僕といると楽しい、って言ってくれたから。
 誰もいない町は心地よかった。
 モフモフのみんなや、セネルさんたちといる賑やかな時も楽しいが、こういう静かな時間も自分にはまだまだ必要なんだと実感する。
 そうでないと、この傷を隠すことができないから。
 空を見上げれば、雲一つない満月の浮かぶ綺麗な夜空。
 目を閉じれば、音一つないこの空間にとけ込みそうになる。
 しばらくこの世界と一体になったような感覚を感じていた。
 僕個人が僕として存在することの証明にはならないけれど、存在しても良いんだと言われているようで心地が良い。
 しかし、その穏やかな時間はすぐに途切れることになった。
「こんな遅くに、どがぁしたんじゃ?」
 突然響く脳天気な声。
 モーゼスさん、か。
 いつの間にか真後ろにいたらしい。彼の方を、いつものような顔をして振り返る。
「モーゼスさんこそ、珍しいですね。こんな夜更けまで起きていられるなんて」
 早寝早起きが信条であるような生活をしている彼にとって、今の時間はとっくに夢の中のはずなのだ。
 子どものようだ、と言外に含ませたのだが、気づいていないらしい。
「ちょっとな、ワイにも考えたりすることがあるっちゅーことじゃ」
 そう言って、遠くを見るように満月を見上げる。釣られるように、僕も空を仰ぐ。
 先ほどまで見ていた月はろね静かで何も語ろうとしないように見えたというのに、なぜだろう。
 モーゼスさんの横で見ると、野生の力に溢れた、力強い物に見える。月だけではない。周りすべての物が、一気にそれぞれの輝きを見せた、そんな感じだった。
 その力に圧倒され、窮してしまった。
「…………そうですか」
「なんじゃ、いつもなら『モーゼスさんみたいな人でも悩みがあるんですね』とか言いそうなもんを」
「ちょっと、今は……不調なんですよ」
「ほぉか。なら早く帰って寝え。夜更かしなんかするからじゃ」
 夜更かし、って。
 そんな子どもじゃないんだから。
 この時間なんてまだまだ起きていても平気だっていうのに。
「モーゼスさんは……、モーゼスさんですね」
 どんなときでも変わらず、自分という物を揺るがせない。
 そんな、ある種尊敬の意を込めての言葉だったのに、
「はぁ?今更何言うとんじゃ?」
 思いっきり呆れたような返答をされてしまった。
「別に、そのままの意味ですよ」
 ここで真意なんて話せる物か。
 なにも説明しないままなのでモーゼスさんは肩をすくめて諦めて言った。
「わからんやつじゃなぁ。
 ワイはまだそこらぶらついてから戻るから、さっさと寝えよ」
 そして背を向けて去っていった。
 ……去っていってしまう。
 モーゼスさんが行ってしまったら、きっとまた戻ってしまう。
 全てか一つの物であるかのような静かな世界に。
 僕という存在が、埋もれて消えてしまいそうな世界に。
 先ほどまではそれが心地よかったというのに、急に恐ろしく感じた。
「モーゼスさんっ!」
 反射だったのかもしれない。
 自分の中の恐怖を感じ取ってすぐに、モーゼスさんを呼び止めていた。
「?
 どうかしたんか?」
 呼び止めてしまってから軽く後悔した。
 この先どう言葉を綴れば良いんだろう。
 『そばにいてください』?
 『着いていきます』?
 とてもじゃないが、そんなこと言えない。
 じゃぁ、じゃぁ……。
「僕の……」
「うん?」
「僕の名前を呼んでくれませんか?」
 言ってしまってからまた後悔。
 顔に血液が上っていくのが分かる。
 なんてことを言ってしまったのだろう。しかも意味不明なことを。
「すいません、ちょっと、今の取り消し……」
「ジェイ?」
 …………。
 訂正を入れようとした途中で呟かれた声に、僕の機能の全てが止まった。
 先ほどとは違う動悸が、波のように襲う。
 初めて、だ。
 まともに、この人に名前を呼んでもらえたのは。
 驚きと喜びの混ざった感情が渦のように僕の中を駆けめぐる。
「ほんとにどうしたいうんじゃ?
 相当まいっちょるみたいじゃなぁ」
「はい、いえ。そんなことはないん、ですけど……」
 恥ずかしくて顔を上げられない。
 どうしろというんだ、この感情の嵐を。
 顔から火が出そうなほどに暑い。
 自分の中の変化に気を取られすぎてモーゼスさんが近くに来たことなんて気づかなかった。
「悪いことは忘れるんに限る。はよぅ忘れ」
 幼い子どもにするように、僕のことを抱きしめて頭を撫でる。
 突然すぎるこの行動に、僕の体は固まってしまった。
 こんなの、慣れてない。
 どうすればいいか、分からない。
 でも心地良い。
 彼の体温が、伝わってくる。
 普段は触れることなど到底ない、彼の肌。
 背中に、おずおずと手を伸ばして予想よりもずっと細い腰を抱きしめ返す。
 そうすることでより彼を感じることができた。
 そして自分のことも。
 こんなに動揺して、自分を慰めてくれる目の前の相手を愛おしく思っている自分を。
 なんだ。
 やっぱり僕は道具なんかじゃ、ない。
 だってこんなにも人を愛おしく思う気持ちがあるのだから。
 彼の体温は、僕を僕として認めてくれていることを語っている。
 道具なんかじゃ、ないんだ。

 

「……ジェー坊?」
 すっかり黙ってしまったジェイに声をかける。
 もしかして眠ってしまったのだろうか。
 返事は尚返ってこない。
「ジェー坊、寝たんか?」
 もう一度モーゼスが声をかけると、背中に回っていたジェイの手が動いた。
「ウヒャッ」
 擽るように背筋を撫でたのだ。
 思いもがけない攻撃に、モーゼスは素っ頓狂な声を上げてしまった。
「あれ、モーゼスさんって、案外擽りとかに弱いんですね」
 ケロリとした顔でジェイがモーゼスを見上げている。
「ワレェ……。今までの態度とえらい違いじゃのぅ」
「そうですか?僕はいつもこうですよ」
「落ち込んじょると思って慰めた、ゆーんにこの仕打ちか」
 一気に機嫌が悪くなったモーゼスの声に、ジェイが笑う。
「いいえ、こう言うのも悔しいですけれど、助かりました。ありがとうございます」
 素直すぎるお礼の言葉に、今度はモーゼスが言葉を失う。
 マジマジとジェイの顔をのぞき込んで、
「やけに、素直じゃのう……。雨でも降らす気か?」
「そんな天候を操る能力は人間にはありませんよ。
 それより僕は戻りますけど、モーゼスさんも一緒に行きませんか?」
「……そうじゃな、今日はもう寝るとしようかのぅ」」
 しばらくの逡巡の後、モーゼスはジェイに手を伸ばした。
「……なんですか?この手」
「手でもつないじゃろか、と思うてな」
 いつものように振り払われることを予想しながらも差し出してみる。
 ジェイは驚いたように目を見開いて、モーゼスを見やる。
 間をしばらくおいて、手を握った。
「お手々つないで、って子どもじゃないんですから……」
「ワレは十分ガキじゃ」
「でも、たまになら、いいですね」
 軽口をたたきながら満月の下、ジェイとモーゼスは手を繋いで帰った。
 ジェイの、どこか満たされたような笑顔と共に。