雨が、冷たく頬を打つ。肩を、背を、足を。
 衝撃と絶望。
 それを助長するように、この身を強かに打つ。
 信じていたモノはこの世にあらず、信じたかったモノは裏切った。
 守れると驕った己が恨めしい。
 大いなる存在は、仕方のないことだ、と自分を諫めた。
 心奥では怒りを感じていただろう。しかし、復讐という刃を持つことはしなかった。それは消された存在が望まないことだから、と。
 自分は、その意志に従おう。
 だが鬱々と燻る感情は消えない。
 自らが、あの下劣な行為をしたモノと同じだと思いたくない。
 望んだ通り、大いなる存在達は自分を受け入れてくれた。
 人から離れて始祖の隷長と過ごすことを。
 この人里とも、今日で最後となるだろう。
 騎士として、人のためと思ったことが仇を成した。
 大切な存在を奪っていった。
 怒りを感じるなと言う方が無理なのだ。
 ああ――憎い―――。
 雨粒に吸い取られる熱が、人としての生が、このまま潰えてしまえばいい―――。
 道の隅に置かれた木箱に腰掛ける。
 雨は強く、降り注いでいた。





 ふと、熱を奪う水が遮られる。
 まだ辺りは暗い。
 どんよりとした雨雲が空を覆う中、雨が止んだわけではなさそうだ。
 どうしたことかと辺りを見回すと傘が捧げられていた。
 その柄を視線でたどると金の輝きが目に入る。
「風邪、引きますよ」
 小さな少年が、傘を差しだしていた。
 眉尻の下がったその表情は物憂げに見える。
「ずぶ濡れです」
 その言葉で、彼にそんな顔をさせているのが自分なのだと気づく。
 …………一体なんだと言うんだ。放って置いてくれ。
 哀れみを人から向けられるなんて、ごめんだ。
 視線を落とし、少年を視界から追いやる。
 何も言わねば、何もしなければ、飽きてどこへとでも行くだろう。子どもというのは何にでも興味を示し、すぐに飽きる。ただ自分を気に掛けたのも少年の気まぐれだ。
 そう思った。
 しかしその認識は間違っていたようで、いつまで経っても雨が降り注いでくることはなかった。
 まるで晴れた日の空の色のように、蒼い傘が差し掛けられている。
 止めろ、と声を掛けようとし、少年に再び視線を戻すと、彼は体を濡らしていた。
 当然だ。傘に他人を入れようとすれば、一人は傘の中には入れない。元々傘というのは一人用で、しかも彼が持っているのは子供用の小さい物だった。
 目が合うと、今度は笑いかけられた。
 幼いその容貌には、まるで自分を慈しむような、柔らかい表情が浮かんでいた。
 それに戸惑いを覚える。
 少年の外見から察する年齢にしては、大人びた様子が見られた。
「…………濡れるぞ」
「貴方の方が濡れてます」
 止めろ、と強く拒絶すれば、さすがに少年も立ち去ったかもしれない。
 しかし真っ直ぐに自分を見る目に、その言葉は飲み込まれた。
 戦の時、このように自分を見た者がいただろうか。いや……、いるにはいた。ただその存在が自分から遠のいたのだ。だからまだ十をいくらか過ぎたくらいであろう少年の存在を珍しく感じ、拒絶する言葉が紡がれなかった。
「それに、こんなときに冷たい雨に当たっちゃダメだ」
 蒼い目がジッと覗き込む。
 何かを、見通すような言葉とその透明な輝きに少々気圧される。
「…………お前には関係がない」
 何も知らないお前に、そんな小言を言われる筋合いはない。
 ようやく傘を押し返す。
 とたんに身に振る冷たい滴。僅かに熱を取り戻した体はまた冷たくなる。しかし先ほどまでそれが心地よかったはずなのに、痛みを感じる。
「知らないからこそ、言うんです。
 悲しい時は自分に辛く当たってはいけない」
 遮られる雨粒。
 パタパタと傘を打つ音が不規則に続いた。
 どれだけの時間が流れただろう。
 しかし視線が外れることはない。
 ただただ、真っ直ぐに射抜かれる。
「…………傘、あげます」
 手を取られ、傘の柄を握らされる。
 自分の物より小さく細い手は冷えていた。
「貴方が何に苦しんで悲しんでいるのかは分からないけれど、慰める事なんて僕にはできないけれど…、雨から守ることならこの傘でもできるから」
 笑顔でそう言うと、少年はようやく視線を外した。
 水たまりの水を跳ねさせきびすを返し立ち去ろうとする。
「お前はどうする?」
 握らされた傘を少し上に掲げ、呼び止めてしまった。少年は坂を指さして笑った。
「家が近いから」
 この下には確か下町があるはず。そこの住人なのだろう。
「…………送ろう」
「え?」
 きょとん、と蒼い目を見開く様子は、ようやく子どもらしさを見せた。
 よっぽど予想外の言葉だったのだろう。
 私自身も、十分予測できかねる行動だった。
 たった今出会ったばかりの少年にこんな事を言うなんて。大切な存在を奪った人間、その種族全てを呪っていたところだったというのに。ただ、この少年が、エルシフルを殺した者達とは全く別なのだと言うことだけが目の前にある事実だ。
 自分の欲のためではなく動くことのできる少年を、この短時間で好ましい物として捉えていた。
「傘を貰うかわりに……」
 ようやく立ち上がる。
 どれだけ雨に打たれていたのか、忘れてしまった。
 まだ淀む感情が消えたわけではない。
「お前……名前は?」
「……フレン」
 ただ、雨を遮る物があることに少しばかり感謝するだけ。
 それだけなのだ、と自分に言い聞かせて少年……フレンを抱き上げる。こうでもしなければ傘には収まらないから。

 

 雨が遮られる。
 ああ、傘はこんなにも暖かな物だったか。
 ああ、人間とは、暖かい存在だったか。
 抱え上げた少年は、雨に濡れていながらも熱く感じられた……。
 





   ………………………………………………………………………………