部屋に備え付けてある蛇口を捻り、溜めた水にタオルをくぐらせる。
温くなったそれは水の中に熱を吐き出し、ひんやりとした冷たさを生んだ。
しかし、すぐにまた温くなるだろう。
タオルが乗せられた、ベッドに横たわる男の額はそれほどの熱を発していた。
「無理しすぎだっつうの」
いっそタオルをたたきつけてやりたい気分だが、聞こえてくる息づかいに手を止めておく。
ユーリはそっとベッドの主の額に冷えたタオルを置き、深々とため息を吐いた。
ベッドの主であり、この部屋の主であるフレンは熱に浮かされて赤いくせに血の気の引いた顔をしている。
たまたま窓から入り込んだところ、フレンは部屋の本来の入り口である扉を背に座り込んでいた。一体どうしたのか、と名を呼びながら近づくと不明瞭な声が返ってきた。
「ユゥ…リ?」
微かな声。僅かに上げられた顔には玉粒の汗がいくつも浮かんでいた。明らかに分かる、彼の不調。
「どうした?」
「いや……ちょっと風邪をこじらせたみたいだ」
ちょっとというレベルではないのはこの薄暗い中でも分かるというのに、フレンはニコリと笑って見せた。
「おまえ、動けなくなってるくせに俺にまで見栄張るなよ」
部屋に戻ったとたん動けなくなったというのは推察しやすい状況だった。
未だ鎧を身に纏い、小手すら外していないのに膝を抱え腕に頭を押しつけて扉のすぐ前でうずくまっている。
しかし、昼間町で見かけた時は平然といつもの通りに任務という名の町の雑用に明け暮れていた。その様子は至って普通。笑顔で皆とふれあい、一つ一つ頼まれ事を片づけていった。
フレンの意志の強さ故、だったのだろう。
体調が悪くても、完璧にそれを隠してみせる。
まんまと騙されてしまったのだ、つきあいの長い下町の連中も、俺も。
「動けるか。鎧外すぞ」
「…だいじょうぶ、かまわないで」
「殴るぞ」
尚も見栄を張ろうとする姿に、計らず低い声が出た。実際に一発軽く頭をはたいてやる。
「…………いたいよ、ゆーり」
口調が怪しくなっている。意識が朦朧としてきたのだろう。触ったフレンの肌は、随分と熱かった。
「一人で立ってどうするんだ。少しは頼れ」
「……うん」
返事が小さく返ってきたのを聞き止めて、鎧を外してやる。アンダーも、汗を吸って重い。着替えさせなければならないだろう。しかし、脱力したフレンを支えながらクローゼットまで着替えを取りに行くのは億劫だ。しかたなく、鎧だけ外した騎士服のままベッドまで運ぶことにする。
立ち上がらせても、足の動く気配がしない。
……症状がひどいのか、それとも自分を頼る気になって気が抜けたのか。どうか後者だと願いたい。
横抱きに抱え上げる。身長は全く同じなのにこうして抱え上げられるほど、フレンは意外にも思われるかも知れないが華奢なのだ(俺自身も筋肉隆々でもないので何とも言えないが)
そっとベッドに乗せると小さな声が聞こえた。
「しわになる……」
「そんくらい我慢しろよ」
減らず口をたたけるくらいは力が残っているらしい。それに少し安心してクローゼットを開けると、ほとんど服はなかった。私服を持っていても任務に明け暮れて着る機会がないからあまり増えないのだろう。そんな中、誰かから貰ったであろう、華美な装飾の服もあったりする物だから、部屋着になりそうな物を探すのに少し苦労する。ようやく白の上着と黒のズボンを見つける事ができた。
「着替えるぞ」
「……やる」
自分で着替える、と言いたかったのだろう。しかし、できそうには見えない。
「いいから」
「ゆーりがすると、よけいなことしそう」
「うるさい、病人相手にゃ何もしねぇよ」
チャックを下げて上着から腕を抜き、頭を通す。言葉では抵抗していた物の、されるがままになるフレンは苦しそうにしている。着替えの際覗く素肌がまぶしかったが、自分でも言ったとおりフレンは病人だ。何をすることもできやしない。汗を拭ってやり、新しい服を着せる。
「とにかく寝ろ。薬は……この部屋にゃなさそうだな。飯は食べられればいいけど無理だろ?次起きた時に食え」
「…うん、ありがと……」
頭を撫でると、気持ちよさそうにすり寄ってくる。やはり常温である俺の手が冷たく感じるくらいに熱いのだろう。
そのまるで子どものような仕草に、離れることもできず頭を撫でていると程なく寝息が聞こえてきた。
さすがに、ずっと頭を撫でているわけにもいかないので、室内に設置された洗面台の水で冷やしたタオルを乗せていたのだが、どうにもすぐ温くなってしまう。
疲労から来るものだろうか。
いつもいつも自分の身を顧みずに無茶を続けるフレンのことだ、その可能性は大いにある。
何度目になるか、タオルを水にくぐらせてため息を吐く。
「帰るに帰れねぇな…」
きっとこの調子でも、部下の前ではまた立ち上がるだろう。そして任務に就こうとするのだ。
こうして倒れて弱みをみせるのは自分の前だから、とわかり少し優越感も生まれるが、逆にこの堅物人間を休ませることのできる者が少ないのには辟易してしまう。どうにかしなければいけない、自分はこの城の一角にある部屋に留まれないから。とりあえず、この夜は付いているとしても、日が昇る前に抜け出さないと人目に付きやすくなってしまう。撒けばいいだけの話ではあるが、身元もすっかり割れているためいちいちデコボココンビが牢にぶち込みにやってくるのだ。ご苦労なことだ。
汗で頬に張り付いた髪を払ってやる。些細な接触では目を覚ますこともない。しかし、感触はあるようで身じろぎしている。甘えるようにすり寄ってきたり…。
「あ〜……、病人病人」
呪文のように唱える。
熱に浮かされる肌は、目に悪い。苦しそうな吐息は、耳に悪い。自分に無防備な面をみせるフレンは、理性に悪い。
だが、さすがにこんな状態の時に手を出してしまったら口をきいて貰えなくなりそうだ。
ペシペシと自分の頬を叩く。
この状況で必要な物は何だ?理性……じゃなくて、我慢強さ……でもなくて、
「薬か」
ようやくまともな答えを導き出す。
とは言え、自宅にも薬を常備などしていない。城の中に知り合いはあまりいないが、兵の寄宿舎ならまた別だ。もと同期の誰かしらが薬くらい持ってるだろう。一応風邪薬くらいを気休めに飲ませて、受診させよう。そうなるとなにか簡単な食い物も必要か?
指折り必要そうな物を考えていると自分を呼ぶ声が聞こえた。
「ゆーり」
かすれた声。
「起きたのか?どうだ、調子は」
「ぐらぐら…してる」
あまり状況は改善されていないようだ。
ギュッと目を瞑る様子は辛そうだ。
「薬貰ってきてやるから、もう少し寝てろ」
その力の入った目頭に指を乗せてほぐしてやる。
「ゆーり」
手がそっと伸びてくる。
緩慢な動きを目に止めながら、ベッドに押し戻すことができなかった。熱いフレンの手が俺の手を捉える。その熱さにめまいがしそうだ。
「…………すぐ戻ってくる」
「ゆーり」
「…………おとなしく待ってろ、な?」
ただ俺の名を繰り返し呼ぶフレンは、熱に浮かされ不安なのだろう。子どもに言い聞かせるように、ゆっくりと言えば僅かながらフレンの手に力がこもる。
「いかないで」
「…………」
薬を飲ませなければならない。
どうせなら氷枕も用意して、軟らかい食べ物もすぐ近くに置いて、暖かさが逃げないようもう一枚くらい毛布も掛けてやって。
いろいろ考えが巡る。
しかし。
「ゆー…り」
この懇願する声に勝てるはずもない。
考えていたことを怠れば、フレンが長く苦しむことも分かっているのだが、せめてもう一度眠るまでは。
「わかった、このままいてやる。だけど、寝ろ。それが条件だ」
「うん……ありがとう」
ニコリと、苦しいながらも嬉しそうに笑ったフレンの顔と、手の熱さに、俺もめまいを覚えた。
なんなんだ、この可愛い生き物は!
空いている方の手で頭を抱える。
「ゆーりも、ぐあい…わるいのか?」
「ちげぇよ……」
俺の行動を心配したフレンがもう一方の手を出す。熱を測ろうと俺の額に手を伸ばそうとしているらしいのだが、熱を出してるヤツの体温で計られたら低いに決まっている。顔に血が上った俺の顔ですら。
潤んだ目が、見上げてくる。
ああ――もうどうにでもなれ。
薄く開かれた唇にキスを落とす。ちゃんと理性も働いてくれたので、触れるだけ。
俺の行動に驚いたようで、虚ろな瞳を開いているフレンは眉を寄せる。
「うつる……」
「おーおー、うつせば治るぜ。もう一回してやろうか?」
了承を得ぬまま、額に乗せたタオルを寄せてこめかみにもう一つキス。
「…………ばか」
舌っ足らずな口にももう一つ。
これで治るなんて思ってはいないが、良いだろう?民間療法だ。
薬をもらいに行くのは、もう少し後で。
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