トンと背中に壁が当たる。
フレンはその感覚に恐怖を覚えた。
戦闘であれば背後からの攻撃があり得ないという利点があるが、この状況では逃げ場を失ったという難点しか残らない。壁を背にしただけでなく、左右はある人物の腕によってふさがれ、どうにも動けそうにない。
「これは、一体どういう事でしょうか」
逃げ場を奪い、体に触れることなく己を拘束する者に視線を戻す。フレンの目の前には白い髪を揺らし全身から威圧感を発する男がいた。低く、笑う男が。
「頭の良い男だと思ったんだが、買いかぶりだったかね?」
男はフレンの髪に手を伸ばし、ゆるゆると梳く。細い金糸は絡まることなく指を通っていった。
肌に触れるか触れないかの手の動き。
フレンは細く息を吸い、震える体を叱咤する。弱みをみせたら負けなのだ。
「賛辞はありがたく頂戴致します。ですがそれとこれとは話が別です」
フレンの髪を弄んでいた手が頬へと伸び、そのすべらかな肌をなぞる。炎天下で剣を振るっているはずのその肌は白い。日に焼けにくい体質なのだろう。直接肌に触れたことでピクリと体を揺らす。それでいながら形の良い唇からこぼれるのは強かな言葉。
そのアンバランスさは心をくすぐる。
男――アレクセイは部下であるフレンの反応を楽しんでいた。
彼は何をするのか問いながら理解している。逸らそうとする顎に手を掛け、親指で押さえつけながら人差し指で唇をなぞる。乾いているのは、緊張故だろうか。
ああ、彼はこの手の経験は少なそうだ。その外見とは裏腹に。それがまた一層楽しみを増幅させる。
「私の言葉に逆らうと?」
低く耳元で囁く、脅しの意味を持つ言葉。フレンは将来有望とされながらも騎士の一員でしかなく、アレクセイは騎士団の頂点に立つ男だった。
「騎士としての任なら、従います。しかしこれは私事ではないですか」
夜に呼び出し、柔らかな拘束をし、体に触れる。直接的な言葉で言われたわけではない。しかし要求されたことは浅ましい低俗の類。何の利益も生み出さない行為である。
フレンは地位が随分上であるアレクセイを睨み上げた。
噂には聞いていた。権力者がその力を振りかざして人を弄ぶことがある、と。しかし実際身近にそんな人物はいなかったし、今目の前を覆う男がそんなことをするだなんて聞いたこともなかった。ましてや自分がその餌食となり得るだなんて思いもしなかった。いっそ夢か幻と思いたかった。
「そうか?では、任務だと言ったら?」
手が内腿に伸びる。小隊長の下半身の鎧は膝より下を覆うブーツだけだ。丈夫に作られているとは言えたかが布、身を守るには心許ない。
きわどい部位をまさぐられては、立場も何もあった物ではない。フレンは目の前の男に腕を立てて距離を測ろうとするが、騎士団長の地位を長年守り続けている男は力を込めても微動だにしない。
それに一層の恐怖を覚える。腕を振り上げれば、頭上で絡め取られ一括りに締め上げられる。蹴り上げようとすれば、男の足が壁に押しつける。
壁に拘束された。
「やめ…!ひぅ……っ」
抵抗など物ともせずに上へ這い上がった手はフレン自身を握り込む。
制止する声は強い感覚に塞き止められた。
「フレン・シーフォ、これは今お前に与えられた任だ。おとなしく受け入れるがいい」
冷静ととれる熱を感じさせない声とは逆に、その手は性急に快楽を引きずり出そうとしている。布越しの、愛撫とは言い難い強引すぎる動きに息が乱れていった。
「ふぁ…っんっっぁ」
不本意すぎる声を漏らしてしまうことに、羞恥と怒りで顔が熱くなる。
「こ……っんな、内容の任務など……んっっ、聞いた、ことがありませんっ」
あってたまるものか、こんな任務。
フレンは尚も執拗に攻めるアレクセイを睨み上げて叫ぶ。
その自分の表情がどんな物か、フレン自身は見ることができない。襲う強い快楽ににじむ涙、溶け始めた瞳、それと反比例してけして自分の意見を曲げようとしない強い意志。欲望の波に曝されながら高潔、とさえ言えるその態度。
――それを踏み荒らすのはどんなに楽しいだろう。
アレクセイは口角を上げてその唇に笑みを浮かべた。
「内容がどんな物であれ、上の者には従うのが騎士だろう?」
「……っ」
確かに、軍では規律がなによりも重視される。個々の意志ではなく全体の動きこそに価値があるのだ。この行為には全く軍という組織は関係がない。しかし、軍に所属する上司と部下という関係は実在するのだ。
その考えに至って、フレンは再度、全身から血が引いたような感覚を覚えた。
「ですが……っ!……うぅっ」
尚も反論しようとした口に指が差し込まれる。言葉を発することは許さない、とばかりに強く内部を押される。
「さぁ、命令に逆らう罪は重い。懺悔の言葉は決まったかね?」
耳元で低く囁いた口はそのまま、強くフレンの耳に噛みついた。
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