「trick or trick?」
突き出された手は立派な成人男性の物だった。それはもうこれ以上疑いのないほど。
無言で叩き落とそうとすると、その反応さえ予測していたようでサッと避けられる。
その反射神経は褒めたいくらいであるのだけれども、フレンは眉を寄せてため息を吐いた。
「今日はハロウィンだね」
「だから、trick or trick?」
一度叩こうとすることで拒否する姿勢を取った言うのに、未だに手を出すユーリは楽しそうな表情を浮かべているのだ。
「ユーリ……」
再度手を振りかざすと、やはり逃げていく。上げた右手を下げると、また手を出される。その繰り返しだ。
「君、しつこい」
「trick or trick?」
その文句ばかりを繰り返す。
そんなユーリの衣装は頭の上に角を生やして黒い衣装に身を包んだ、大魔王の姿だった。たしか、劇の手伝いをして貰ったとか。
ここ、オルニオンでも仮装をしている子どもはいた。しかし、ユーリのしているような本格的な衣装を着ている者は少なかった。設立から時間の経っていないこの街ではなかなか祭りまで手が回らず、簡単な仮装。それでも、活気溢れる町の様子を伺わせるように、仕事の合間に作られた衣装を纏った子ども達は可愛らしくお菓子をねだって回っていた。もちろん、フレンも菓子を用意している。
子どもが元気な街は、街自体も元気な証拠だ。
その楽しみの片棒を担げたら、と焼き菓子を作ったのだ(ソディア監視の元レシピを見ながら)。
だけども。
「ユーリにあげるものはないよ」
左手に持った籠を見せるようにしながら引き寄せる。
「ケチだな」
肩を竦めながらも、残念そうな気配を全く見せないユーリはようやく手を下げた。
無意味なやりとりを終えた事にもう一度ため息を吐く。
「貰う気すらないだろう?『悪戯』か『悪戯』なんて選択肢」
「まあな」
本来なら、trick or treat?、お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ!
ユーリが言っていたのでは悪戯をしてやる、という宣言にしかならない。
「くれないだろう、って分かってたし」
「なら初めから言わなければいいだろう」
「この街でやってるならたまには乗ったって良いだろう?せっかくのイベントだ」
「子どもの楽しみを奪うわけにはいかない」
「じゃあtrick or trick」
「君は大人」
「大人な悪戯するべきか?」
正当性のありすぎる指摘をしてやれば口をゆがめて笑い、ことさらゆっくりと手を伸ばしてくる。その意図するところが分かりやすすぎる顔に問答無用で拳を振る。
「却下」
「手を出す前に言えよ……」
「避けられる人の反論は聞かないよ。暇ならお菓子を作ってくれないか?」
こんなやりとりができるくらいなのだ、手漉きなのだろう。休みがてらにこの街に寄っているのは分かっているのだけれども、イベントを楽しみたいと思ってくれているなら菓子作りを任せたい。なにせユーリは料理が得意だ。本人は必要最低限、なんて言うけどそんな人物が菓子作りをマスターしているなんて不思議な話。一度懲り出すと止まらないのと、ユーリ自身が甘党なのも手伝ってどんな菓子でも一通り作る事ができる。楽しんで作るお菓子は下町でも好評だった。
「材料があるならいくらでも作ってやるぜ?」
物資は調ってきているのだ、不足する物はほとんど無いだろう。それを承知しているユーリは了承しているのだ。ただ彼の性格上正直に「作る」と言えないものだから条件を提示する。
その言葉回しに思わず笑ってしまう。
「じゃあ、trick or treat?」
「大人は駄目だったんじゃないのかよ」
そう言いながら楽しげに笑っている。
「選択肢がちゃんとあるだけましだと思うけど?」
「へーへー、そうでございますね」
「どっちを選ぶんだい?」
「『悪戯』か『ご馳走』?」
ふむ、とわざとらしく考え込むような声を漏らす。
どっちを、なんて分かり切った答えを待つのは存外楽しい。こうしたやりとりをすること、どころか顔を合わせる機会がグッと減った分、楽しむ余地が大きくなっている。ユーリもまた、言葉遊びのようなやりとりを楽しんでいるようだ。
しかし、楽しむのはそれだけではない。
唐突に距離が縮まったと思った瞬間、音を立ててキスを落とされた。
「『ご馳走』させて頂きますよ、騎士団長代理殿?」
「……お相伴に預かります」
一瞬だけ触れた自分の唇を押さえながら答えると、嬉しそうに、子どものように笑った。悪戯が成功したような表情を少し睨む。頬が熱い。
「今のは悪戯に入るんじゃないかい?」
「ご馳走だろ」
しれっと言ってのけるユーリの言葉に肩を落とす。
「心構え次第でどっちにでもなるのか……」
「キスがご馳走だと思えるよう構えといてくれ」
「それなら悪戯を選びたい……」
「『悪戯』をご希望で?」
妙にワキワキと動く彼の利き手を抑えてぜひご馳走で、と調理場へと背中を押す。
ケラケラと笑うユーリにからかわれているのだと言うことは分かるのだけれど、彼の言う『悪戯』と言う行為がどんなことを示すのか、そしてそれを実行しようと思ったなら何処ででもやってのけるだろう事を知っているのだ。その道はなるだけ避けたい。
「じゃ、『悪戯』はまた後でな」
「…………却下」
「あ、『ご馳走』と思ってくれる?」
「…………その口、縫いつけてやろうか?」
裁縫は得意だぞ、と言えば軽く謝られた。
…………悔しいことに、顔が熱い。きっと赤くなっているだろう。額にまた一つ、キスを落とされる。どうも誤魔化されている気がしてならないが、この話題が終わるなら流されてやろう。
「んで、菓子は子どもの分作ればいいのか?」
こちらの意図をちゃんと組んでくれているユーリは食材をズラリとテーブルに並べていく。
小麦粉、バター、砂糖、ドライフルーツ…。
長方形のケーキ型を出しているところから察するにパウンドケーキを作ってくれるのだろう。生クリームを使うより日持ちもするし、ありがたい選択だ。
「うん、頼むよ。手伝うことあるかい?」
「…………じゃあ小麦粉を篩ってくれ」
「味付けは?」
「……………篩う時点で味付けは必要ないから、余計な物は混ぜるなよ」
「砂糖を入れておくとか」
そうすれば後々の作業が一つ減るのではないか、と提案すれば渋い顔をされる。
「砂糖は後で入れるから。とにかく小麦粉」
「わかった」
とにかく小麦粉だ。一度焼き菓子を作って手順を頭に入れているのだからそんなにびくつかなくたって良いだろう。すこしアレンジすることだってできるのに。
「お前の料理自体が悪戯だって」
「何か言ったかい?」
「いいや、なんでもない。早く作っちまおう」
「うん」
良い香りが漂うまで後少し。
きっとそのころには子どもが集まって言うのだ。
「trick or treat?」と。
僕ら大人は『ご馳走』を選んで子ども達に、ボクの作ったクッキーと、ユーリの作った焼きたてのケーキを振る舞い、ハロウィンを楽しむのだ。
………今年『悪戯』の出番はないようだ。
ホッと息をつくが、その『悪戯』の範疇は何処までなのか。
ユーリとの考えの違いがあることを、まだ僕は知らない……。
trick or treat?
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