たった一度会っただけだ。それなのにどうして、こうも気が惹かれるのだろう。
 デュークは左手に提げた傘をまじまじと見つめながら考えた。
 蒼い傘は水滴をこぼすことなく、綺麗に閉じられている。傘を受け取ってから、数日が経過していた。
 「また」などと再会を臭わす言葉を置いていったことを、早々にデュークは後悔していた。
「………………」
 木製の扉の前でデュークは立ちつくす。ドアをノックすることにためらいを覚えていたのだ。
 絆されてしまったとは言え、やはり人間と会うと言うことは億劫だ。これから先、けして忘れることはないだろう。裏切り行為を。それによって失われた尊い者を。しかし、口約束を交わしてしまったあの金色に見えるならば、もう二度と来ないと思った街に足を踏み入れることはできた。だが、次の段階で躓いているのだ。たかが板を叩くだけではないか。何を躊躇することがある。傘を返す、そのために来たというのに。
 そうして手を挙げたとたんに扉が開いた。
 開けたのはデュークではない。中から開けられたそれは勢いがあったため、横にずれて避ける。
 ドアノブを握っていたのはフレンではなかった。
「……あんた、誰」
 黒髪の子ども。
 訝しげな表情でデュークを上から下まで睨め付ける。
「………………」
 なんと言えばいいか思いつかなく、デュークはただ傘を差しだした。
 この家は二人で住んでいる形跡があったが、フレンは親とではなくこの子どもと共に住んでいるのか。下町の状況を垣間見たデュークは傘を返しに来て良かった、と思う。こう言っては何だが、子ども二人で暮らす、というのは経済的に大変だろう。傘一つとっても、重要な物であるだろうにフレンは簡単に譲ろうと言ってきたのだ。
「これ、フレンの?」
 蒼い傘、と言うだけでそれの持ち主が誰か分かったらしい。
 眉間に皺を寄せて傘を受け取った少年は渋い表情を見せた。
「ユーリ?誰かお客さん――っデュークさん?」
 パタパタと足音をさせて出てきたのは見覚えのある少年、フレンだった。
「傘を」
 返しに来たのだ、と黒髪の少年―ユーリの持つ傘を指さす。
 デュークの訪問に驚いているようだったフレンはその声に表情を崩す。
「わざわざありがとうございます」
 ニッコリと笑ったフレンの横では、ユーリが未だにしかめっ面でデュークを眺めていた。
「フレン、誰コイツ」
 声変わり前の少年は彼なりの低い声で問う。
 フレンの同居人であるだろう少年とデュークは一切関わっていなかったのだ。不信人物として認識されても文句は言えないだろう。
「えっと、デュークさん。雨の時、傘を……」
「あーあーあー、そう言えば隣のおばさんから聞いたな。俺のいない間に知らない人間が来てたって。
 おまえ、ホイホイ落ちてる奴拾ってくるなっていつも言ってるだろ!?」
 私は拾われたのか――?
 フレンを怒鳴る内容にデュークは少々疑問を覚えつつも、状況を振り返ってみるとそう捉えられなくもないと結論づけた。なにせ、ずぶ濡れの中傘を貰い、家でタオルまで貰ったのだ。
「そんな、デュークさんに失礼だろ!」
「いや、私は……」
「お前には前科があるの、自覚してくださいなー、フレン君!」
 デュークが口を挟む間もなく、少年二人は言い争いを始めてしまった。
「前科なんて無いよ!」
「お前……どの口がほざく」
「だって、無いもん!」
「自覚がないってのは恐ろしいよな。痛い目に遭ってからじゃ遅いんだぞ」
「いい人しか連れてこないよ」
「その判断基準はなんだっつーの」
「…………分かんない、けど」
 分は完全にユーリにあった。
 ユーリの追求に言葉尻が弱くなっている。残念ながら助け船を出せる立場にいなかったデュークは、むしろこの場を早々に立ち去った方が良いのか、と一歩下がる。
 それを見た訳ではないだろうが、フレンが声の調子を戻してデュークの名を呼んだ。
「だけど!デュークさんはいい人だ、傘持ってきてくれたんだよ!」
 喜色満面の笑みでデュークを見る。
 デュークが人と関わりたくない、と望んでいることを悟っていたフレンは来てくれただけでも嬉しい、と喜ぶのだ。
 街に来たことで、良い人と関わることができる。そうすれば、人間を憎むと言う状況を変えていけるのではないか、少しでも悲しみと苦しみにとらわれる心を癒せるのではないか、と。
 あくまで、デュークのために喜ぶ。
 そんなフレンをまぶしげに目を細めて見やるデュークに、ユーリは険しい顔をして見せた。
「…………お前、あの日熱出して寝込まなかったか?」
「それとこれとはまた別の話で……!」
 慌てた様子のフレンはユーリの口を両手で塞ぐ。抵抗はあったようだが押さえ込んでいるのは、熱を出したというフレンを気遣ってユーリが力加減をしているのだろうか。
「熱を出したのか?」
 デュークの静かな問いに、ユーリから手を離して手を振る。
「いえ、あの…たいしたことなくて、ユーリが大げさなだけなんです」
「あれでたいしたこと無いなら病院は楽で良いな」
 ハッ、と鼻で笑うユーリの言い分から、高熱だったのだろう。今の顔色も、元来の物もあるのだろうが白く見える。 
「お前は、自分のことを顧みるべきだ。幼いうちから身を投げていては命を粗末にする」
「…………そんな、つもりでは」
 俯いて視線を彷徨わせる様子からは、確かに命を粗末にする、なんて考えはないのだろうことが伺えた。そこまで考えていなかった、と言うように見える。
 それを見とったデュークは溜息を吐いた。
「何か、精の付く物を持ってくる」
「いえ、そんな!」
 気を遣うなと声を上げたフレンは二組の視線に睨まれて「うう…」小さく唸って下を向いてしまった。
「傘の礼だ」
「……俺も付き合う」
 ユーリは不機嫌な声でそう言うと立ちつくしてしまったフレンを追い抜く。
 背中越しにでもフレンがどんな顔をしているのか分かるユーリは肩から力を抜いて振りかえる。
「だから」
「フレンは」
 言葉をデュークが継ぎ
「「寝てろ」」
 二人揃って同じ事を言ったのだった。
 寝ろと命令された少年は、明らかな感情を表しながらも頷いた。
 もし耳が、尻尾がついていたなら、これ以上ないほど垂れ下がっていたことだろう。
 子犬のようなフレンが言いつけを守って床に入ることを望みながら、デュークとユーリは軽い木の扉を閉めたのだった。





 石畳を歩きとりあえず食料を調達するために歩く。先陣を切るのはデュークだった。歩幅の違いだろう。二人の間には距離が空く。
 市民外へと抜ける坂道で、一つ足音が止まった。
「こんなことでフレンの気は引けないからな」
 固い少年の声。
「どういう事だ?」
「今まで結構いたんだよ。変態野郎が」
 あいつ、注意しても聞き入れようとも…信じようともしない。
 呟くユーリの表情は少年の物とは思えないような、暗い物だった。
 たしかに、と頷く。二度会っただけだが、フレンは人の善意を信じ人間を信じていることが分かる。そんな世界であったならどんなに良いことか。しかし、世界はそうではあり得ない。中には、ユーリが危惧するような人種もいるだろう。
「フレンは俺が守る。そう、約束したんだ」
 少年の誓いは、力強く放たれる。
 デュークがそのような類の者であるなら容赦はしない、と。
「そうすると良い。あれは無茶をする性質のようだ」
 どこか、親友に似ているかもしれない。思慮深く、冷静だったエンテレケイアは世界を守るという任務を目の前にすれば危険も顧みない。そして人に心を開くのだ。
 しかし、フレンはまだ若い。
 隣に、ユーリのような人物がいるのが一番だろう。
「あんたに言われなくたって」
 ふんと鼻息荒く歩き出す。
 そんな少年の後ろ姿を見て、もうしばらく人間と関わるのも良いかも知れないと心の端で思い始めた。





 食料を大量にデュークの金で買い漁った二人が帰った時、フレンが寝ていなかったことにまた二人は盛大な溜息を吐いて叱るのだった。




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