騎士様をたたえる声はどこからでも聞こえてくるようになった。
 前任の騎士団長の影を負わされながら、それでも毅然と立つその姿は人々の希望だった。
 彼はきっと皆を救ってくれる。
 彼はきっと平和をもたらす。
 並々ならぬ期待を好意を受けていた。
 もちろん、反発する者も多い。
 騎士という者に不信を覚え何もかも否定する者。平民、しかも下町出であることを蔑む者。 
 しかし、彼はそれすらも正面から受け止めていたのだ。
 その実直な性質があるからこそ、多くの人々に受け入れられていた。
 それを嬉しく思いこそすれ、羨む事なんてなかった。
「騎士団長様だわ!」
「こっちを向いてくださ〜いっ!」
 黄色い歓声なんて気にもならない。
 だって彼はそんな物に惑わされるほど色恋沙汰に聡くないから。
「団長〜ッ一生ついていきます〜っ」
「どうぞご命令くださいっっ!」
 野太い声も受け流す。
 だって彼はそんな輩に負けるような器ではない。
「騎士様騎士様!僕大きくなったら騎士様みたいになるの!」
「おっきくなったらけっこんしてくれる?」
 子どもの夢約束なんていつの間にか忘れるものだ。些細な夢。
「…………ユーリ、顔が恐い」
 隣に座る子どもが小さく指摘する。
「ああ?」
 そんな訳がないだろう。
 疑う意味で上げた声は思いの外低かった。
「あう……」
 子ども…カロルは怯えて縮こまってしまった。
 そんなに怯えなくても良いのではないか。
 もともと愛想のある方ではないが、あれだけ一緒にいたのだ、いい加減この顔を見慣れてるだろうに。
「いつも通りの顔だろ」
「いや、眉間の皺と目つきが、恐い……」
「…………そうか?」
 グイグイと自分の眉間を伸ばしてみる。しかし、指摘されるほどではないだろう。薄い肉は力強い指に少し引っ張られる物の寄っていたようでもない。
「じ、自覚なかったんだ」
「はあ?」
 呆れた様子のカロルは溜息を吐いた。
「フレンが、みんなから好かれてるが気に入らない?」
 提示されたのは目の前の光景を指す物。
 たまたま、ギルドの雑用のような仕事を終えたカロルと二人でその現場に居合わせたのは偶然だった。
 何でも自分で動かないと気の済まない騎士団長様は魔物討伐の指揮を執って遠征に出かけていた。遠征、と言っても数日で帰ってこれるような物だったのだけれども。凱旋した所で、こうして市民達に囲まれているのだ。未だ兵達を率いているのだけれど、それもお構いなしだ。帝都の盾とまで称される青年を一目見ようとごった返している。
 それを再度横目で見やる。
 朗らかな顔で律儀に手を振って言葉を返す、気さくな青年が人々の合間から見えた。
「そんな訳ないだろ。下町の誇りだよ、あいつは」
「えっと、じゃあ……フレンが取られたみたいで怒ってる?」
「別に、今更こんなチヤホヤされたからってフレンが俺から離れるとは思えないけどな」
「…………凄い自信だね」
「自信じゃない、事実なんだ」
 一体どれだけ一緒にいると思っているのだ、と首をかしげる。
 確かに、親友でありライバル、なんて関係からまた一歩深みにはまったのは最近だけれど、だからこそ言えるのだ。フレンが俺から離れる訳がない、と。ましてや遠くから眺めているだけの奴らに取られたと思う方がどうかしている。
「……………………ごちそうさまです」
 カロルの降参の言葉を聞いて息をつく。
「んで、何が言いたいんだ?」
 少年は両手を挙げたポーズでフレンを示した。
「恐い顔してたのはヤキモチ焼いてたからかなー、と思っただけ」
「やきもち、だぁ?」
「まぁそこまで自信満々ならそんなこともないんだろうけどね」
 羨ましい、とおそらく一人の少女に想いを馳せているのだろう、カロルの言葉を反芻する。
 ヤキモチ?
 あのフレンに憧れながら結局遠いところにいる奴らに?
 誰よりも近くにいる自分が?
 それこそ、エステルや天然殿下ならいざ知らず……。
 視線を人混みに戻すと、人に囲まれながらも職務を全うしようと、城へと向かうフレンの後ろ姿を捉えることができた。
「また恐い顔してる……」
 カロルの呟きは右から左へと通り過ぎていった。





 フレンは困惑していた。平常ではあり得ない行動をしている人物に。
 ほんの一週間にも満たない留守だった。
 幸いなるかな、帝都に異常はなく出た時と同じように平穏な姿があった。
 ただ、出迎えてくれた人達の多さには驚いたが。
 別段困難な物でもなかったのだ、今回の出撃は。新人訓練、と言っても過言ではないくらいに。なのにあれほど手厚く迎えて貰って気恥ずかしいばかりだ。
 その後、状況の把握のため各隊の隊長から報告書を受け取り自室に持ち帰ったのだ。
 久しぶりの湯に浸かり、さっぱりしたところでフレンを迎えたのはユーリだった。
 すっかり暗くなった外と同じ色の服。
 相変わらず窓から忍び込むのが上手い。髪の水分をタオルに吸わせながら妙なところに感心していると、「ちょっと座れ」とベッドを示された。
「一体どうしたんだい?」
「いいから」
 有無を言わせぬ様子のユーリの指示に従い、セミダブルの大きめのベッドに腰掛けたフレンはユーリの突然の行動に身をすくませることになった。
 何を言うでもなく、ただ力の限り抱きしめられた。
 優しい抱擁ではない。きつく抱き潰すかのような力だ。
「ユ、ユーリ…?どうしたんだ、くるしいっ」
 抗議の声も届いていないようだ。
 フレンがバタバタと動かすできるところ(全身を腕の中に閉じこめられているため首ぐらいな物だが)を精一杯動かす。
 フレンがそうであるように、ユーリもまたパワータイプの、熟練した剣士だ。力はかなり強い。
 それこそ、背骨が悲鳴を上げそうなほどに抱かれてフレンは息を詰まらせた。
「〜〜〜〜〜っっっ」
 腕も抱え込まれているため使い物にならない。ならば。
 ゴッ
「いっ……てぇ」
 至近距離からまともにくらった頭突きに、ユーリの力が反射的に抜ける。
 それを見逃さずフレンはユーリを押し返した。
 ようやく思うように息ができるようになると、それがまた上手く肺まで入らず咳き込んでしまう。
「なにすんだ」
 赤くなったこめかみを抑えながらユーリが低く唸ると、それ以上の剣幕でフレンが睨み上げる。
「それはこっちの台詞だよ!突然苦しいじゃないか!」
「……ああ、悪い」
 さすがにやったことに自覚はあるのだろう。苦しさのため涙目になっているフレンを宥めるようにポンポンとその頭を撫でる。
「…………反省してるのかい?」
「してる。悪かった」
「…………なら、いい。でも一体どうしたんだ?」
 何も言わずに力の限り抱きしめる、そんな行動を今まで取られたことのないフレンはユーリの顔を覗き込む。
 抱きしめられたことがない訳ではない。
 ユーリの愛情の示し方は意外と直球で、久しぶりに会えた時などは優しく抱きしめ合う。
 ただ、こんなにも居場所を逃さないとするような行動が珍しいのだ。
「何か、あったのかい?」
 もしかしたら自分のいない間に辛いことがあったのかも知れない。そう危惧したフレンは眉を八の字に寄せて重ねて尋ねる。
「何もないけど、ただフレンは俺のだって感じたくて、な」
「なぁに?それ」
 告白ともとれるような言葉選びだというのにフレンは首をかしげている。ちゃんと言わないと通じないことが多々ある、それを知っているからこそぼかした物言いだったのだが。ユーリは溜息を吐いて今度はやんわりとフレンを腕に収める。
「つまんねぇ……嫉妬だよ。あんなフレンの上辺しか知らないような奴らに、なんて情けないけどな」
 風呂上がりの良い香りのするフレンに顔を押しつけて述べられた言葉に、ユーリの腕の中の青年は驚いたように身震いした。
「嫉妬……?やきもち、やいてくれたの?ユーリが?」
「……文句あるか」
「ない。けどなんだか意外で」
 揶揄するような響きではない。
 純粋に、フレンは驚いたのだろう。
「そう、だな。フレンに関することでこんな狭量になるなんて思わなかった」
 いっつもくっついてるのが当然だったからそこまで考えなかった。
「でも、なにか僕はしていたかな?いつも通り過ごしていただけなんだけれど」
 フレンは一体何がユーリの機嫌を損ねた原因なのか分からずにいた。彼としては、本当にいつも通り過ごしていたのだ。とくに特定の女性と親しげに言葉を交わしたのでもなければ、告白を受けた訳でもない。
「凱旋中、大勢に囲まれていただろ」
 やはり、と言うべきフレンの反応に耳元に語りかける。
 息の掛かる位置での会話はくすぐったいらしい。少し身を捩りながらも、柔らかな抱擁をほどこうとしない。
「うん……。あれが嫌だったの?」
「そうとも言う」
「ヤキモチを焼いてくれるのは嬉しいけど、それを変えることはできない。僕は騎士団長としての責務を全うしたいから」
 騎士としての仕事をこなす上で生じる物を防ぎようがないのだ。
「分かってる。
 騎士団長様がその人柄の良さで好かれるのは良いことさ。
 俺の我が儘はこうしてフレンが補ってくれるだろう?」
 フレンが騎士の仕事を優先するのは当然のこととしてユーリ中では認識されている。
 だからそれを止めろとは言えない。
 その理解に感謝しながら、フレンは後半のユーリの主張に引っかかりを覚えた。
「それは…またこうしにくるってこと?」
 さすがにあれほど力任せに抱きしめられるのは苦しいのだけれど、と呟いている。
「それ以上も可」
「……どういう?」
「実践してよろしいですか?騎士様」
 顔が見えないというのに、フレンにはユーリの表情が分かってしまった。そしてその言葉が意味するところも理解してしまう。
「…………駄目だ、と言ったら止めてくれるのかい?」
 緩やかに体を起こし視線を合わせる。
 口元にたたえる笑みは、互いに酷似していた。
「駄目だなんて言わないだろ?」
 言う間も与えられず、ふさがれた唇は言葉を作っていなかった。
 拒否する理由など見つけられなかったのだ



 




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