| 2002年4月27日(土) @バスターミナルへ 旅先ではいつも勝手に目が覚める。日本では延々と眠ってしまい、仕事のある日は本当に寝起きが悪いのだが……。恐らく、ベッドが違うから日本の様に熟睡できないのだろうと思う。 ホテルの階段の踊り場から外を眺めた。やはり一国の首都だけあり活気があり、人や車が行き交っているのが分かる。たが、朝から結構暑いのが感じ取れる。本当にこの国で観光等出来るのだろうか心配になってくる。 シャワーを浴びたりしている内に9時になり、1階のレストランへ下りた。アケミさんと水口兄はもう朝食を食べ始めていた。今日は3人ともヤンゴンで過ごすそうだが、次の日にバガン行きのバスへ乗る。僕は今日バガン行きのバスへ乗るつもりなので予定が1日ずれている訳だ。 暫くして水口弟が眠たそうな顔をしてやって来た。話によると2人は早起きをして、ヤンゴンの街を散策して来たらしい。日本語を話すミャンマー人の学生とコミュニケーションを取ったりして結構充実していたみたいだ。 水口兄弟は休憩すると言って部屋へ戻り、僕とアケミさんは一緒に街を散策することにした。しかし、先にバガン行きのバスをフロントで取らなくてはいけない。フロントの男性従業員に頼んだが、今日は満席らしい。彼はヤンゴン中央駅にたくさんバス会社があるからそこへ行ってみては、と提言してくれたので、まずはそこへ出掛ける事にした。 やっと本格的な街歩きだ。2人は意気揚々と宿を出た。しかし、暑い……。ヤンゴンは結構都会だ。バンコクほどではないが、ベトナム・ラオス・カンボジアの周辺諸国の首都よりはよっぽど栄えている。高層ビルもかなり立ち並んでいる。 線路を見下ろす橋を越え、まずは駅を目指したが、全然違う所に出てしまい、終いにはまったく逆方向のボージョー・アウンサン・マーケットに来てしまった。それでも、街は活気があり、結構楽しめる。 1時間以上掛けて目的地に辿り着いた。ホテルから歩いて10分程度の場所だ。まあ、旅にはこんなことは当たり前の事だ。そこにはバス会社のオフィスが並んでおり、客引きの男に声を掛けられたので、そこに腰を掛けた。男が3人いたが、はっきり言ってみんな人相が悪い。 「今日、バスでバガンへ行きたいのだけれど席空いてますか?」 その内のボス格らしい男は電話を掛け、 「空いてるよ。1席だけね。10FECだ」 明らかにボッているのが分かったが、時計はもう12時前を指している。バスの出発時間は2時半、しかも、ターミナルまではタクシーで45分も掛かる所にあるのだ。いちいち揉めている暇などない。僕は素直に10FEC払い、チケットを受け取った。(ここでチケットを買う方は、ボラレないように気を付けて下さい。外国人の相場は4ドル程度だと思います。) あまり時間もないので、宿に戻り、2人で昼食へ出掛ける。麺類を食べたいのだが、その手の店を見つけるのに5分以上掛かった。出て来たものは、茹でた麺に揚げたニンニクを乗せたものと、スープと玉ねぎサラダ。食欲が減退する環境の中、これ位が丁度良い。ジュースと併せて1人300チャットだった。 再び宿に戻り、チェックアウトしてアケミさんとバガンでの再会を約束し、タクシーを捕まえにメインストリートへ急いだ。 どんどんやって来るタクシーに手を挙げるが、意外と乗車率は高く、なかなか捕まらない。2・3分後、やっと捕まり、バスターミナルまでの値段を聞いた。相場は2000チャットらしい。 「長距離バスターミナルまでいくら?」 「うーん、1500チャットだな」 相場より安いから何も問題ない。そのままタクシーに乗り込んだ。 約40分後バスターミナルに到着した。停まっているバスは噂通り、全て日本の観光バスの払い下げを使用している。時計を見ると1時20分。バスの出発時間は2時30分だからまだまだ時間に余裕がある。外で待つにはあまりにも暑いのでバス会社の待合室(と言っても、ただ日陰になっている程度だが)で待つ事にした。他に待っている客は明らかに全員ミャンマー人だ。それも皆あまり裕福そうではない。普通の会社員の月給が20数ドルのミャンマーで10ドルと言う値段は恐ろしく吹っかけた値段なのだろう。少し腹が立って来る。金額ではなく、悪い事をして儲け様と言う気持ちに……。まあ、東南アジアを旅してこう言う小さなボッタクリに遭うのは毎度の事だけれども。 バスは2時にやって来ると言う事だったが、2時前になってもその気配が感じられなかったので、横にいる紳士的な感じの中年男性に声を掛けた。 「バガンに行くのですが、ここで待っていたらいいのですか?」 「いや、別の場所にもう1つ乗り場があるので、後で私に付いて来なさい」 時計は2時を指すと、彼は僕を歩いて5分くらいのもう1つの乗り場に案内してくれた。バスは既に到着しており、彼もそこで出発を待った。どうやら彼も同じバスに乗る様だ。 僕等2人を始め、たくさんのミャンマー人も木陰でバスを待った。暫くして1人の若い男が2人の男に支えられてバスに乗った。どうやら彼は足が不自由ならしい。 周りではまだ10代であろう少年達がコーンと呼ばれる噛みタバコを頬張り、血の色をした唾を何度も地面に吐きかけていた。僕はタバコは嫌いではないが、噛みタバコには全く関心がない。まずはとても苦いという事と、コーンを嗜む男達の歯は概して汚いからだ。 A17時間のバスの旅 時計が2時半を少し回った頃、乗客が一斉に入り口に集まり始めた。座席は指定制、僕は前から2列目の窓際に座り、その横には足の悪い男性の連れか父親らしき老人が座り、僕に微笑みかけた。男臭いバスの中、後の座席には比較的若いミャンマー女性が座ったが、こっちには目もくれなかった。 満員のバスの乗客が揃い、3時頃バスは軽快なエンジン音を立てて出発した。17時間ほどの長旅だ。いかに熟睡して退屈な時間を潰すかが肝心である。僕は学生時代は、札幌から神戸まで鈍行列車で帰ったり、神戸から沖縄まで40時間フェリーに揺られたり、結構ハードな旅はしてきたが、社会人になってからは時間を金で買う旅を行っていた為、こんなハードな移動は本当に久し振りなのだ。それに当時に比べ歳もとっている。体が持つか本当に心配したが、無事にバスに乗れた安心感と静かな車内のお陰で、すぐに眠ってしまった。 だが、目が覚めても時計は1時間しか進んでくれなかった。まだ都会の景色である。僕は風景で退屈を紛らわせる程、穏やかな性格ではない。ガイドブックを見たりして時間を潰すしかなかった。 それでも時間は経ってくれるものである。車は田舎に入り、辺りはようやく薄暗くなった。車内ではミャンマーポップスが流れていたが、それが終わると、ビデオ上映を始めた。民族衣装を着た美しい女性と彼女を取り囲む4人の男達とのコメディ。僕にはさっぱり分からないが、ミャンマー人はみんな笑っている。 田舎道に入ってから初めて街らしき場所に辿り着き、数人が降りようとしていた。僕は特に関心を持たず、外を眺めていると、僕の肩に誰かの指が触れた。振り返ると僕をバスターミナルまで連れて行ってくれた中年男性だった。 「私の家はここなんだ」 そう言って握手を求めてきた。彼は大人しく、ほとんど話をしなかったが、紳士的な良い人だった。勿論、僕も手を差し出して握手に応じた 「また会おう」 彼はバスを降りた。社交辞令だろうが、彼の言葉が胸にしみた。 次にバスはレストランの前で停まった。待ちに待った夕食である。運転手に何分停まるか聞くと40分だと言う。それならゆっくり出来そうだ。バスの座席に長時間座ると、尻が痛い……。 割と大きく、客で賑わうレストランに入ると、上半身裸の恰幅の良い男が英語のメニューを持って注文を取りに来たので、僕はコーラと、日本語に直訳すると豚肉を辛く炒めた物を注文した。コーラはすぐに出て来た。タバコを吸いながら料理が来るのを待つ事にした。 だが料理はなかなかやって来なかった。ふと顔を上げると、バスで隣りに座っている老人がこっちを見て笑いかけてきた。僕は彼の座っている席に移ったが、彼は英語が話せないので、会話はなかった。暫くして、料理とスープ、ご飯がやって来た。豚肉はすっぱ辛くて結構美味かった。気が付くと、外国人が珍しいのか従業員達に取り囲まれていた。 料理を食べ始めて5分後に、バスが出発するから急げと老人に手招きされたので、かなり残した状態で金を払って席を立った。時計を見るとまだ30分も経っていなかった。当然ながら腹は満たされなかったので、出発前に買っておいた菓子パンをバスの中で食べた。 チケットにはバガンの前にどこかを経由すると書いていた。ミャンマー語の為分からなかったが、その街に着いた様だ。数名の客が乗り込んで来た。そしてその中に外国人旅行者もいた。若い白人の男が1人と、女が3人だった。少し安堵感を覚えた。 ずいぶん眠り、目が覚めるとバスは何故か道路に停まっていた。様子からするとバスの故障ではない。気分転換の為、バスを降りて体を伸ばした。時計は1時を回っていたが、結構たくさんの人が降りていて、その中に例の白人旅行者もいて話をしていたので声を掛けた。 「やあ、僕は日本人だ。みんなと同じ旅行者なんだ。みんなは何と言う街から乗ってきたの?」 「ピイと言う街さ。小さいけれど、結構落ち着いて観光できたよ」 話によると、4人は2組の旅行者で、1組は女性2人でスロベニアから、もう1組はカップルでイスラエルからだそうだ。イスラエル人の男は、アメリカの俳優、ニコラス・ケイジによく似ていた。 十数分話をして僕はバスに戻り、涼しくなって来たので気持ち良く眠る事とした。 |
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17時間乗り続けた日本製のバス
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途中で寄ったレストラン
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