◆TTFについて◆


お久しぶりです。
長い間、放置していて申し訳ありませんでした。
「もうこのサイトに来る人なんていないんだろうな」
そう思い、更新もせず閉鎖状態を保っていました。
しかし、昔通ってくださっていた方々から、メールが届くようになったのです。
「久しぶりに来てみた」「実はずっと通っていた」などなど。
色々なご意見、感想、リクエストがありました。
そしてそれらのメールを読むたび、私は涙を流しました。

素直に、感動しました。とても嬉しかったのです。
私のサイトが、何人もの方々の記憶に残っているのだと。
それを感じた瞬間、身震いがしました。
でも、忙しかったのとメールがあまりにも多かったことで、全員にお返事を出せずにいました。
なので、まとめるかたちになって申し訳ないのですが、ここでお知らせや近況、これからについてなどをご報告しようと思います。
ちょっと長くなるので、分けてみますね。



+TTFの過去+
このTO THE FUTUREというサイトは、元々w-inds.の非公式ファンサイトとして2001年の4月に誕生しました。
当時私は15歳。アメリカに住んでおり、たまたまデビューしたての彼らの存在を知ってファンになったのです。
昔から文章を書くのが好きだったので、小説や詩、レビューやテキストを主にやっておりました。
特にドリーム小説は、最近ではもう広く認識されているものの、当時は画期的だったみたいで。
自分で言うのもなんですが、うちや他サイトさんが始めた頃から流行り始めました。笑
そしてある程度お客さんが来るようになると掲示板も設置し、瞬く間にカウントは増えていき。
皆様の支えのおかげで、人気ランキングなどでは上位にいることができました。
オフラインでも口コミで広げてくれた方もいて、とても嬉しかったです。

海外に住むファンのサイトということで注目され、非公式の本ではありましたが、そこで紹介され、その中のいくつかの章には私の文章が掲載されました。
その本は今でも私の手元にありますが、たまに読み返します。
古本屋さんで見かけたら手に取ってみてください。笑
当時、同じように大手と呼ばれていたw-inds.のファンサイト、そしてその管理人さんの文章も掲載されているものです。
仲良くしていただいていた管理人さんや、憧れとしていた管理人さん、様々な方がいました。

閉鎖前、ほとんど更新してないのに遊びに来てくれる方もいて。
おかげさまで、閉鎖前に40万ヒットを記録することができました。
TTFがあそこまで成長できたのは、本当に、皆様のおかげです。
本当に本当に、感謝してもしきれないくらい。ありがとうございました。

ま、私が龍一くんの彼女だーとかいう書き込みがあり面倒なことになった時期もありますが。笑
良い思い出ですね。(もちろん、根も葉もない噂です)


ここからはちょっと個人的な話になります。

2003年の2月。私は日本に帰国しました。
父親の仕事の都合で渡米していたので、有無を言わさず、という感じでした。
あっちで高校を卒業してから、という願いは叶わず、私は日本の私立女子高校に編入。
しかし。
転勤族で人生の半分以上を日本以外の国々で過ごした私は、女子高という独特の場所に溶け込めませんでした。
もう何度目かわからない転校。しかも今回は思春期の転校。もう限界だったのかもしれません。
うつ病になりました。
サイトは続けていたものの、学校には行かなくなり、悲惨な日々でした。
死にたい理由があったわけではなかったのです。生きていく理由が見つからなかったのです。
唯一、w-inds.にだけは興味を失わずにいられたのですが。
親との関係もよくはありませんでした。
面白いくらい、症状は悪化していきました。
それはもう、まるで携帯小説に出てくる主人公のごとく。笑
リストカット、薬のオーバードーズ、タバコ。手が真赤になるまで壁を殴ったり、爪が食い込むまで拳を握ったり。
景色は灰色、食べ物は砂の味、テレビは面白くない、人と会うと息苦しい。
拒食症になり医者から入院を勧められるまで痩せてしまい、パニック発作や過呼吸、不眠や悪夢、自律神経失調症にも悩まされました。
逃避の産物なのか、多重人格みたいになって。書いた覚えのない言葉が日記に書かれていることもありました。
このまま気が狂って事故にでも遭って死ねば楽なのに、って何度も思いました。

そんな私に、手を差し伸べてくれる人がいました。
TTFの常連で、私の家のすぐ近くに住んでいて、一度会ったことのある男の子でした。
これを読んでいる方の中には、内容を読んでピンとくる方もいると思います。
ですが、もし分かったとしても、名前やハンドルネームなどは絶対に出さないでください。
ここではAくん(仮名)とします。

当時、私にはAくんとは別に、Bくん(仮名)という特別な存在がいました。
Bくんは落ち込んでいた私を上から引き上げようとしてくれました。
しかし、上にあがりたいと思っているわけではない私にとっては、やっぱり苦痛でした。
今思えば、彼は普通に付き合うより倍以上の力で私を支えようとしてくれていたんですよね。
目の前で死にたい死にたいと連呼する私を見て、彼も傷ついたに違いないのに。
死にたい、と言われる辛さは、私も知っていたのに。今思うと、とてもひどいことをしましたね。
でも当時は、そんなことを気にする思考能力すら、なくなっていました。

TTFで出会ったAくん(仮名)は、同じ病と闘っている人でした。
私がここでカミングアウトした日、電話をくれました。力になれるかと思って、と。
うつと付き合ってきた先輩として、彼は色々教えてくれました。症状や特徴、薬の副作用、鬱の周期や鬱がひどいときの過ごし方、などなど。
Aくんは、どちらかと言えば、引き上げるでも押し上げるでもなく、手をつないで隣を歩いてくれるような人でした。
片方の鬱がひどいときは片方がカバーして、お互い調子が良ければ騒いで。お互い鬱がひどかったら会いませんでした。
この人の方が理解してくれる、一緒にいて楽だ、と思った私は、Bくんに一方的に別れを告げました。
別に、Aくんと付き合い始めたわけではないのです。ただ、一番理解してくれる友達として、一緒に過ごしてました。
二人ともw-inds.が好きだったから、一緒にライブ行ったりもしました。
私があまりに不安定でサイトを閉鎖しようとしていたときは、TTFの副管理人になってくれて。
被害者ぶっているという中傷などから私を守ってくれて、このサイトを存続させてくれました。
あのころの私にとってAくんは、不思議な存在でした。
頼りきるわけでもなく、頼られてばかりでもなく、ケンカもするけど落ち着く存在。
私よりも強い薬を呑んでいることは知っていました。でもそんな差は感じませんでした。

そしてAくんの助言もあり、私はその冬、一人でアメリカに渡ることになりました。
ホームシックだったのかどうかは分かりませんが、何か変わるかもしれないよ、と言われて。
日本人の友達の家に泊めてもらい、1週間ほど、アメリカで過ごしました。
このとき少し前向きになった私は、休学していた高校を辞めることにしたのです。
大検(今でいう高卒認定試験)を受けて、大学に行こう、と決めたのです。
このころにはリストカットなどもおさまり、体重も少し増えて、発作もだいぶ減っていました。

そしてある日。
今だから解るけど、当時の私は何も考えずに放った一言で、Aくんを傷つけてしまいました。
別に、うそをついていたとかそういうことを問いただしたかったわけじゃなかった。
ただ本当のことをなんで言ってくれないのかな、こんなに仲が良いのにな。そんな気持ちでした。
それが、ちょうど鬱の悪い周期のときに起きてしまったんですね。
あのころは。Aくんはひどい、私たちは本当の友達じゃなかったのか、なんて思っていました。
その負の思いを糧にして、4月から大検の勉強に打ち込んだのです。
でも。相手が切り出してくれるまで待つべきだったんですよね。無神経でした。
あんなにたくさん助けてもらって、私は何も返せてなかった。
しかも、今となっては最後の会話で、関係をぶち壊すようなことを言った。
借りている物を返さないまま。貸している物も返ってこないまま。連絡は途絶えました。

こうしてAくんのいなくなったTTFは、さびしいものになりました。
しかしTTFで大学受験を報告すると、皆さんからたくさんの激励メールをいただきました。
中でも、当時の私と同い年のお子さんがいた主婦の方からいただいたメールには、涙が止まりませんでした。
自分の娘のことのように嬉しい、頑張ってほしい、と。そう書かれていました。
それは、ネットという無機質な言葉にトラウマをもつようになっていた私にとって、衝撃でした。

そのような励ましもあり、私は一旦、うつ病から復活したのです。
薬もなくなり、体重は現在むしろポニョ(笑)、リストカットや発作もなし。
唯一、タバコだけは残ってしまいましたが。

あれから5年。
Aくん、Bくん、そして支えてくれた他の友達。
それぞれに、謝りたい。そんな願いを叶えられないまま、月日が流れました。
ありがとうもごめんなさいも、時間がたてばたつほど、言えなくなる。
そのことに、やっと気付いたのです。

これが、TTF、そして私の過去です。




+その後のTTF+
大学受験を志すようになってから、更新は一気に減りました。
TTFはAくんとの思い出がつまった場所でもあり、うつの記憶がよみがえる場所でもあり。
社会復帰を目指していた私にとっては、蓋をしてしまいたい存在だったのかもしれません。
掲示板も放置、小説も更新はストップ、その他のページもストップ。
唯一日記だけちょこちょこ書いてました。

小説について。
まず、投稿小説は、トラブルを避けるためサイト上から消してあります。
作者の方との連絡が取れない作品が多々あるため、再配布、再掲載の予定はありません。
青蘭の小説は、再配布しています。
ありがたいことに、たくさんの再配布希望メールをいただきました。
そして、最近は増えすぎてちょっと追いついていない状態です。
待っていただいている方々には大変申し訳なく思っています。
私なんかの小説をまた読みたいと言ってくれる人がいたこと。とても感動しました。
当時小学生や中学生だった方から、久しぶりに遊びにきました、とメールがきたり。
嬉しくて嬉しくて、感激ってまさにこういうことを言うんだなって思いました。

その後の青蘭はというと。
大検に受かり、大学受験をし、無事大学に受かりました。
英語学科に入り、サークルなど大学生らしい生活を送り、今年の3月無事に卒業。
1つの学校に入学して卒業するというのが初めての体験でした。
今まで、入学しても転校したり、転校先の学校を卒業したりと、入学から卒業までいた学校がなかったのです。
だから大学を卒業できたことにはとても大きな意味がありました。
一生モノの友達とも出会えました。
たまに灰色に戻りそうなときもあったけど、なんとか踏みとどまってこれました。

そして卒業してからは、就職せず、翻訳の専門学校に通っています。
1年間の全日制で、ここに通って来年の4月からは翻訳系の会社に就職する予定です。
通訳・翻訳どちらかで迷いましたが、やはりカタチに残る仕事がいいと思い翻訳を選びました。
言語というのは私の永遠の軸です。
同年代が就職していく中、少し違った道で不安もありますが、大学院に行ったと思って頑張ります。
将来、映画の字幕翻訳の欄に私の名前が載るかもしれませんよ。笑

精神面は、やっぱりちょっと崩れています。
あいかわらずあの頃の二人やうつを引きずっていて、というより存在が大きすぎて。
うつ病、実は治ってなかったんじゃないか。無理矢理、大丈夫だ!って思いこんだだけじゃないか。
そんな考えが浮かんでは消え、浮かんでは消え。
このサイトのことを思うたび、闇に引き込まれるような気持ちに襲われて。
ずっと手をつけられずにいました。逃げていました。
去年、就職活動を少ししたのですが、そのときに自己分析をしてて。
やーっぱり根本的に何か引っかかると。何か変だと。
大学で心理学も学んだのですが、それもふまえると、私はうつ病だけじゃなかったのかもしれません。
アダルトチルドレンかもしれない。境界性人格障害かもしれない。そう思うようになりました。
環境、性格、症状、特徴、思考、ぜんぶに説明がつくのです。
・・・嬉しくなかったです。
だからどうしろっていうんだ。そんな気持ちです。
でも、生きていかなきゃいけない。
それなら好きなことやろう。それで内定蹴って翻訳の道を選びました。
占いがそうであるように、誰だって当てはまる項目はあるはずです。
一応普通に社会生活を送れていると思うし、もう自分に病名をつけられるのはこりごりです。
ただ、ちょっとだけ、不安定なだけ。
それだけなんですよね。
だから、同じように心の病で悩んでる人がいたら、知ってほしい。
こうして、自分の納得いくかたちで、生きていけると思える日が、必ず来ます。

w-inds.は、今でも好きです。
ただ、やはり熱は昔ほどありません。大人になってしまいました。笑
アルバムやDVDは毎回買うし、テレビもチェックしますが・・・。
最近、というより1年前くらいから、w-inds.とよくアジアフェスティバルで共演している東方神起を応援するようになりました。
今でもw-inds.を一番に思う方から見れば、え・・・って感じかもしれません。
しかし、東方神起というグループを知れば知るほど、応援したくなるのです。
母国を離れて異国で生活し、慣れない外国語をしゃべり、苦難を乗り越えてきた過去。
アカペラもダンスも作詞作曲もこなし、インタビューの受け答えが哲学的。
そんな、同年代なんです。5人中2人は1つ上(慶太くん&龍一くんと同い年)、2人は私と同い年、もう1人は1つ下。
w-inds.は1つ上が2人、そして2つ上が1人。少し年上の世代です。
でも、自分と同じだけの時間を過ごしてきた同い年というのはやはり特別に感じます。
だけど、w-inds.も、大切な存在なのです。
w-inds.がいたから今の私があるのです。w-inds.がいたからTTFがあるのです。
w-inds.がいたから出会えた人もいるのです。w-inds.は、かけがえのない存在です。
もう、無意識なんでしょうね。
なぜかw-inds.のライブDVDを観ていると、自然と涙が出てきます。
昔を思い出すとか、懐かしいとか、そういう気持ちが潜在的にあるのかもしれません。
でも、そういう気持ちを感じる前に、勝手に涙が出てくるのです。
涙が出て、あぁ私にとってこの人たちは特別なんだなって感じます。
音楽性でいうと、東方神起の楽曲の方が好み、といえるかもしれません。
また、韓国語で歌う彼らを見てると、言語学的な刺激でワクワクします。笑
異国で頑張る同年代として、共感できることもある。
そんな2グループはお互いは面識があって。
慶太くんはブログで東方神起のジェジュンは親友だとも公言しています。
自分の好きなアーティスト同士が仲良しって、なんだか嬉しいですね。


・・・まぁ、2つのグループの魅力についてはまた別のところでご紹介します。笑


とりあえずこれからは、トップページや日記でも告知したように、
・w-inds.
・東方神起
・小説などテキスト系
・英語関係
・韓国語関係
のコンテンツを中心に、マイペースに運営していきたいと思います☆



そんな最近のTTFと、最近の私。

ここまで全部読んでくださった方がいたら・・・
本っ当にありがとうございます!笑
いやーこんな長くて昔の自慢話やら苦労話やら何やらを延々と語る文章を、最後まで読んでくれただなんて。
感謝の一言に尽きます。笑


なんとなく。
空白の5年間を、埋めたかったんですよね。
そこをつなげれば、自分の中にある空白の期間が、埋まる気がしたんです。
うまく言えませんが。

お付き合いいただきありがとうございました(^∀^)
ではでは、他のコンテンツをお楽しみください♪





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