思うがまま、気の向くままに・・・・
2006年2月23日 今日、バイクで村を巡回活動していたときに、大雨が降ってきてカウンターパートと呼ばれる同僚たちと雨宿りをしてたときのこと、豚が今がチャンスとでもいわんばかりに、水溜りの水をゴクゴク飲んでいました。それを見た同僚が私に「あれは何か知ってる?」というので、『知ってるに決まってるじゃん。豚だよ、豚。』と心の中では思っていたのですが、ド忘れして豚という英単語が浮かばない!!ケニア人はホントお金の話や食べ物(特に肉類)の話が好きなので、そのときはPigよりもPorkしか頭に浮かんできませんでした。焦れば焦るほど浮かばないもんで思わず私:「えーと、Pork(ポーク)だよ、ポーク。」 同僚:「ははは。あれはPorkじゃない。Pigだよ。」 私:「そうそう、Pigだ。君が正しい。」 同僚:「あははは、ホントにトモはおもしろいなぁ。」 私「・・・・・(豚ってわかってるってば。別にウケをねらったわけじゃないのよ・・・)」 同僚の中では、私はかなりおもしろい人間と思われている。。。
2006年2月4日 きのう今日はまたもや大変な一日でした。私の計画したプロジェクトで自転車を配付することになり、そのミーティングをプロジェクト対象者を集めて行うことになりました。私の活動地域のルオー族はミーティングやトレーニングを開催するときに、参加者のために開催するのであってもVisitor(訪問者)を招くのだから、おもてなしのためにブレイクタイムに紅茶・ソーダとスナック類、場合によってはランチや往復の交通費まで用意しなければならないというならわしが根強く存在します。その考えは、たしかにすばらしいし、100%反対というわけではありません。しかし、今回のプロジェクトではそのようなものを用意する資金がなかったので、今回は参加者にとってミーティングに参加し自転車を受け取ることができるという十分なメリットがもうあるということ、そのミーティングは1、2時間という非常に短時間なもので長時間にわたるものではないということで、上記のものは用意しないで行うということを同僚ケニア人たちに知らせました。そのときはすんなり理解してくれた同僚1人がミーティング日前日になり、考えを180度変えて「やっぱりソーダは用意しないといけないよ。」と言い出し、私の考えが理解されていなかったと知りとてもがっかりしました。よく、途上国では文化・習慣や宗教の壁をいかに乗り越えられるかが重要だといいます。習慣は存在する、しかし、習慣にこだわってもどうにもできないことがある。習慣が先なのか、何が先なのか?私は、「習慣は理解している。けれど、優先順位って何なんだろうね?」と問いただしました。私は、それができないときにどうすべきかということをケニア人に考えてほしかったのです。結局、ミーティングはそれらなしで無事終了しましたが、ケニア人たちはどう考えているのか。。。
2005年12月25日 今日はクリスマスということで、ある孤児院でサンタクロースをしてきました。これは私の友人であるアイルランド人ボランティアが企画し行ったのですが、孤児たちと共に風船で遊んだりスポーツを一緒にやったりととても楽しいものでした。このボランティアの彼は、このために彼の家族や友人に寄付を募り、今日遊んだ道具やおもちゃ、お菓子などを買って、この孤児院にクリスマスプレゼントとして持ってきたのですが、あまりの多さにえらいなぁと思うというより、唖然としてしまいました。そしてある協力隊のコが言っていたことを思い出しました。そのコの任地は小さい村であるけれども、ある日本のNGOが年一回程度ひょっこりやって来てお金や物を持ってくる。そのため、その村人たちは何かをしてもらうのが当たり前と思っており、自分たちで努力しようとしないということでした。協力隊同士でよく話すことは、私たちがやってきた国がいつか私たちのようなボランティアがいなくてもその国の彼らたちだけでやっていけ国になることを目指しているのにねぇということ。私は今、国際NGOで働かせてもらっているので、いろいろな国からやって来たボランティアに出会ってきたが、ボランティアでもボランタリー(Voluntary:自発的)で独りよがりで終わってしまってはいけない。現地の人たちをその一時だけ喜ばせることは簡単であるが、それが本当にその人たちのためになるのか、援助をするときはそれを考えることが必要なのではないだろうか。
2005年12月18日 今日までの3日間、ケニアの協力隊員が集まって隊員総会が開催されました。内容は各隊員の活動発表、事務所との意見交換会、ディスカッションなどでした。私は活動発表ではなく、他のエイズ対策隊員とエイズについての講習会を開きました。その内容はHIVとAIDSの違いは何?どうしたら感染するの?という本当に基本的なものをいろいろなマテリアルを使って行うというもの。準備段階に難しい用語をどうやって答えを導くか考えていたわりには、さすが協力隊員!みんなよく知ってるねぇというかんじでした。でも、女性用コンドームは初めて見る人が多かったようで皆、興味津々。私も知らなかったことは女性用コンドームは日本ではもう通販でしか手に入らないということでした。私がケニアに来る前にはサッポロドラッグストア(普通の薬局です。ローカルネタだが 笑)で売ってたのにねぇ・・・やっぱり売れないというのが一番の原因なのかなぁ??そうそう話は変わって、ナイロビナショナルパークは普通に車で見るよりも、ウォーキングサファリがおすすめ!最終日には新隊員のウェルカムパーティの後、みんなで花火をやって締めくくり!!本当に楽しい、充実した3日間でした。
2005年11月22日 きのうケニアでは憲法改正の国民投票が行われました。これは別におもしろくもなんともないことなんだけど、この投票前の活動中でなんだかケニアらしくて笑えたこと、テレビを見るとバナナの帽子をかぶっている人が映ってると思ったら、憲法改正にYES=バナナ、NO=オレンジということになっていました。誰が決めたのか知らないのですが、巷では「あなたはバナナ?オレンジ?」みたいな話がちらほらと。っていうかバナナ、オレンジってかわゆい!!くくっ。日本ではありえないたとえだけれど、ケニアのバナナやオレンジのようなものって日本では何になるのかなぁ。結局、この国民投票はオレンジが勝ったということで、これを聞いたとき、日本ではこういうような状況になるとなんだかんだで結局可決されるっていうパターンだけれど、ケニアはそういうわけでもない。ってか今回の投票のイミって。。ただの金と時間のムダだったんじゃないのかぁ?と思った私でした。
2005年10月13日 ケニア人はあくびをした人を見ると「おなかすいてるの?」と聞いてきます。これは、私にとってケニアに来た当初から不思議だったことの一つで、『どうしてあくびでおなかすいてると思うのかなぁ。もしかしたらこの考えがグローバルスタンダードの考え方で日本人がかわってるのか?』と思うようになってきて、アイルランドから来ているボランティアに聞いてみると、やっぱり日本人と考え方が一緒でほっとしました。所かわれば人の考え方もかわる!(笑) みなさんはおなかがすいているとあくびが出ますか?
2005年10月12日 こんなことをHPに書いてよいのかわからないのですが、他の国の同期の協力隊員も同じ事を言っていたので、途上国では多かれ少なかれ同じ経験をしている人がたくさんいるのではと思うこと−ケニア人は外国人を見ると何かもらえると思っているようで、何かくれだとかお金ちょうだいだとかだめもとで平気で言ってきます。また、荷物を持つ手伝いを率先してしてくれる人にも要注意!持ってもらったりしたものならそのあときまって「持ってやったんだからお金ちょうだい」と言ってくるのです。でも今日はちょっとした嬉しい出来事が。プロジェクトのために使う物を探している中、お店を案内してほしいと思い、町にいたあるケニア人にガイドを頼みました。彼は快く承諾してくれ、いろいろと連れて行ってくれ通訳もしてくれたりと本当に助かりました。きっと彼も他のケニア人と同じように報酬を期待していると思い、私が小銭を渡そうとすると、「ボランティアでやったことでお金をもらおうなんて思ってないから、そのお金をひっこめてくれ」というのです。日本ではこういった遠慮は日常茶飯事に見られることですが、ケニア人が言ったということは本当にそう思っているということで、私はビックリ&なんだかとっても嬉しい気持ちになりました。今日で、ケニアがますます好きになりました。
2005年9月17日 私はケニアの中でも西部のほうにいるのですが、今日は西ケニアカリブパーティが決行されました。カリブパーティというのはいわばウェルカムパーティのことで、最近は西ケニアに新隊員がやってくると歓迎のために西ケニア隊員が集合してパーティを開いています。今日はカバを見に行った後、レストランでバーベキューを食べて、それから某隊員宅で夜遅くまでワイワイ楽しみました。新隊員には楽しんでもらえたかなー?まぁ、こんなヘンな人たちしかいないのかと思われたかもしれないが(笑)、楽しい仲間たちがたくさんいると思ってもらえたらなぁと・・・ なーんてね
2005年9月12日 今日は先輩隊員が帰国して行ったというちょっぴりさみしいこともあったのですが、めでたいのかもうめでたくないのか(?)今日は私の28回目の誕生日だったわけで、他の隊員のみんなにバースデーカードをもらったりプレゼントをもらったりして、協力隊に来ていい仲間と出会えてホントよかったなぁ、この出会いは今後のすばらしい財産だなぁと思った一日でした。みんなホント大好きです!!
2005年8月19日 今日はあるケニア人たちと宗教の話になりました。ケニアに来て最も苦手な話が宗教の話で、今日はかなり手ごわかった。。やっぱりクリスチャンには日本の無宗教というのが信じられないらしく、今までも「私は自分を信じているから神は信じていない」とか、「神に頼ることがないから、自分自身で努力しなければならないんだ」とか何だかんだ理由をつけて話を切り抜けてきたのですが、今日は4人のケニア人に「ケニアにいるんだから神を信じないと!日本に帰るまでにはクリスチャンになるのよ」と説得された(汗) みなさんはもしクリスチャンの人と宗教話になったらどうやって日本の状況を説明しますか??
2005年8月14日 今日は、『世界の中心で、愛をさけぶ』という映画を観ました。私は去年の4月からケニアにいるので知らないのですが、これは日本で流行った映画ということで観てみることにしました。まぁこんな可愛くて性格のいいコがいたらそりゃあ好きになるよねぇ、自分もこんな思い出が高校時代にあったらなぁなーんて思っちゃいました(笑) しかし、この映画をケニアで放映したらケニア人はどう思うか?こんな純なシチュエーションはまずケニアでお目にかかったことないからなぁ。。はは。
2005年8月12日 今日は2週間にわたった研修が終了しました。今回の研修は他の2人の協力隊員と協力して3人が主催者になり、エイズに関する知識の強化とPCM(プロジェクトサイクルマネージメント)手法の取得を目的に開催しました。この研修にはケニアだけではなくタンザニア、マラウイ、ジンバブエ、南アフリカ、マダガスカルの5つのサブサハラアフリカ地域の国々から、エイズ関連活動を行っている協力隊員とそのカウンターパート(同僚)が参加し、連日連夜遅くまで講義、Field Visit、ディスカッションなど多くのプログラムが行われました。この研修でいろいろな情報交換がされたり新しいことを学んだりしたことで、自分の活動を見直し今後はより効果的な活動ができたらなと思いました。日本でもそうだったけれど今の生活も慣れてくると仕事だけではなく、なぁなぁとなって過ごしてしまっている部分も多いが、こういう機会があったおかげで初心を忘れてはいけないなぁと思わされた。背筋がしゃんとした気分になった!
2005年7月15日 今日はナイロビでプールゲーム(ビリヤード)をやってきました。プールゲームは娯楽が少ないケニアの中でも意外とポピュラーな遊びで、こんなところにビリヤード台があるの?というところにもあったりします。今日は、一階はディスコ&バーで二階がプールゲーム場というちゃんとしたところに行って来たのですが、ここだけを見ると途上国にいるとは思えないというくらい雰囲気もなかなかなものでした。ゲームの結果はさんざんだったけど自分の任地では味わえない空間を楽しんだということで大満足!!ホント、ナイロビってやつはスゴいよ。。
2005年7月13日 今日はある先輩隊員の人が協力隊の任期2年間を終えられ、ケニアを旅立ちました。ケニア全般のこと、仕事のこと、などなどいろいろと助けてもらったりアドバイスをもらったりとホントお世話になった先輩だったので感慨も一入でした。ぜったい泣かないと思っていた人がケニアを発つということでポロポロ涙を流していた姿は、一生忘れられないかもと思った。日本に帰ったら真っ先に再会したい人の一人です。日本での活躍、期待しています。
2005年7月2日 今日は首都ナイロビの某所でゴーカート大会に参加しました。最初ゴーカートができると聞いてホント?と思ったけど、ナイロビでは映画も観れるしボーリングもできるし、もう驚きません(笑) 今日は帰国する先輩隊員がいるのでその帰国記念ということで開催することになったのですが、そんなことはおかまいなしに参加者それぞれがおもいっきり楽しみました。私は今回は見学ということで、みんなの走りを見ながらあれこれ文句を言いたい放題!こっちのほうが楽しいわ〜と思っていたら、全レース終了後、ちょっと走ってみるかい?と言われ乗ってみることに。。日本でさえもペーパードライバーだった私だったので、不安ではありましたがこれがなかなかおもしろい!!スピードも見ているときとは違い、意外とスピードがでるんだねぇと実感。でもコーナーでスピードを出しすぎで回りきれず衝突してたら、係りのケニア人のお兄さんにコーナーはもっとスピードを落としなさい!!と怒られた(笑) でも、とっても楽しかった&次の日には腕がかなりの筋肉痛に。。5週しか走ってないのにさ・・・
2005年6月17日 今日はとっても悲しいことがありました。私は日本にいるときは金魚等しかペットとして飼ったことがなく、ケニアに来て生まれて初めてねこを飼いました。一緒に生活した2ヶ月半は本当に家族の一員というかんじで目に入れても痛くないという言葉がピッタリ当てはまるくらい大切な大切な存在でした。しかし、約2ヶ月前ちょっとした問題が起こり新しい家が見つかるまで一緒にいられなくなってしまい、ナイロビのドミトリーにいさせざるを得なくなりました。当然のごとく、以前より目の届かないところにいたため、具合が悪いということが早くに察知できず気づいたときにはもうかなり深刻な状況。。病院に連れて行ったのですが、今日天国に旅立って行ってしまいました。もっと早くに病院に連れて行ってあげれればなど後悔はたくさんあるのですが、死ぬときに一緒にいてあげられなかったことが一番の後悔。小さいときに、母猫から離して連れて来て人間の手を加えて一度育てたら最後までしっかり面倒をみないといけないということも今回学んだ教訓です。たった半年の短い生涯だったけれど私と生活を共にして、他の協力隊のメンバーたちにも可愛がられ、たくさんの愛を受けて生きていたことを幸せだったと天国で感じてくれたらなぁと思う。バイバイ、シロ。。。
2005年6月6日 ケニアにはエイズ孤児はもちろんのこと、両親のどちらかあるいは両方が死んでしまって学費を払うことができず学校を中退する孤児が非常に多い状況にあります。仕事がら、そんな子供たちを少しでも支援できたらと思い、協力隊等が運営しているある奨学金制度に応募してみたところ一人の生徒の一年間の学費を支援してもらえることになりました。そこで今日、その奨学金の支払いのためある中学校を訪問したのですが、今日その生徒は学校に登校していなく、その理由をきいてみると、学費滞納のために学校に来れなくなっているとのことでした。私は今日、奨学金を支払ったのだからすぐ学校に戻るようにと伝えるよう頼みました。中学校の状況を聞いてみると、学費が払えない子供たちは、みんなの前で教室で突然校長先生に学費が工面できるまで学校に来るなと言われそれを受け入れるしかないのだそう。こういう状況を経験しているケニアの子供たちは日本の子供たちよりあるイミ大人なのかもしれないなぁと思った。
2005年6月2日 ケニアに来る前は友達にケニア人は裸族なんでしょ?どうするの?なーんて言われたりもしたけれど、自分も実際あんまりケニアの印象が想像できなかった。たった7円のパンが買えない人もいればCD-Rをあぁ、それあげるよ。なんて言ってくれる人もいるというくらい貧富の差が激しいという違いはあるけれど、ケニアやケニア人に対して自分自身、固定観念はそんなに持ってないと思っていた。そんな中、今日職場に訪ねてきたケニア人の行動にビックリ!同僚を訪ねてきたのですが同僚が外出していたため、ケータイで話をしてもらおうと思い、私のケータイを貸すとケータイを口元に持ってきて話し出しました。まるでトランシーバー状態。。ケータイを耳に当ててやって「こうやって話せるから、話してください」と言ったと同時に心の中じゃそれじゃあ話が聞こえないだろうよー。。と思った(苦笑) ケニアでもケータイが小さな村でも普及しているし、接する人がケータイを持っていなかったらどうして持ってないの?と思うくらい意外とたくさんの人がケータイを持っている中で、今日の人がごく少数というわけでもないのにホントビックリした。でも、日本にいたときの自分はそんな今日の出来事にビックリしている自分にビックリかもねぇなんて思ったり。。。
2005年6月1日 ケニアでは私が住んでいるような村へ行くと、女性はほとんどズボンではなくスカートをはいています。それもホントのスカートであったり、ケニアでは有名なカンガやチテンジという布を巻いてスカート代わりにしていたり。以前、ある人に地方の仕立屋に頼めば安い値段で服を作ってくれると聞いていたので、ケニアで買った丈の長〜いTシャツたちを短くしてもらいに思い切って行ってみることにしました。どうして思い切ってかと言うと、仕立屋は日本とは違い、ケニアでは道のあちこちに見受けられる青空仕立屋で多くの女性たちがそれで生計を立てていたりするのです。手に職と言ってもこれは絶対技術の上手い下手はあると確信していた(?)私は今までお客様になることはありませんでした(笑)そして今日、意を決して行ってみると予想通り、一人の人はまぁ許せるかんじで、もう一人が縫ってくれたTシャツの縫い目はすば〜らしいカーブを描いてました(苦笑)協力隊隊員で婦人子供服隊員がいるのですが、彼女らの苦労が目に浮かんできたよ・・・
2005年4月20日 今日は日本で言う県立の病院を訪れました。仕事柄、この病院はたびたび訪問するのですが今日は初めてその病院の敷地内にあるPatient support centerへ行ってみました。ここはHIVテストで陽性と診断された人々がさまざまなサポートを受ける場所で、私の主な仕事であるエイズ患者の在宅看護のいわばエントリーポイントと言えるところです。私は、ある医者ととても親しくさせていただいていて、彼が今日はそこの当直ということで話を聞きに行ったのですが、彼の言う話ではきのう強盗が入ってエイズ患者に配布されているARVという薬がかなりの量、盗まれてしまったということでした。日本で無料で配布されているARVはケニアのような途上国ではまだ完全に無料で配布されるということではなく、ケニア人にとっては高い金額を払って手に入れることができるものなので、そのようなことが起きたと聞いてとても悲しく思いました。ただの金儲けのために盗んでいった犯人であれば腹立たしく思うが、もしかしたら患者の家族が切羽詰ってどうすることもできなく盗みを働いてしまったのかもしれない… もしそうであればその犯人もつらいよなぁと思った。
2005年4月13日 今日はあるケニア人が私を訪ねて来ました。彼の話を聞いてみると、日本の大学で学びたいということで私にアドバイスをくれないかということでした。資料請求もしていたようでその資料を見せてもらったのですが、確かに九州のある大学が海外からの留学生を募集していました。もちろんケニアにも日本の大学で学ぶために留学する人たちはいますが、何かの支援がない限り現実問題難しいことは言うまでもありません。彼の学びたいという気持ちはとても素晴らしいと思う。しかし、国内のナイロビで学ぶのとは違い、4年間日本に住んで大学へ通い勉強するということは、お金の面ももちろん言葉の面などいろいろと困難なことがあるはず。学びたいという気持ち、ただそれだけではどうすることもできないことに彼も真剣に向き合っていたようです。
2005年4月7日 今日でケニアでの生活も丸一年を迎えました。いや〜、めでたい!!一年前、日本からケニアに到着したときは一年後の自分なんてぜんぜん想像できなかったけど、こうして過ぎると早い早い!この一年を健康で楽しく過ごせたことは本当に喜ばしいことだけど、仕事でももっと成果を残したいし英語ももっと上達したいと考えると、もっともっと頑張らなきゃな〜と少し焦りも感じる今日この頃。こないだ帰国された先輩隊員と話をしたときに「1年過ぎたらあっという間だよー。」と言われて、ホントにそう感じるんだろうなぁと思った。協力隊としてケニアに来れて活動できていることは、自分の人生においてもとっても有意義なことだと最近つくづく思う。頑張りすぎず頑張ろう!!
2005年3月26日 今日は、ある先輩隊員が活動満了ということで日本へ帰国しました。ケニア隊員は毎回、帰国隊員を空港まで見送るということを行なっており、先輩隊員の見送りも私にとって今日で3回目となりました。毎回毎回いろいろな別れがありますが、今回は先輩のケニア人の同僚、教え子たちも見送りに来ていました。先輩は涙もちょっぴり見せていましたが、最後までかっこいい先生姿で教え子一人ひとりに声をかけている様子を見て、率直にすごいなぁなんて思ったり。。。ケニア人みんなに愛されて活動していたんだなぁとうらやましく思いました。2年後の帰国時、私はどんなふうになっているかなぁ。
2005年3月22日 今日は、ある先輩隊員の職場に見学させてもらいに行ってきました。そこはケニア東部のワタムというところにあり、海岸線に位置しています。ワタムにはトゥクトゥクというバイクタクシーがあり、それに乗ると四輪のタクシーとはまたちがった景色を楽しめます。去年の4月7日に生まれて初めてアフリカの地、ケニアに降り立って、「あー、私ホントにケニアに来たんだー」と実感したのはケニアの木を見たときでした。今は当たり前のように毎日が流れていきますが、今日ワタムの木を見ながら、『月日の経つのははやいものだ、初心を忘れず現状に満足することなく前進しなければ!』と思った。
2005年3月20日 今日はケニア東部のモンバサというところでコースト隊員主催のBeach Clean-upがありました。ケニアには日本よりたくさん良いところも有りますが、私が一番嫌いなところはポイ捨てをどこでも平気でしてしまうところです。ゴミ箱を設置しているところが少ない、ごみについて土に返るものと返らないものの区別がつかないなど理由はいろいろあるのかもしれないが、バスの中からバナナの皮はもちろん、紙パック、買い物袋、ペットボトルなどホントに何の悪気もなくポイポイ放り投げるのです。今回この活動をしたビーチも本当にどうしてこんなにあるかなぁというくらいゴミがた〜くさん!!今日は協力隊員プラス隊員の職場のケニア人などが参加して行ないましたが、ケニア人だけでもぜひこの活動を続けてほしいと思いました。私たちは所詮、海外から来たボランティアであり、彼らの気持ちが変わらなければ私たちが行なっていることはそのときのみになってしまうので・・・
2005年3月11日 今日はエイズ患者、その家族をサポートするコミュニティヘルスワーカーの講習会に参加&お手伝いに行ってきました。私は部族語が簡単な挨拶程度しか分からないため、講師になるにはまだまだ時間がかかりそうですが、講習会に参加するのももう数回目になるため、内容はある程度把握できてきており、もっと改善すべき内容を加えていったらどうかと思うところもあったり・・・これからどんどん自分の意見を言っていきたいなぁと思う。
2005年3月10日 今日、ある友達のメールを見て思ったこと。こないだその友達にケニアに遊びにおいで〜とメールを送ったのですが、『ケニアにはたぶん行かないなぁ。アフリカって旅慣れている人じゃないとあんまり行こうと思わないと思う』と返信が来ました。たしかに、私も協力隊としてケニアに来る前はアフリカに旅行に行きたいとはぜんぜん考えていなかったなぁ。協力隊を受験したときでさえ、希望国をフィジーとバングラディシュにしたくらいだし(笑)アフリカは遠い遠い異国の地というイメージが強かったのに、今ではすっかりその環境にも慣れ、ケニアでの生活も1年を経とうとしている。人生はホントにおもしろいもんだねぇ。。こうしてここにいるまでのすべてのいろんな機会、出会いがありがたい!!
2005年3月6日 今日はナイロビのキベラというところに行ってきました。ここは、あいのりでも紹介されたケニアのスラム街の一つです。私はケニアに来て以来、そこへは一度も足を踏み入れたことがなかったのですが、日本から大学生が来ていて訪問のスケジュールが組まれているということで、私も一緒に行かせてもらいました。確かに、スラム街ということで、貧しくて学校に行けない子どもなどいろいろな人たちがいるのですが、みんな自分なりの生活を確立させていてなんと言っても明るい!これは今まで私が持っていたイメージをいい意味で崩してくれました。また、日本の大学生とケニアの大学生のディスカッションが設けられたのですが、技術革新、農業、教育、保健、政治など多岐にわたるトピックが用意され、白熱した議論が繰り広げられました。日本の大学生を見て、私が大学生のときはこんなに真剣に物事を考えてなかったなぁと思ったし、またケニアの大学生を見て、現在の途上国の地位からケニアをよりよい国にしていくために現在抱えている問題点などをしっかり把握できているんだなぁと、自分の耳で実際に確認できました。今日ばかりは、日本とケニアの未来は明るい!!そう思った。
2005年3月4日 今日は夕食を招待され、ある話を聞きました。協力隊員の中で、ケニアとマラウイの協力隊員が特にリピーターとしてアフリカに帰ってくる人が多いそうなのです。その理由は、派遣隊員数が多いということだけではなくその国で良い思いをしている人が多いからなのだそう。たしかに、ケニアの人々はフレンドリーでホスピタリティに溢れる人が多く、どの国から来た人に対してもウェルカムという態度で接してくれるところにはいつも感謝で、他の国じゃなくてケニアでよかったと思わされます。『アフリカの水を飲んだ者は、アフリカに戻る』私もこの言葉どおりになるかならないか??
2005年2月21日 今、私の職場には私を含む4人の従業員がいます。その中のあるケニア人は数ヶ月共に仕事をしているメンバーなんですが、彼は整理整頓というのがどうも苦手なようで、仕事で使うものや私が貸してあげたものなど、いたるものをその辺に置いて無くしてしまうのです。私は事務所に住んでいるので、フライパンやお皿など生活に必要なものを買い揃えても、気づいたら自分の家に持って帰ってしまっていたり。。最初はそれがホント我慢ならなかったのですが、最近はそれもだんだん辛抱できてきました。しかし、そんな中、これではだめだと思い、思い切って言ってみました。「私は事務所のお金で5本のペンを買ったよね?そのペンが2ヶ月も経たないうちにどうしてなくなるの?私たちはそんなにお金を持っているわけではないよね?私たちはペンにいくら無駄遣いしなければならないのかな?」私がこう口にすると、彼は「訪問者帳にサインしてもらうのに訪問者にペンを貸したら、返してこないんだよ。」というだけなのです。それは確かにそうかもしれない。しかし、私の目から見たらどう見ても訪問者から返ってこないという原因より彼が使ってどこかに無くしているほうが絶対的に多いのです。彼は同職場に以前働いていて本社が給料が払えなくなって一度辞めさせられたことがあるといういわば出戻りなのですが、再雇用をした今もまだ本社は彼を信用しきれていない様子。そういうこともあって、彼にはちゃんとした仕事をして彼自身の力で信用を取り戻してほしいと、私ができる範囲では助言しているのですが。。こういった事でさえも素直な心を持って、現実を見つめられないようでは。。。
2005年2月19日 ここ最近、ずっと停電が続いている。私の住んでいるところは雨が降るとよく停電をするのだが、ケニアでは電線が切れたとかそういうアクシデントが起こらなくても、役所がしばしば電気を切るということがあると聞いたことがある。節約のためなのか何なのか知らないが、どういう基準で電気を止めるのかはっきりしてほしいもんだ(怒)電気がないため冷蔵庫の中身は異臭を放っているし、PCも使えないためホント困る。。こういうことがあると、日本ってすばらしい!って実感するねぇ。ふう。
2005年2月16日 ケニアは基本的に、手紙などの受け取りは日本のような配達制度ではなく、自分の私書箱を作ってそこに取りに行くという形になっています。今日、職場の私書箱にJICAからの郵便物が届いていたのだが、その中身を見てビックリ!大きい封筒1つの中に、日本からの手紙や同期隊員からの手紙、連絡通知など全てが入っていたのだが、内容が12月のものもあれば(←これはまだ仕方がない)、どう考えてもこれは7月のものじゃないか?というものがあったり。。7月に手紙をくれた友達、連絡遅くなってごめんよ〜。
2005年2月15日 今日夜8時くらいにピンポンと家のベルが鳴って出てみると知らない女の人が。でも、その女性は私に話したいことがあると言うのです。まぁ、今は同居人もいるし大丈夫かなと思い、中に入れてあげるとびっくりすることを話し出したのです。その女性は、ボンドで私のことをいろいろ助けてくれていたケニア人の友達の妻で、「彼は最近窃盗グループに属して盗みを犯して警察に捕まってしまった。私はそんな彼と別れたのだが、子供もいるし今妊娠中で働くこともできない。だから、200Ksh(約2.5ドル)くれないか?」と言うのです。彼がそんなにお金を持っているわけではないというのは知っていたが、ちゃんと自分の店を持って仕事もしていたので、とにかく信じられなかった。。日本に居るときと比べて、「あの人のことは信頼していたのに・・・」と思わされることが絶対的に多い。ある人は「信じるから裏切られる。信じていなかったら裏切られることはない。」と言っていた。途上国で生活する中で、仕事をする中で大きな大きな議題である。
2005年2月14日 今日からカナダ人ボランティアと同居している。私の職場はしばしば外国人ボランティアを受け入れており、同居も珍しいことではない。彼は25歳でつい最近大学院を出たらしく、なかなかインテリなようだ。ケニアに来て10ヶ月経ったのに、いまだ耳がネイティブスピーカーの英語に慣れなくて悪戦苦闘中だが、英会話力上達のためにも、彼といろいろと話ができたらなぁと思う。
2005年1月30日 今日は自分のノートPCをネットカフェに持ってきてメールを送ったりHPの更新をしたりしてます。日本の友達にメールを送るとき、日本とケニアは6時間の時差があるので、ケータイにメールを送るときにはけっこう注意したりしてます。だいたい正午〜夕方くらいにメールをやりに出かけるのですが、ケニアのPM3時にメールを送ると日本のPM9時に着くという計算になるのでちょうどいいかんじ。
さっき、ある日本人の方が作っているBBSを訪問してきたらそこで‘おばんです’という挨拶を発見!!いろんな言葉があるもんだねぇとしみじみ。。。
2005年1月24日 今日は同期の隊員と後輩隊員と一緒に、ナイロビにあるビレッジマーケットへ行ってきました。名前はビレッジマーケットでもここは近代都市ナイロビの中でも、1位2位を争うくらいアフリカを感じさせない空間です。たしか、あのあいのりでメンバーがボーリングをやっていたのもここだったような。。その他、フードコートもなかなか充実していたりして、とにかく外国人がいつもいっぱい!!そんな中、私たちは映画館へ行ってOceans twelveを観てきました。最近のノンノを見たときこの映画について書いてあった気がするので日本でも今時期にやってるのかなぁ。こちらではもちろん英語でみんなが話していて、字幕もなかったので内容が半分くらいしかわからなかった。。。負けず嫌いの私にとっては、映画を観ている間にケニア人が笑ったりすると、どうして笑ってるのかわからなくてくやしかったりねぇ(笑)
2005年1月16日 今日は知り合いがジーンズをほしいと言うので、ジーンズ探しの旅に行ってきました。その知り合いはジーンズはどうしてもリーバイスでなければいやだと言うので、行く先々で「リーバイスのジーンズがほしい」と言っているのに、無名のジーンズだのLeeだのラングラーだのを持ってくるのです。「だからリーバイスじゃないといやなの!」と言って、「これだよ、これ」とリーバイスジーンズを指すと、「あぁ、レビースね」と言われてしまいました(笑) ケニアではLevis=レビースのよう。。レビースってそのまんまやないか!!(苦笑)
2005年1月15日 今日は仕事が休みのため、キスムへ行ってきました。キスムは私の住んでいるボンドから車で約1時間半のところにあるケニアの中でもかなり大きな都市です。ボンドではインターネット&メールができない(正確には日本語が使用できない)ため、日本の情報収集&日本の友達にメールをしたいときはキスムへ行かなければなりません。こないだ他の国の協力隊の友達から来たメールには、自宅でネットが使えそれもADSLと書いてあり、それを読んだときはヘコんだ。。お金をかけて1時間半せまい車内に閉じ込められ移動して、おまけに運が悪いときは1つのメールを送るのに15分もかかっている私。これも日本に帰ったら、いい思い出になるのかぁ???
2005年1月12日 今日は今年の仕事初めというかのように、講習会を開催したり仕事に必要な多くの物の搬入をしたりと忙しい日であった。日本での生活もそうだったが、私はやっぱり暇よりも忙しいのが好きなようだ。協力隊参加のために仕事を辞めるまでは、仕事・バイト・ギターサークルと三足のわらじで睡眠時間も2時間とかだったのを思い出す。。まぁ、それはおいといて、今日ある報告書を書いていたら日本語で書くものを何の気もなしに自然に英語で書いていた自分にビックリ!!環境が変わるとこうも違うの!?
2005年1月11日 きのう日本にいる母から電話がきた。父は会社でノートパソコンを使っているのだが、私の実家にはPCはなく、もちろんインターネットもできなかった。しかし、ようやくPCを購入したらしく、もうすぐネットもできるようになるらしい。こりゃ、めでたい!これからは頻繁にホームページの更新をしなければ催促のメールが来そうだなぁ。日本にいたときとはちがって、ケニアにいるとコンセントの形も違えば、何か起きたときに不安だから変圧器も用意する。それからPCの電源をつないで。。と準備するのもやや手間がかかる。日本にいたときみたいにPCの電源ボタンを押せばすぐ利用できたらもっとこのホームページもナイスデザインになるのにねぇと思う今日この頃(笑)
2005年1月10日 今日は仕事の関係で、見積書を手に入れるために、医薬品配給会社2社に飛び込みで行ってきました。一応、リストを持って行って「こんな薬がほしいんだけど見積書を作ってくれないか」と頼むと両方とも「じゃあ作っておくから、〜時にもう一回取りに来て」と言われました。
ケニアの良いところはアポなしでも、どんな人でもいつでも歓迎してくれるところ。けど、やっぱりケニアだなぁと思うところは、時間通りに行ってもできてなくてそれからやり始めるんだよなぁ。ある友達はこんなようなことがあってちょっともめた時に、ケニア人に「日本人は厳しいなぁ」やれやれというような態度をされたと言っていた。。異文化理解異文化理解。。。
2005年1月9日 みなさん明けましておめでとうございます。このホームページを作ってかなりの月日が経ちましたが、その間に日記を書こう書こうと思ってズルズルきてしまったなぁ。今までのケニアにいた9ヶ月の間にも日本とは違った習慣やケニア人の考えに葛藤して何かに残しておきたいと思うことが何回もあったので、新年になって気持ちも新たになったことだし、これからなるべくたくさん起こった出来事、感じたこと書いていけたらと思います。せめて月1ではホームページ更新するぞー。オー!
最近、ある日本のグループのアルバムを聴いていいなぁと思った詞のフレーズ↓ ケニアの生活にも日本にいる大切な人達に対しても当てはまるなぁと思った。
「回り回るよ 全てのことは
人の痛みが分かる人は みんなを愛せるということ
思い思われて生きていくこと 僕らはみんなどこかで
いつもつながっている そう、つながっている」
Diary
日記