「北京へ行って来た」 2000年3月
北京へ行って来た。
3泊4日と長くはなかったが、自分なりに満喫しきった感がある。
北京行きが本格的に決まったのは、出発の10日前であった。
メンバーは中国語の授業をとった者全員である。しかし全員といっても3人だけだ。私たちの学部で必修でもなんでもない中国語をとる人など、そうそういないのだ。
早速旅行会社へ行き、北京行きの手続きをした。
書類を書くときに、間違えては新しい紙に書き直しを繰り返し、旅行会社のお姉さんを困らせるなどのトラブルはあったが、本当に北京行きが決まった。まさか本当に行くとは思っていなかった。いよいよ冗談ではなくなってきたなぁという感じだ。
私たちの乗った飛行機のスチュワーデスは中国人のようであった。
そこでここぞとばかりに入国カードの書き方について簡単な中国語で質問した。
だが、彼女の答えが中国語であった事は言うまでもない。あたりまえである。中国語で質問すれば中国語で答えるハズだ。しかし私は予想だにしておらず、彼女の言っていることが何もわからずに、ただうろたえるばかりであった。結局友人が英語で済ますはめになった。
しかし、その英語も北京では全くと言っていいほど通用しなかった。
「thank you」も「OK」も通じないのだ。OKの手の形ですら伝わらなかった。レストランでは英語のメニューを用意してあるのだが、店員に英語はほとんど通じない。北京で英語を聞くと安心する程であった。ついでに言えば2年間ならった私の中国語も、ろくに通用しなかった。現地では発音がシビアなようである。
私たちの泊まったホテルは「中烟金山飯店」という比較的新しいホテルのようであった。おかげで、タクシーの運転手が場所を知らず非常に苦労した。
しかも、「中烟(煙の中)」と言うだけあって、排気ガスで煙っていた。10階の自分の部屋の窓はとてもじゃないが開けられなかった。
しかし設備は値段の割にはよかった。
その中で気になったのが歯ブラシについていた歯磨き粉だ。ロッテのフルーツガムの味がしておいしかった。私はあのガムが好きなのだ。ホテルの歯ブラシは毎日新品に変わっていた。どうせならついでに歯磨き粉の味も毎日買えてもらえたらと思った。
北京の交通事情にはおどろいた。優先順位が車→自転車→人なのだ。「車がクラクションを鳴らして人に近づけば、人はどく」というようなカンジである。また、人も非常に適当に道路を横断しているのだ。青梅街道(ローカルで失礼)の交差点のないところを歩いて横断する事を想像していただきたい。環八の中央を道に沿って歩くことでも結構だ。車線変更などは、さながらレースゲームといったところだ。車は歩道も走るし、自転車は空港でも走っていた。人は高速道路の出口の分岐地点で、立って人待ちをしていた。車を運転する人の腕前はものすごいに違いない。
一日目は中国現地の旅行会社が用意してくれたツアーであった。だいたいパターンとしては「観光→そこの土産屋でお茶の休憩」というような感じであった。
店員の熱烈に勧める商品を断るには気力がいる。いいかげん3回くらいそのパターンを繰り返すと、茶がでてきただけでうんざりしだした。
漢方薬の研究所の様なところでは、白衣を着た東洋医学の医師の様な人が、流暢な日本語で漢方薬のすばらしさを講義した。
その後数人の医師が、脈を見て人の健康状態を見るという行為を「サービス」で行ってくれた。そのときに、医師に自分の健康状態についての質問を受けた。健康が自慢の友人は特に言うことがなかったので、「いたって健康だが少し酒を飲む」と答えた。診断結果は「肝臓に注意」と言うことであった。もう一人の友人は「アレルギーである」と診断されたそうだ。見ればわかる。彼の肌を見れば想像に難くない。
私にとって、漢方薬の信頼が少し欠けたような気がした。私は漢方薬を勧められるのは御免だったので診断を断った。その時にも茶が出されていたという事は言うまでもない。
後で知ったのだが、その研究所は中医の権威であるそうだ。だが、近所の薬屋のおじさんが勧める漢方薬の方がよっぽど効きそうであった。
土産屋には日本の物のような品物もあり、欧米人には見分けがつくのか疑問に思った。
また、故宮博物館という中国の伝統ある博物館の土産物屋では、チャイナドレスの横にヴィトンのバッグが陳列されていたりもした。なんだかだんだんとバカらしくなってきてしまい、ろくに土産は買わなかった。
茶の有名なお店では、チャイナドレスの女性が中国式に茶をたててくれて面白かった。
そこでは、フィルムのケースを少し小さくしたような可愛らしい湯飲みで茶をいただいた。その湯飲みの茶を3口で飲むのが礼儀らしい。
しかし、入れ立ての茶を3口で飲むのはかなり困難であった。そして立て続けに様々な茶を10杯程度飲んだ。隣のOLは小さい声で「にがーい」と茶を飲む度に言い続け、その度に友人の足を何度も踏んでいた。
そこで飲んだ茶に面白い物があった。一杯目はとても苦く、二杯目は普通においしく、三杯目は甘く感じるのである。チャイナドレスの女性は「にがい、うまい、あまい」と独特のイントネーションの日本語で説明していた。
そのフレーズが私にはどうしても憶えられず「にがい、うまい、マズイ」だとか、「にがい、マズイ、うまい」などと、どこかに必ず「マズイ」が入ってしまい、その茶を購入する際にお店の人に何度も言いそうになった。
また、彼女がその茶の名前を、「安い茶」と言っているように私には聞こえ「何で安いお茶なのにこのお茶だけ値段が高いんだろう」と本気で思った。その茶を買う際にまさか「安いお茶一つください」と言うわけにもいかず、あのフレーズを持ち出して購入した。
ホテルへ帰ってから気づいたのだが、その茶には「野生茶」と書いてあった。そういえば野生の茶がどうのこうのという話をしていた。
お茶をいただいている時、私は茶の熱さとあのフレーズの間違いが頭の中で何度もリフレインしていておかしくなってしまい、笑いをこらえるのが精一杯で、野生の茶の話どころではなかった。また、茶を入れながら説明している女性の話す日本語が早口で、独特のイントネーションも手伝ってか、2秒ほど気を抜くと日本語に聞こえなくなってしまう事もおかしさを倍増させた。
ある意味このお茶屋は、この日に見た万里の長城よりも楽しかった。
ある程度主要な名所を回ると、後は自由行動となった。そのときにガイドが「京劇」と「足つぼマッサージ」を勧めてくれた。私たちはさんざん迷ったあげく、足つぼマッサージへ行くこととなった。
京劇を日本の大学で、現地の方を呼んでまで上演していた私たちの中国語の先生には申し訳が立たないが。
案内されたマッサージ屋は、外観も部屋の中もまるっきり日本のカラオケボックスであった。あんな感じの部屋にソファーとテレビである。
その部屋で、手、足、背中とマッサージを受けた。そこの女性達は気さくな方達で、非常に楽しかった。英語はもちろん通じないのだが、なんとか中国語が通じて少し話ができたのだ。しかし、そのせいで私は一時たりとも気を抜く事ができなかった。私以外の二人の友人はたいそう堪能したようだった。言葉がわからなければわからないで、割り切れてリラックスできたのだろう。
その後はガイドの案内する庶民の食事処で夕食となった。
北京に住んでいる彼女もよく利用する所と言うことで、格安の値段で食事ができた。山盛りの5皿の中華料理が、一人20元(約250円)であった。5人で2/3くらいしか食べきれなかった。日本人には多すぎるようだ。
二日目は全日自由行動であった。
まず私たちは天安門広場へとタクシーで行った。その時、やはり私の中国語は行き先を告げる「天安門広場」ですら通じなかった。
天安門広場では広いと言うだけで異常に楽しかった。それだけで相当はしゃぎまくった。
その後は天安門広場にある毛沢東主席の記念館へ行った。
そこでは荷物を預けなくてはならないのだが、記念館へ入場する人の流れを見ても預ける場所がわからなかったので大変困った。仕方がないので、入口で誘導員に聞いたら「荷物は対面だよ」と中国語で言われた。私たちは入口の反対側に回ったがそれらしき所は見つからなかった。再度入口へ戻って今度は優しそうな公安の人らしき男性に筆談で訪ねると、記念館の入口に面する道を隔てて立っている建物を指した。そこには「荷物預かり所」と中国語でかかれた看板が大きく掲げられていた。なるほど・・・対面とは。
道を隔てて立っている荷物預かり所は、周囲にある土産物屋にとけ込んでいて、とてもじゃないがそんな場所にあるとは思えなく、気づかなかった。
記念館の回りを無駄に40分くらいかけて2km以上も歩いた私たちは、看板を見た瞬間あきれかえった。
記念館の中には毛沢東の生きているときの状態をそのまま保存してある死体が一つ展示してあるだけだった。それも上野動物園にパンダが来た時のように、立ち止まって見ることは許されなかった。2列にピシッとならんで静粛にして、公安の人が先導していった。いつも冗談ばかりやっている私や友人も、ここでバカな真似をしたらタダじゃすまない雰囲気を感じ取ったので真面目にしていた。そのようにして、ノンストップで入り口から出口まで10分もしないで終わった。
そろそろ昼時になったので、王府井(ワンフージン)という繁華街へそこから20分ほど歩いて行った。そしてそこの百貨店のレストラン街で昼食となった。
北京といえど、百貨店にあるレストラン街はあまり日本と変わりはなかった。きょろきょろしながら田舎者の様に歩いていると、小ぎれいなガラス張りのお店を見つけた。
中の様子をうかがうと、客は皆しゃぶしゃぶを食べてる。私たちは「どうやらしゃぶしゃぶ屋らしい」という結論に達した。
客も多く比較的大きな店なので、私たち外人も安心して入れると思い何の躊躇もせず店に入った。が、ここは北京。ここでもやはり日本語はおろか英語も通じなかった。
バイトらしき若い女性をさんざん困らせ、数名の店員が私たちを取り囲み、彼ら総出で腕を組んで筆談による中国語と英語を解読し、何とか私たちは注文を終えることができた。
しかし、いざ料理が来てみると何が何やらわからない。いくつかは類推して判明したのだが、どうしても一つだけ最後までわからない物があった。それはしゃぶしゃぶの肉なのだが、いったい何の動物の肉で、どこの部分かもわからない。
食事中に犬の肉やら、動物の耳やら、臓物の壁などといろいろな憶測が行き交った。唯一わかった事と言えば、マズかったという事実だけであった。
この店では自分の湯飲みの中の茶が少なくなると店員が勝手についでくれるのだが、そのつぎ方が非常に豪快であった。装飾の施された大きな金属製のやかんを、偉そうな格好をした人が肩に担いでまわり、40cmはあろうかと思われるものすごい長い注ぎ口を、湯飲みから10cmも離れた所からつぐのだ。
もちろん茶がこぼれるのだが、そんなことは気にしない。北京では、茶はこぼれて当たり前のようであった。そうは言うが、茶をつぐ人は相当の訓練を積んでいる偉い人に違いない。バイトの女性が茶をつぎに来ないわけだ。
あまり満足しなかった食事の後は、麒麟大厦(キリンプラザ)という百貨店へタクシーで向かった。
この店へ行くことは、旅行に行く前から既に決めていたのだ。ここでチャイナ服のオーダーメイドをしようと計画していたのだ。
「ここでは英語が通じるから安心だ」などど本に書いてあったのだが、英語が通じたところで私たちにはほとんどどうしようもない。しかし、行けばなんとかなるだろうと思っていたので気にせずチャイナ服の店へと向かった。
行ったはいいが、英語を話せる店員が見あたらない。例のごとく店員のおばさんを困らせた。うだうだしていると、スーツを着た小柄なお姉さんがやってきて「Can you speak English?」と話しかけてきた。
案外中学校からやっている英語は役に立つものである。何の滞りもなく普通にオーダーができた。自分が英語を普通に話しているのが嘘のようであった。この時に「自分は知らない間に、相当英語ができるようになっていた!!」と感動した。が、帰りの飛行機で、その自信は勘違いであるとすぐに思い知らされる事になる。
スーツのお姉さんは「600元(約7500円)で出来る」と最初に言っていたのだが、いざ会計の段になってみると、手間賃600元、材料費400元、郵送代300元。あわせて1300元(約16250円!)と言われた。郵送代を引いたとしても400元もの差はいったい・・・。英語がなかなか通じなくて、手間賃が高くなったのだろうか。
ここでチャイナドレスを買った私と友人1人は脱力してしまい、放心状態となった。おまけに手持ちの中国元がほとんどなくなり、これ以上何も買えない。仕方なくホテルへ両替をしに戻ることになった。
ホテルへ帰ってから、夕飯の作戦会議を開いた。
昼食の時の事を考えると、あまり現地の人にしか知られていない店へ行くと、私たち外人が食事をするのは困難な事だと思うようになった。
そこで、日本で買った本に載っている店へ行けば問題ないだろうという結論に達し、本を調べ始めた。コンセプトとしては、「本に載ってる」「北京ダックが食べられる」「高くない」だ。
とりあえず「北京ダック」「メニュー」「お勘定」の単語を辞書で調べ、本に紹介されていた「地元の北京っ子にも人気で、100年の歴史を持つ北京ダックの老舗」へとタクシーで向かった。
だが、タクシーのついた場所がどうもおかしい。本の写真と明らかに違うのだ。確かに北京ダック屋ではあるが、ここは行こうと思っていた店の隣の欄に紹介されていた高い北京ダック屋だ。そんな金はもはやどこにもない。
私たち一同は、他のタクシーの運転手に本を見せて、「行ってくれ」と頼むと、「目の前だよ」と言われた。私は毛主席記念館の「対面」の事もあったので、何度もその建物を確認したのだが、やっぱり違う。これは高い北京ダック屋だ。
さらに他のタクシーの運転手にまたもや本を見せると、その運転手はタクシーを降りて他のタクシーの運転手となにやら話をしだし、「そのタクシーに乗れ」と私たちに指示した。指示されたタクシーに乗るとやっとつれていってくれた。何がなんだかわからない。
そしてしばらくすると、大通りから出ている小道の曲がり角でタクシーが停車し、運転手に降りるよう言われた。どうも北京ダック屋には、その小道を歩いて行くらしい。
ようやく食事にありつけると思い、早足でその小道を進んで行くと、荒れ寺の様な建物が目に入った。
そう。安い北京ダック屋はつぶれていたのである。100年の歴史が、ここ数年で幕を閉じたらしい。
見栄っ張りな私たちは、門の外れた北京ダック屋を何事もなかったかのように通り過ぎ、しばらく進んでから、キョロキョロして大通りへと引き返した。
つぶれているなど、想像もつかなかった。 私たちはすっかり意気消沈し、途方に暮れた。
仕方なく北京ダックをあきらめ、本に載っている「そう高くない」小王府家常菜館という北京料理の店へとタクシーで移動した。
タクシーは薄暗い路地へ入っていき停車した。私たちはもはやあの本が信じられなくなっていたので、また店がつぶれているのではないかと疑った。
だが、目的の店が営業中であることがわかると、運転手に「謝謝!」を三人で言いまくった。
店構えはこじんまりとしていて、民家が店になったかの様であった。
オロオロと中にはいると、さわやかな青年が話しかけてきて人数を聞くと、私たちを店の奥へと案内してくれた。
店の中は広くはないが、とても明るい雰囲気でたくさんの客で賑わっていた。中には欧米人もいたようだ。椅子や机は中国風であったが、カウンターや煉瓦が西洋風の様な印象を受けた。
店の中心には「2000年おめでとう」の装飾とともに、紙で出来た謎のエッフェル塔が2つ対をなし、棚の上に飾られていた。店内はパリをイメージしているのだろうか。
もはやここまでくると、中国語で注文を受けたりするのもいい加減なれてきた。
先ほどの青年に注文を告げ、「北京ダックはないか?」と聞くと厨房へ聞きに行ってくれたが、残念ながらもう終わってしまったらしい。
結局、北京で北京ダックを食べるという大いなる目標は達成されなかった。だが、この店の料理があまりにもうまいので、そんなことなどどうでもよくなっていた。逆に、北京ダックをあきらめ、この店へ来てよかったように思えた。それほどうまかったのである。店の雰囲気、店員の態度、値段も文句なしであった。
おそらく今度北京へ行く友人がいたら私は、「ああ北京? だったらとりあえず小王府家常菜館には行っときな」と知ったふりして言う事だろう。
この日の夕飯は大満足であった。店を出るときまで、あの青年は実にさわやかで誠実であった。
その後、タクシーを3回ひろい直してホテルについた。夜10時ともなると、タクシーの運転手は自分の知らないホテルなどへはお客を運んではくれないようだ。
その日の夜も、いつものようにホテルで仮眠をとった。北京へ来てから、私はホテルで熟睡できなかった。いつも仮眠のようであった。
寝ている時間も惜しかったのだ。ガイドとともにバスに乗っても、タクシーで移動しても、帰りの飛行機でも、中国では瞬きを忘れるほど周囲を見ていた。目に入る物すべてが興味深く、観察しがいのある物であった。
翌日、早く起きて帰り支度をして、ガイドとともに空港へと向かった
帰りの空港でも興味深い事があった。
飛行機が出るまでまだまだ時間があったので、私たちは喫茶店に入った。そこでエビアン、エスプレッソコーヒー、アイスコーヒーを注文した。
会計の際に、空港を中国だと思ってはいけないと思った。全部で135元(約1687円)もしたのだ。
空港では米ドル、日本円、中国元での支払いが可能なので、もう私たちは中国元をすべて日本円に両替していた。
だが、見せられたレシートは中国元で書いてあった。
私が日本円での支払いを要求すると、ウェイトレスは「2000円」と答えた。そして、しばらくするとお釣りが帰ってきた。
50円玉と1元札。一体これを私たちにどうしろと言うのだろうか。
その時は大笑いして、1元50円のお釣りを受け取るのが精一杯であった。後で計算してみたら、為替の変動はあれど、だいたい250円くらいのお釣りがかえってこなかったようだ。
空港では不思議なことが起きるものだ。
理不尽なお釣りを受け取った後、そろそろ時間だと思い20分位前に喫茶店を出ようと準備をしていると、なにやら機長のような格好をした偉そうな中国人が近づいてきて、「東京へ行かれる方ですか? そろそろ出発のお時間ですので・・・」と片言の日本語で話しかけてきた。
私たちは焦って、急いで支度をして喫茶店をでようとした。
すると機長は親切にも「お忘れ物はないですか?」と訪ねてきた。
空港の中国人に日本語で話しかけられた私は、もはやワケがわからなくなり、何語で答えていいのか迷ったあげく出た言葉が、日本語で「モン・ダイ・ナイ・デ・ス〜」とまるで外人が喋る日本語のような発音であった。おそらく機長には意味が伝わらなかった事だろう。
結局飛行機は予定の20分前に出発し、それから管制塔の指示を1時間近く待ち、40分以上予定の時刻から遅れて離陸した。空港では本当に不思議なことが起きるものだ。
こうして無事日本へ帰国できたのだが、日本についてから妙なことに気づいた。
北京から東京へ戻って、花粉症が再発したのは予想通りであったが、他にも予想外の事が起きた。
人の声をかなり集中して聞かないと、日本語に聞こえないのだ。例えば、人の話し声、他人の独り言、不意の呼びかけ、集中して見ていないTVなどがそうであった。これは、決して大げさに言っているわけではない。とても気持ちが悪かったのだ。だが、「ひょっとして中国語に慣れたのか!?」と思い、この現象が続くことを、密かに願った。
しかしその現象も、一晩寝るときれいさっぱり消えていた。
結局二年間ならった中国語も北京では、「謝謝」を言いまくり、中国語で「いいですか?」のゴリ押しであった。
当分は、もう中国語を使うことも学ぶこともないだろう。
もっとも、注文したチャイナ服が無事に手元に届けばの話だが。
後日…
二週間後くらいに、小さい段ボールに包まれてチャイナ服は無事に届いた。
「一ヶ月くらいかかる」と言われていたので、何が届いたのか一瞬わからなかった。またもや危険物かと思った。
で、早速試着。…これはとてもじゃないが外には着ていけない。
だが、16250円は決して無駄にしない。いつかどこかで着ようと思う。
〜日程〜
2000/3/11(土)
成田空港(機内は既に外国)
北京首都空港(めちゃくちゃキレイ)
中烟金山飯店(選べる限りの最低ランクのホテル)
2000/3/12(日)
天安門広場(車で通り過ぎただけ)
故宮博物館(これまたでかい)
土産屋&お茶の休憩(熱心な姉さん)
土産屋&お茶の休憩(そろそろお茶は・・・)
中国美術館(つまらなかった)
高速道路(リッジレーサー)
1500席の食事屋(1500席は無駄)
高速道路
万里の頂上(異常な坂の勾配)
高速道路(みんな寝るなよ)
北京中医薬研究所(建物内が正露玉臭かった)
全国農業展覧館-春来茶藝館(お茶のお姉さんが面白かった)
足つぼマッサージ(あやうく通いそうになった)
庶民風食事屋(量が多すぎ)
2000/3/13(月)
天安門広場(広いだけでもかなり面白い)
人民大会堂(外から見ただけ。ちょうど国会期間中)
毛主席記念館(荷物が・・・)
王府井大街(百貨店が面白い)
東来順(しゃぶしゃぶ有名店)
麒麟大厦(英語でよかった)
中烟金山飯店(両替へ)
全聚得焼鴨店(有名北京ダック屋)
便宜坊焼鴨店(全聚得↑の圧力によりつぶれたらしい北京ダック屋)
小王府家常菜館(素炒茄子がうまかった。次回も行こう)
2000/3/14(火)
中烟金山飯店(朝飯5分)
北京首都空港(ここを中国と思ってはダメ)
韓国上空(飛行機で通っただけ)
成田空港(空からゴルフ場)
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