「策士、策に溺れる」 2001年7月15日
友達の誕生日―。いつも一緒にいる友達には、さりげなくクールなプレゼントを渡したいものだ。
そんな友達への誕生日プレゼントには、「捨てるに捨てられなく、どうしようもない物を素敵にプレゼント」という万国共通の理解があるだろう。困らせてなんぼのモノである。
今年もそんな時期がやってきた。
今年はTシャツで行こう。プリンタで簡単に作れるアイロンプリントのTシャツだ。彼の顔を「ド〜ン!」と印刷したTシャツと、中国旅行の時の写真(図参照)のTシャツとで、2枚のTシャツを渡そう。そのようにしてたくらみは始まった。
去年は、彼に音楽CDを作って送った。アーティストは彼自身だ。だが、そのCDのパッケージの出来映えもあってか、若干喜ばせてしまった感があり不覚をとった。しかもまいったことに、彼のデビューを数週間信じ続けた人がいた。もちろんだますつもりなどは毛頭なかったのだが、あやふやな事になってしまい、引っ込みがつかなくなってしまったのだ。気まずいこと気まずいこと…。
渡す日前日になって、汗だくになりながらアイロンでTシャツに転写した。ここら辺の苦労ぶりが、無駄っぽくてなんとも言い難い。苦労している最中など、「オレはこのクソ忙しい中、一体何のために…」などと思ってしまうこともしばしばである。
しかもこのアイロンプリントが意外と難しい。熱する時間が短いと転写がうまくいかず、長いと転写用紙の接着部分だけが焦げたような色になってしまう。
1回目にチャレンジした彼の顔写真のTシャツは、ほんのり茶色がかってしまい、失敗してしまった。まぁ多少失敗ぎみ(いや見事に失敗)だが、おまけで一緒にあげるか。
2回目の中国写真のTシャツはコツをつかんだので、なんとか見れる物に仕上がった。
そして、某ブランドの紙袋へTシャツを詰めた。我ながら本格的な仕上がりだ。パッと見ただけでは、市販品と区別がつかないだろう。
しかし、そこで余計なことを考えてしまった。「本格的な仕上がりにこだわるんだったら、失敗作は渡すべきじゃないだろう」と。その考えは至極当然の物だ。そうは言うが、その失敗したTシャツってのは…。
彼の顔がプリントされたTシャツなど、いったい誰が着ようか。
当の本人にこのTシャツを渡すよりも、「どうしようもない度」が遙かに高い気がしてならない。だが、決して無駄にはしたくない。
無駄な苦悩の日々は続く。
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