「ミャンマーへ行って来た」 2004年4月25日


ミャンマー到着 03/12/28 成田→ヤンゴン
 「ミャンマーって…平気なの?」
 ミャンマーというと、観光といえどなかなか行きづらい国であるというのが、一般的な認識のようである。実際、私もその時まではそう考えていた。ヤンゴン行きの飛行機で結構な人数の日本人を見る時までは…。

 ヤンゴン国際空港へ着く。…なんだか暗くて閑散としている。カンボジアのシェムリアップを思い起こさせる。
 到着ロビーに出ると、「Mr. ○○」といったような名札を掲げ、人を待っている集団がいた。どこの空港でも見られる光景である。
 その中に私の名札を持つ男性を見つけた。日本にて、Air Mandalayの国内線の航空券を手配しておいたのだ。
 「受け渡し人は、確か女性のハズだが…?」
 などと相当ガッカリしつつも、そこら辺の空いているベンチに座り、その場で航空券の受け取りと、代金の支払いをした。
 左側の人がAir Mandalayの人、現地で初めて接したミャンマー人であった。巻きスカートロンジーをはいている。襟なしチャイナ服がクール。最後まで買う機会はなかったが。

空港タクシー
 空港を出たところでタクシーを拾おうとするが、つかまりそうな気配がない。第一、客の呼び込みすらしていないのだ。
 「珍しい空港だなぁ」
 と、うろうろしながら様子をうかがうと、どうやら空港内にあったカウンターで、タクシーの手配をしてもらっているようであった。
 5USDでタクシーを引き当ててもらうついでに、ホテルの紹介もしてもらった。
 どこの国へ行っても、空港ではホテルがわりと簡単に見つかるようだ。自分で探すよりも、簡単に、短時間で、安くてまあまあ良い宿にありつける事が多い。それにタクシーの運転手にホテルを紹介してもらうなどということよりも、遥かに安心できる。
 空港から市街へ出るまでの車内で紹介されるホテルと両替屋ほど胡散臭い物はない。ついでに言うなら、「明日はどこへ行くつもりだ?」から始まる、翌日のツアーの申し出もかなり怪しい。犯罪に巻き込まれそうであるといった類の怪しさではないのだが、金額的にはかなり疑わしい場合が多い。

笑いは大事
 比較的頼れると思っているのが、観光案内所の職員、ホテル受付のお姉さんである。中でも受付のお姉さんは、そこそこ親しくなるといろいろと面倒を見てくれる。
 「その金額は高い! あなた外人だから騙されているのよ」
 という貴重な話から、食事に屋台に連れて行ってもらったり、パーティーに招待してもらったり…等々。これがいっそう旅行を楽しくさせる一つの要因となる場合も。まずは仲良くなることだ。
 ホテルの人に限らず、現地の人と仲良くなるために、しばしば小ネタ等をやることも。ネタは多少古くてもベタでもかまわない。だが、シンプルで、普遍的かつなるべく当たり障りのないものを選ぶようにしている。実際には選ぶような物でもなく、恥がない分、反射的にでてくるものである。
 笑ってもらえたりすると、  「ここには我々以外に外人が一人も見あたらないが…。もしや迷ってない!?」といった様な不安な気分も一転する物だ。相手の反応が良くなり、何かと助けてもらいやすくなる。いままでにこのようにして何度助けられたか数え切れないくらいだ。

空港のポーターもどきに注意
 とはいえ、人間が相手なので、良いことばかりでもない。悪意があるのかないのか判断はつかないにしろ、いろいろな人がいて、人の数ほどトラブルもある。
 ホテルの従業員に部屋の備品を紛失した疑いをかけられたり、空港職員でもなんでもない、紛らわしいただの荷物運びが、チップ目当てで強引に人の荷物を運んだり。
 このなんちゃってポーターがこの国には多い。ちなみに不覚にも強引に運ばれた私の荷物は、私と一緒の便には乗らず、8時間遅れで最終便に乗って私の元へ届くハメになる。チップを払わなかったせいであろうか。
 その時の空港職員の対応にはありがたかったが、「できる限りのことはやった」という印象はまるで受けなかった。謝罪をしたり、低姿勢なのは良いのだが、「これ以上迷惑をかけなくするためには何ができるか」といった点で、対応の品質がまるでなっていないのだ。
 理解しがたい言い訳を聞く度に、「怠慢」としか思えなくなってきた。が、相手が航空会社という事で丁寧な対応を期待していた自分もどうかと思うので、「まぁこんなものか」と諦めた。荷物は戻ったので、余計な事を考えるのはやめにした。

ミャンマーの車
 空港のカウンターで引き当ててもらったタクシーのデザインに親近感を感じた。
 緑色の塗装に、白のライン。トランクにはLNGのタンクが見えた。元日本のタクシーの様である。
 この国では日本の中古車、バスが多く走っている。しかもその多くは日本で使っていた名残をそのまま残しており、「昨日まで社有車でした」といった様な会社のロゴが普通に入っている。
 幼い頃よく利用していたバスを見かけ、いたく感動したりもした。私のように昔の車を懐かしみ、喜ぶ日本人も少なくないとのことだ。しかしながら自分が昔へタイムスリップしている訳ではないので、見かける車はすべて古い。ボロい。車の底に穴が空き、穴越しに道路が覗けた車もあった。
 ちなみにLNGのタンクを積んでいたタクシーは、ミャンマーでガソリン車として再び活躍していた。
 梨花園のバスが。

空港から市内へ
 タクシーの、勢いの悪い自動ドアがゆっくりと開き、中に乗り込む。
 運転手と当たり障りのない会話をしばらくすると、お約束の様に明日の予定をきかれ、「タクシーで遠出プラン」を勧められる。
 頼む気はさらさらないので、いろいろと情報を聞き出しつつ、話をそらそうとした。
 が、うだうだしていると、これまでのお客のthank youノートを取り出して見せてきた。
 このthank youノート、どこの国でもあるようだ。彼らには、一度それが逆効果である場合もあるというを知って欲しい物だ。
 皆とても親切なのだが、旅行者にとってあまりにも無防備となる提案や気遣い(?)をしてくる。
 断る事で、若干空気は悪くなるが、「No Thank you」と言うことにしている。いつ犯罪に巻き込まれるかわからないので、彼らの親切をすぐにうのみにするワケにはいかない。
 キッパリと申し出を断った後の微妙な雰囲気の中、運転手は「No problem」と言ってはくれるが、あまりいい気分ではない。
 が、心機一転、「ミャンマー料理が食べたい」などと図々しく言い、ミャンマー料理屋へ行ってもらうことになった。そんなことはいちいち気にしていられない。

初! ミャンマー料理…か?
 着くとそこには「New Delhi〜」と看板がある、ニューデリーってインドじゃ…。
 「本当にミャンマー料理が食べられるのか?」
 ときくと、カレーも立派なミャンマー料理だという。地理的に考えても、それも一理あると思い、その店に入った。
 気付くと、そこにはインド系(インド人そのもの?)の従業員しかいなかった。
 「本当にミャンマーのカレーなのか?」
 と疑いながらもカレーを頼む。というよりか、カレー以外の選択がなかった。
 総菜数種、豆カレー、酸っぱくて辛くてしょっぱいスープ、カレールー、ライスが、よく見るアルミプレートに乗ってきた。
 後に何回も何回も食べることになるミャンマー料理の定番カレーセットである。

 私はチキンカレーを頼んだのだが、出てきたものは「チキンのカレー煮込み」であった。ルーがほとんどないのだ。カレー煮込みチキンには、ラー油の様な色の油が浮いたルー(?)が少しあるだけなのである。これをおかずに白飯を食べる。
 ある程度食べると、店員がやってきてチキン以外は補充してくれる。またある程度食べると、補充しにくる。それが延々と続く。さながらわんこそばの様だ。
 一時たりとも店員の「客の料理の残りチェック」の視線から逃れられることはできない。目を鋭く光らせ、少なくなれば間髪入れずにつぎ足しにくる。
 我々は「少ない滞在期間でいかに食事を楽しむか」ということを常々考えているので、一日に何度も食事をする。
 このときも、食事の回数を増やそうと、夕食の第2ラウンドを計画していたのだが、目の前ではライスや総菜が自動でどんどん盛られてくる。
 ふと、目の前に座っているK氏の皿に目をやれば、気のせいか始めの時よりも量が多くなっているように見えた。薄ら笑いを浮かべながら食事を続けていた彼の姿が印象的であった。

 その日、第2ラウンドを迎えることはなかった。あまり美味しくないカレーでいっぱいになった腹を抱え、ホテルへ行った。

ファーストフードショップ「Mac Burger」 03/12/29 ヤンゴン→マンダレー
 その日は、朝からマンダレーへ飛行機で移動するであったが、ホテルの朝食後、15分ばかり時間に余裕があったため、ホテル付近にあるMac Burger(マック・バーガー)へ行った。
 なにやら聞き慣れた感じがするこのファーストフードショップ。ガイドブックに小さく載っていたのが気になっていた。
 実は、外国へ行ったときには、ファーストフードショップ、コンビニ、スーパー、デパートなどは一通り見るようにしているのだ。何を売っているか、自国の品か輸入品か、建物はどうなっているか、トイレはどうか、客はどういう人が多いか、店員の振る舞いは、広告は…などなど。見るべきところはたくさんある。

 ホテルから5分くらい歩いたところにその店はあった。このPOPな色合いとデザイン。もはや説明など不用だろう。
 ロゴも激似

 観光名所を見るかのごとく店構えを眺めていると、少年がよってきて、「日本でも、こういうお店ある?」と私に尋ねてきた。
 「この少年がオリジナルの存在を知ったら、なんと言うだろうか。あるいはこの少年、オリジナルの存在を知っていてあえて聞いてみて、外人の反応を楽しんでいるのか…?」なども考えたが、「あ、ああ。日本にもこんなのあるよ」と、答えるのが精一杯であった。
 私はMac Hamを頼んだのだが、パンの中に入っていた物がハンバーグではなく、ハムであった。本当にHamなのである。「あぁ、HamburgerだからHamなのね…」と納得することにした。
 これがMac Ham。

 Mac Hamにはオニオン、キャベツ、スライスチーズ、マヨネーズ、トマトが入っている。いずれも生野菜だ。この場合サラダを頼む必要は特にないだろう。
 別に頼んだポテトは、形が均一でなく、所々揚げすぎていたりしていた。どれも、「初めて家で作ってみました」感が漂う。
 相当Mac Burgerで楽しんだため、15分どころでは済まなかった。気がつくと40分は過ぎていた。
 Mac Burgerのせいで、マンダレー行きの飛行機が危うくなるところであった。

 ちなみに、この後機内食を食べ、3度目の朝食をとることとなる。残すのは悔しいので、意地汚く全て食べた。食に一片の悔いなしである。
 と言いたいところであったが、未だ満足のいく食事をしていないような気がしてならない。食事の回数は、人の倍しているのだが…。

朝の散歩 03/12/30 マンダレー→バガン
 この日も、朝から飛行機に乗る必要があった。次はバガンで遺跡巡りである。
 キチガイじみた旅程のため、マンダレーには1日しか滞在できなかった。そのため、観光名所の1つである旧王宮へ行く時間をとれなかったので、朝の散歩がてら、旧王宮を囲っている堀を歩いてみようと言うことになった。

 水の張った堀はちょうど皇居のようであった。
 旧王宮の堀。マンダレーの朝は半袖では少し寒いくらいだ。

 堀を囲っている歩道は比較的綺麗に舗装されており、散歩をしている人が多々見られた。
 朝靄の中、堀の欄干に足をかけストレッチをしている人も多かった。体操ではなく、ひたすらストレッチなのである。流行っているのだろうか。
 ストレッチ

 静かで、冷たい朝の空気を感じながら、二人で黙々と歩いていた。この雰囲気を堪能するのに、会話は余計に思えた。ただ、歩き続けた。
 …ワケではなく、ただ、時間がないだけであった。息を切らせながら早足で歩いていた。会話をする余裕もなく。
 そして、二人思うことはただ一つ。「あそこに見える、王宮入り口っぽい橋くらいは行かないと、王宮へ行ったことにならない… なんとしても!」。
 そんな中、朝の静寂を突き破る銃声が耳に入った。距離はさほど遠くない。
 まず反射的に確認したのが、「自分は既に死んでいないか」であった。撃たれてから、数秒してバタリと倒れるシーンを想像していたからだ。
 胸に手をやり、急いでまさぐる。手が傷口に触れた感触がない事を確認した後は、手のひらに目がいく。血が付いていないかの確認だ。その後はすかさず顔を上げ、同行者を確認した。どうやら、彼も撃たれていないようであった。
 この間約2〜3秒であったが、あまりに希な体験であったため、自分の動作を克明に覚えている。
 後でわかったことだが、同行者も同じ一連の動作をしていたそうだ。映画や何かの影響であろうか。実際に撃たれたらこうはならないと思うが、二人とも自然に演じてしまったようだ。

 思いもよらず橋までに時間がかかったため急いでホテルへ戻り、「貴重な1食を逃すわけには行かない」と、飛行機の時間が差し迫っているのにもかかわらず、ホテルで無理矢理に朝食をとった。
 このホテルでは、マンダレー名物麺料理「モンティー」が食べられる。昨日の晩、ホテルに頼んでおいたのだ。
 にも関わらず、5分くらいで朝食を済ませたせいか、今やほとんど記憶にない。何やらパスタみたいな麺に塩がふってあり、あまり美味しくなかった様な気がする。
 他に記憶にあることと言えば、人のよいK氏が食堂に居合わせた日本人の話相手になってしまい、振り方に困っていた事くらいだ。時間がないので私はK氏を見捨てる事に決め、かまわずモンティーを食べ続けた。
 確かこれがモンティー。急いでいたためじっくり味わうことができなかった。

遺跡巡りは自転車で 03/12/31 バガン→ヤンゴン
 次の日は、バガンの遺跡群を自転車で見て回った。
 昨日はバガンの主要な遺跡を車で見て回ったのだが、やはりこういうところはレンタサイクルに限る。
 自転車で行きたいところへ行き、止まりたいところで止まる。どんな小さなところでも、気になったら止まって散策できる。気が済むまでそこにいられる。当たり前のように思えるこの自由が、車ではなかなか得難い。
 実は、レンタルできる自転車はほとんどがママチャリ。
 奇妙なことに、去年のこの日も同じようなことをしていた。
 そのときは、タイのスコータイ遺跡であった。強い日差しの中、ひたすら自転車をこいでいた。
 その時にレンタサイクルの楽しさを知ったのだが、あまりの暑さと疲労のため、「もう2度とすることはないだろう」と思ったハズだった。
 おそらく次も懲りずにどこかの国で、自転車で遺跡巡りをするのだと思う。無茶がきく間は、続けたいと。
 こういうところを自転車で気ままに走る。どこへでもいける楽しさがある。

ピカピカな仏像様
 ミャンマーには、至る所にパゴダと呼ばれる仏塔がある。人々が訪れ、お供え物をし、祈りを捧げる。生活に密着しており、またその一部でもある。ミャンマーを語る上では欠かせない存在だ。
 パゴダは新旧大小様々な物があり、崩れかけた遺跡の一部のパゴダもあれば、エレベーターで丘を登ったところにある壮大なパゴダまである。
 パゴダには仏像が安置されているのだが、異様なくらいにきらびやかに装飾されている場合が多い。仏像が電飾でチカチカと光っていたりするのだ。
 静かで、荘厳で、不変のイメージを仏像に求める日本人にとっては、違和感をおぼえる。
 ミャンマーでは不変よりも、「今最大限に目立たせたい、綺麗にしたい」といった考えがあるのかも知れない。生活にとけ込んだ存在ならば、なおさらであろう。
 個人的な楽しみではあるが、この先光ファイバーが登場したら、どのように使われるか見物である。
 ここでは、クリスマスツリー?が。

年越しラーメン
 バガンの遺跡を自転車で爆走した後、夕方に飛行機でヤンゴンへ向かった。1日ぶりに戻ってきたヤンゴンである。
 ヤンゴンの夜は早い。レストランもすぐに閉まってしまう。夜9時半すぎにヤンゴン空港へ着いたのだが、この時間に空いている食事どころを探すのが面倒くさくなったので、ガイドブックに載っているレストランへ向かうことにした。ラーメン屋だ。
 怖い物見たさもあったのだが、それ以上に「NHKの衛星放送が見られる」という店のうたい文句に惹かれた。今は大晦日の夜。「あの番組をミャンマーで!」という大いなる野望とともに、10時閉店のラーメン屋へ駆け込んだ。
 結局ラーメン屋に着くのは10時5分になってしまったが、店は開いていた。店員曰く、大晦日は12時まで営業しているとの事で、何とか食事にありつけた。
 しょうゆラーメンと餃子を頼んだのだが、予想に反し、意外と普通であった。外国でこのくらいの味のラーメンが食べられる事に驚いたくらいだ。
 普通のラーメン。ミャンマーでこれが食べられるとは思っていなかった。

 店内は広いし、クーラーもきいている(重要)。店員も丁寧。その上日本語までしゃべれる。極めつけに、大晦日ということで特別に作ったモヒンガーという麺料理まで振る舞ってくれた。
 そして、本日のメインイベントである衛星放送を店員にお願いした。なにやら苦労して準備をしていたが、遂に衛星放送がテレビに映った。
 日本語が聞こえる。…が、どうも例の番組の様には思えない。いつまでたっても始まる様子もない。  「チャンネルが違うのかな?」  とも思ったが、そうでもないようだ。一体どういう事であろうか…。
 「時差だ!」
 そう気がつくのにたいして時間はかからなかった。
 日本ではもうすぐ1時になる。こうして、野望は無惨にうち砕かれた。

 大晦日に年越しそばならぬ、ラーメンを、しかもミャンマーで、ただ食べただけであった。

感動の再会
 ラーメン屋でたらふく食べた後、前に宿泊していたホテルへ向かった。
 実は、1日目にヤンゴンに泊まったホテルで、この日の予約もしていたのだ。
「年越しパーティーをやるので来てほしい」
 と言っていたので、急いでいた。
 気づいたのだが、このラーメン屋は、意外とホテルから近い。自分の足が一番の近道になるということを直感した。若い二人にタクシーなど無用だ。
 と、思ってしまったのが間違いであった。街頭もほとんどない町中で案の定迷い、小一時間ほどかかってようやく見覚えのあるホテルへたどりついた。
 ワイルドな出で立ちでバックパックを背負い、フロントに軽く手を挙げてしぶく挨拶をする。すると、レセプショニスト一同がわき上がり、「二人が戻ってきた!」、「遅すぎるよ!」などと言い、皆で歓迎してくれた。
 あまりの喜び様と歓迎ぶりに、少しはずかしくなったが、かなり嬉しかった。ホテルに入るときに、クールに決めたのが功を奏したのかも知れない。食い過ぎ・ほろ酔い・汗だく・疲労困憊・睡眠不足な自分は、無理をして隠しておいた。
 一同に「もうこないかと思った」とも言われ、心配させて申し訳なく思った。が、「ヨカッタ、ヨカッタ」と喜び、屈託のない笑顔をする彼女らに向かって、  「途中でラーメン食ってきたせいで、相当遅れました。しかももう飲んでるんですよ」  とは言えなかった。何でラーメン屋なんて行ったんだったっけか…。

アジアンパーティー
 ホテルのロビーには大音声でダンスミュージックが鳴り響いていた。出所は吹き抜けになっている2階からで、そこでダンスパーティーが行われていた。
 極度の寝不足と疲労にで消耗しきっていたのだが、貴重な経験を逃すわけには行かないと、無理をして参加することにした。
 ダンス会場へ行くと、30名くらいの宿泊客がミラーボールの下で踊り狂っていた。まさに「踊り狂う」という言葉がしっくりとくる感じであった。
 ときどき音がゆがむ古めのダンスミュージックに、異常なまでにノリノリの人々。このような「いかにも」な異国情緒あふれるダンスパーティーは、日本ではなかなか見られないだろう。
 我々も「こ、これはさすがにはずかしくて踊れない…」と、バーカウンターの隅の方で、ひきながらビールを飲んで眺めていただけであったが、  「ここで参加しないわけにはいかない!」  と開き直り、ビール数杯を一気に飲み干し、まずは酔っぱらうことにした。「酔えばなんでもできるだろう」と。
 そして、踊り狂う人々の熱気に圧倒されながらも、酔いの勢いに任せて何とか混じることができたので、ヨロヨロと踊っていた。

 他人を観察すると、どうやら踊り方はなんでもありのようで、皆適当にやっているらしい。が、その適当に踊るのがなかなかやっかいで、どうしても同じようなパターンの繰り返しになってしまう。なぜ皆はごく自然に踊れているのだろうか。
 レセプショニストも踊る。

 この境遇で、普通の日本人が周りと同じように踊れるとは思えない。何よりも、テンション的に難しいように思う。異なる文化・風習でも、早いうちに吹っ切れて、混ざることが肝心のようだ。

 年越しの瞬間が近くなると曲がとまり、カウントダウンがはじまった。そして「Happy New Year!」と一斉に叫ぶ。
 その後は、「蛍の光ダンス版」が流れ出し、「Happy New Year!」と言って、知り合い、他人、レセプショニスト、西洋人、東洋人、誰これかまわず握手したり抱き合ったりしていた。
 年が明けたので、パーティーも早々にお開きとなった。
 ホテルの外からは、遠くで「Happy New Year!」と叫ぶ声が深夜まで聞こえた。

 この日の就寝時刻は午前3時。明日の起床時間は4時だ。相変わらずバカげたスケジュールである。

ゴールデンロックで初詣 04/1/1 ヤンゴン
 「ゴールデンロックには必ず行こう」
 ミャンマー旅行計画当初より決めていた。
 ゴールデンロックはミャンマーで最も有名な巡礼地であり、その山頂には、黄金の岩が不安定な状態で置かれている。崖から落ちそうで落ちないまま、千年もの月日が経っているそうだ。写真で見たことがある人は多いだろう。
 これがゴールデンロック。結構しっかり立っている。

 ゴールデンロックへはアクセスが悪く、ヤンゴンから非常に時間がかかる。明日帰国の為、日帰りをするしかないので、朝5時に出発した。まず向かう先は、長距離バスのバスターミナルである。
 …が、どうやらバスターミナルの場所が変わったようで、タクシーで迷いに迷った末、1時間以上も走ってたどり着いた。
 郊外にポツンとバスターミナルがあった。とはいえ、ターミナルは広く、バスの数はかなりであった。
 うろうろしていると、キンプン(ゴールデンロックの途中にある場所)へ行くというバスを教えてもらえたので、そのバスに乗り込んだ。行き先の看板がさっぱり読めないので何とも不安である。しかも乗ったバスは、帰りはここのターミナルへ戻ってくるのだろうが、ここは一体どこなのだろう。ホテルまで戻れるのだろうか。心配で仕方ない。というか、そもそもここはヤンゴンなのだろうか?
 早朝のバスターミナル。どこにあったのか未だにわからない。

 バスの中は混雑しており、補助席もほとんど使われていた状態であった。ギュウギュウ詰めな上に、座席も壊れていて何やら金具が出ていて痛い。このバスで4時間以上も移動する事を考えると、もう寝るしかないと思った。
 とはいえ、ここは外国。無防備な状態で寝るわけにも行かない。
 私は「2人でいる時には、常に1人が起きている」よう心がけている。我ながらすばらしい心がけであると思っているが、これを守ろうとすると、常に私が起きていなければならないことになる。
 いつでもどこでも寝るK氏。ホテルでも必ず私より先に寝る。

 バスの中でも早速K氏は寝だしたので、私だけでも起きていようとしたのだが、さすがに睡眠時間1時間ともなると、揺れるバスの中で起きていられるわけもない。
 そういう場合には、奥の手を使う事にしている。サングラスだ。
 サングラスをかけ、閉じた目を隠し、周囲の目を欺くのだ。その時、寝ていることがばれないような姿勢をとることも重要である。しかし寝やすさも重要なので、腕を組んだりしてなるべくリラックスした姿勢をとりつつ、起きているように見せかける。もちろん首がカクカクしたり、傾いたままであってはならない。首の固定は鉄則だ。
 自分ではかなり有効な手段だと思っているが、かなり長い間同じ姿勢の為、隣の人に気がつかれていないか心配になることもしばしばだ。効果のほどは未知数である。

 11時くらいにようやくキンプンまで着く。ここから先へはバスでは行けない。ひとまず休憩ということで、バスで知り合ったミャンマー人達と昼食を一緒に食べた。
 彼らはここから険しい坂を徒歩で登って巡礼にいくそうだ。一緒に徒歩で行かないかと誘われたのだが、今日中にヤンゴンへ帰らなくてはならないと、丁寧に断った。
 すると、レストランのオーナーらしき人が、「帰りのバスは2時が最終だ」と、とんでもないこと言った。ここから例の岩までは3時間はかかる。行って帰るだけで、午後5時になってしまう。電車は5時が終電との事だ。しかも駅まで遠い。タクシーではヤンゴンまで6千円程度(大金!)かかるらしいし、拾えるかどうかも怪しい。
 何とか帰る手段を考えようとあれやこれや聞いていると、「夕方このレストランに戻ってきたら、近くの街まで連れて行こう。バスが出ているかも知れない」と言ってくれた。その場にいた人たちに感謝を伝え、時間もないので早々にレストランを後にした。助けられてばかりである。

 ここキンプンから途中のヤテタウンまでは坂が急な為、バスではなく、トラックで行く必要がある。大型トラックの荷台に乗るのだ。
 トラックは、荷台がギュウギュウ詰めになるまで客待ちをし、人がもう乗り切れないというところでようやく出発する。
 こんな感じになる。乗客60人までは数えられた。

 私の乗った場所は運転席のすぐ後ろで、立ち乗りを余儀なくされた。
 「天気はいいし、風も気持ちがいい。何よりも景色がよく見える。立ち乗りもさほど悪くない」と思ったが、すぐに現実に気がついた。
 「日差しは強いし、風で目が痛い。ていうか、握る場所がほとんどないんだけど!」  隣にいた坊さんがにじり寄ってきて、私の握りをとられたのが痛かった。
 トラックが豪快にカーブする度に、死ぬ思いであった。この姿勢で1時間も乗っていることを考えると、耐えられる気がしなかった。
 「邦人2名 トラックから転落・死亡」の記事が頭をよぎった。
 隣の坊さんがくれた果物。ホントは食べたくなかったのだが、どこかへやるワケにもいかなかった、どうしようもない感じの手。

 幸い事故にも遭わずヤテタウンへたどり着くことができた。ここから山頂のゴールデンロックまでは徒歩である。
 ヤテタウンでトラックを降りる。ここから先には基本的にはトラックでは行けない。

 1時間ほど舗装された坂道を上ると、ようやく山頂のチャイティーヨパゴダに着く。ゴールデンロックがある場所だ。
 ここには家族で来ている人たちが多く、ピクニックのようであった。
 一面綺麗にタイル張りされており、神殿のよう。

 ゴールデンロックに近寄るためには、履き物を脱ぐのは当然の事ながら、脱いだ履き物を持って近寄ってもならない。厳しく係りの人がチェックしているのだ。試しに岩を押してみよう等といった行為は、する余地もない。
 ゴールデンロックの前ではお賽銭をあげたり、金箔を張ったりして祈っている。
 ゴールデンロックの表面。さわるとネトネトする。においはきつくないがちょっとイヤな感じだ。金箔についているノリのせいだろう。味は試していないのでわからない。

 見上げるとかなり大きく見え、壮大さが実感できる。そばで見ると、不安定さはあまり感じられない。むしろ安定感をおぼえるくらいだ。岩表面がなめらかではないので、色は光り輝く金色ではないが、かなり眩しい。
 ゴールデンロックを拝みに来る人は多いが、そこにキリリと引き締まるような緊張感は感じられない。近くの日陰に座り込んで、和気あいあいと談笑している人々を見ると、楽しみながら来ているといった感覚がする。パゴダが生活の一部であると、改めて実感した。
 ゴールデンロックはこんな場所にある。

 本当は、「生活の一部」とばかりに山頂でだらだらと長居したかったのだが、帰りの心配があったので早々に下山した。

 行きに立ち寄ったレストランまでたどりつき、オーナーと再会を果たした。
 彼は約束通り、近くの街まで車を走らせてくれた。
 その街で、ヤンゴン方面へ行くピックアップトラックを探し、我々を乗せて行ってくれるよう運転手に話してくれた。

 ピックアップトラックに乗り込むもなかなか出発する様子がない。また客待ちだろうと思っていたが、今度は荷物待ちであった。
ヤシの実が入ったパンパンの麻袋がどこからともなく運ばれてきた。そして、乗客にいったんおりろと言った。
 「あんなに沢山のヤシを、積むめるわけがない」。我々の前から乗っている乗客の人数を考えると、明らかであった。
 すると、彼らは麻袋を荷台の屋根に積み始めた。男3人がかりで一つの麻袋を持ち上げ、どんどんどんどん乗せていき、最終的に10個は優に越えている感じであった。3人がかりで、ようやく一つの麻袋があがるところを見ると、相当思いに違いない。全部で1tはありそうだ。
 屋根に乗り切らなかった分は、乗客が乗る荷台に乗せられた。
 この荷台部分に15人+ヤシの入った麻布x6個がギュウギュウ詰めに。

 ヤシの積み込みが済むと、再びピックアップトラックに乗り込んだ。乗り込む際に、屋根が陥没した時、できるだけ脱出できる場所を選んだ。
 が、努力の甲斐もなく、まもなくすし詰め状態になった。場所は変わり、体制すら変えるのが困難な状況に陥った。
 そんな中、荷台の屋根を確認したところ、屋根はお手製であることが判明した。しかもさびている。
 頭上のヤシ1tを考えると、身震いする思いであった。屋根が陥没したら、間違いなく死んでしまう。またもや、「邦人2名 ヤシの実に潰され死亡」の記事が頭をよぎった。イナバ物置きの偉大さを初めて理解した瞬間でもある。
 K氏と不安げにそのような話をしていると、隣に座っていた中学生くらいの坊さんが、「No problem」と言ってくれた。若いとはいえ、坊さんが言うことなので、理屈抜きにして少し安心した。少なくとも、「これで死んでも地獄行きにはならなそうだな」、と思った。坊さんパワーを感じた。

 この後、頭上のヤシと、トイレを終始心配しながら、3時間真っ暗な道を走り続け、ようやくバゴーという街に着いた。
 バゴーでヤンゴン行きのピックアップトラックに乗り換え、まもなく出発した。
 幸か不幸か、我々2人は荷台ではなく、助手席に乗ることができた。もちろん助手席は1人分のシートである。
 私は運転手のすぐ隣、つまり真ん中に座っていたのだが、睡魔に襲われるたびに「カクン、カクン」と運転手にもたれかかっていた。申し訳なかったが、どうしようもない。
 一見、座席の位置としては窓側が良さそうだが、実は私は窓側に座らずに命拾いをしたのだ。

 「ま、窓が閉まらないんだけど…」
 ミャンマーといえど、夜は涼しくなる。K氏は3時間近くも冷たい風をまともに受けていた。この時から、彼は1ヶ月近くも体調をくずすのであった。

 ヤンゴンのどこかに到着し、タクシーを拾ってようやくホテルに着くことができた。既に夜11時をまわっていた。
 そして、夜中でも営業しているレストランがチャイナタウンにあるというので、すっかり病人となったK氏を連れて行った。
 息も絶え絶えのK氏。中華料理屋でへばる。

 この日寝たのは午前3時過ぎ。ものすごい元旦であった。

ヤンゴン町歩き 04/1/2 ヤンゴン→成田
 ミャンマー滞在も今日で最後。昨日はかなりハードな一日であったが、健全な旅行者のように朝から活動していた。
 今日はヤンゴンの町歩きである。一番最後になってしまったが、ようやくミャンマーの首都の様子を見ることとなった。
 ホテルで朝食を済ませた後、先ずは中心街へと向かった。
 すると、シャンヌードルの店が目に入った。ホテルのバイキングの朝食にエキゾチックさを感じなかった我々は、早速2度目の朝食をすることになった。こういう時のために、ホテルで朝食をあまり食べないことにしている。
 さらにその後、Fried Chicken Tokyoなる店を発見するも、さすがにこの体調では、3度目の朝食という運びにはならなかった。2時間あまりで3回も食事はできなかった。
 ぶらぶら歩き、幾度となく寄り道をしていると時間が過ぎるのもあっという間である。さらに、だんだんと日差しがきつくなってくる。町歩きが楽しいのであまり気がつかないのだが、実は体はかなり参ってきていたようで、ひどく頭が痛い。日射病のようである。
 涼しい場所で休むことにし、ガイドブックで紹介されていたアイスクリーム屋へ行った。
 「ガイドブックに載っている」  というだけで、どうしてもその店に期待してしまう。「間違いない」と思いがちである。
 アイスクリーム屋近辺に来るも、店が見つからない。どうやら気がつかずに通り過ぎていたようだ。道を戻ると、看板があり、その矢印の先には薄暗い店が。
 入り口はさほど広くないが、奥に長い。照明がないので、奥に行くにつれて暗くなる。もちろんクーラーどころか扉もない。店内の長いベンチに座り、アイスを食べた。
 何のアイスであるか忘れたが、日本ではあまり食べられないテイストであった。

 5分で完食。休憩終了。休まらなかった我々は、昼食にすることにした。
 またもやガイドブックに頼り、掲載されていたビルマ料理屋へ行った。疲れてくるとガイドブックに頼りがちである。
 正直言って、腹など空いていない。2回も朝食を食べれば当然である。
 しかしながら、だいたいこういう場合には、「食べ始めれば結構食べられる」ものであるし、何よりも休憩したかった。
 が、そう考えたのが間違えであった。この店にはカレー以外に料理がなかった。もうカレーは飽きるほど食べている。ミャンマー到着後に食べたあのカレーセットとほぼ同じである。
 またもやカレー。この中でコーラが一番美味しかった。

 ここで「食べ始めれば結構食べられる」という方程式が成立しないことが証明された。
 目の前のカレーにげんなりしつつも、座っているだけで随分と休むことができた。

 昼食後、CityMartというスーパーマーケット?の様な店へ観光しに行った。  衣料品、食料品、DVDなどいろいろと揃っていた。特に菓子類などは面白い。輸入品が多いのだが、よく探すとミャンマー産のお菓子もチラホラ見られる。こういう場所では、意外と面白いお土産が見つかったりする。
 ファーストフードのMister J’ Donuts(ミスター・Jドーナツ)が目に入った。店内でも食べられるようになっているドーナツ屋だ。
 注目すべきは「J」がつくかつかないか、といったところだろう。残念なことに写真撮影が禁止されていた。
 ここで数種類のドーナツとシェイクを食べたのだが、味はそこそこであった。「グレイト」とは言えない物の、マズイ程でもない。ミャンマーへ来てから、この手の甘い洋菓子を食べていなかったので、かなり気分がリフレッシュされた感があった。何よりもここではガンガンにクーラーが効いている!

 元気になった後、町歩きを続け、最後にマーケットへ行った。マーケットには20分間しかいられず、ものすごい勢いで買い物をし、間もなく時間切れとなり空港へ向かった。
 マーケット付近でお土産にカレンダーを買うK氏。よく見るとカレンダーの日付の並び方が変わっている。


成田で…! 04/1/3 成田
 精も根も尽き果てた我々は、たまに何やらスチュワーデスに起こされ、食事を与えられたくらいしか記憶にない。死んだようにほとんど動かないで寝ていた。

 成田空港に着いた頃には、汚い格好で髪もボサボサ、寝起きの顔であった。
 「一刻も早く家に着いて、風呂に入って寝たい」
 旅行の余韻どころではなく、ただ疲れていた。こういう旅行が多いのは、何故だろう?

 税関でいつものように旅行先と荷物についてを聞かれた後、空港のゲートを出た。そしてゲート出口を離れようとした瞬間。
 「あの〜○○テレビの物ですけど、少しお話よろしいでしょうか?」
 片手にマイク、首にIDカードを下げた男と、本格的なカメラを持った男2人が寄ってきた。
 「ここここ、これは年明けにニュースでよくやっている光景だ!」。帰国ラッシュの取材であった。
 実は遠巻きに彼らの存在は見えていて、そばを通りがかろうとした時に、男2人が顔を見合ってうなずいた瞬間を見ていた。
 お土産でいっぱいのバックパックと、旅行とは全く関係のない、邪魔なので成田に預けておいたごついコートが目をひいたのかも知れない。

 * 「どちらへ?」
 私「ミャンマーです」 (ここで嘘ついたらみんなにバレるな)
 * 「何をしましたか?」
 私「え〜、お寺をまわりました」 (パゴダなんて言ってもわかんないよな…。アレはお寺でいいのかな?)
 私「新年早々そう言ったところへ行きましたので、今年1年幸せに過ごせるかな、なんて思いますね。」 (何言いってんだ、オレ)
 * 「何が一番印象に残りましたか?」
 私「え〜、料理ですね、やっぱり」 (カレーがマズイとか、体調不良と寝不足が一番の印象なんていえないよな)
 * 「どんな料理を食べましたか?」
 私「カレーです」 (いや、ホントはMac Burgerって言いたいんだけど)
 * 「お米なんかもあるんですかね?」
 私「ちょっと日本のとは違いますが…もちろんありますよ。」 (なんかどうでもいいこと言ってるな、上の空ってカンジだよ、質問もなんだかなぁ)
 * 「失礼ですが会社は?」
 私「いや〜、今度の月曜日からです」 (ちょっと辛そうに答えてみよう)
 * 「どうですか?」
 私「ちょっときついですね。でもがんばりますよ」 (しまった、余計な事を。フォローを入れておかないと上司に見られたマズイな)
 * 「ありがとうございました」
 私「いいえ〜」

 あの日以来、絶不調のK氏が撮った渾身の一枚。

この後一週間、そのテレビ局のニュース番組を片っ端から確認した。週末のニュースのダイジェスト版も漏らさずチェックした。オンエアされるのではないかと気が気でなかったのだ。
 幸いにもオンエアという最悪の事態は避けられた。

 次回はインタビューに備えて、もうすこしマシな格好で帰国しようと思う。答え方のシナリオも練っておくか。


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