イタリア人育成法
1月24日、ヴェネツィアで雪
こんにちは。 しゃべって、なんぼ 高校の時、数少ない好きな授業のひとつに世界史がありました。世界史だから好きだったわけではなく、授業が面白かったのです。当時、明らかに名物先生の一人だったと思いますが、ただただ語り部のように、話を語るのです。黒板に何か書くでもなく、プリントの穴埋めでもなく、教科書を朗読させるでもなく。歴史が、人の物語として生き生きと伝わってきて、楽しみな授業でした。 気がついてみると、今、イタリアで受けている大学の授業が、全部このスタイルなのです。授業中、先生はひたすらしゃべり続け、学生はそれを丸写しのごとくノートを取り続ける・・・もちろん、たいていは聞いている分には面白いけど、試験となると大変で、ほとんどの先生は当然のことのように、自分の講義内容を全て暗記していることを望みます。たいがいは、後で本で調べようにも、まず該当する本がなかなかない上、説や解釈が違うこともあり要注意。たまに、教授自身が書いた本があったりする場合は大助かりなのですが、それもぬか喜び、たいていは、これがまた、めちゃくちゃわかりにくい・・・しゃべりは面白いのに、書くとなんでこんなにわかりづらいのか・・・私の語学力、理解力の問題かと悩んだ挙句、他の学生もひそかに酷評をあびせていることが判明したり。 日本とイタリアという、習慣、文化の違いと言ってしまえばそれまでですが、日本語とイタリア語の違いによるもののようにも思えます。何よりも漢字を持ち、かつ同音意義が多い日本語は、書く文化なのだな、と思います。対して、イタリアでは、古くローマ、いやギリシャの時代から、その名も「弁論家」というしゃべりの専門家が存在したのですから。 ルネサンス期には、弁論も人間育成のために重要な科目の一つで、特にローマ時代のキケロがお手本としてもてはやされた。などと私なりに暗記しながら、そんなことを考えていました。 |