こんにちは、いかがお過ごしでしょうか。
この3月には、何人かの友人たちが卒業して行きます。イタリアの卒業については、昨年ちょうどこの時期にも書いたので、よろしければそちらをご覧ください。
新人類、新世代
これまで私は、中学、高校、大学と進学する度に、必ず新制度適応の年に当たっていました。何をするにも新制度1年生で前例がないことが多く、「手探り」の学年だった、といえるでしょう。ついでに卒業して就職した年に元号が変わったため、社会に出てからは「平成入社」と名づけられたりしていました。
何年もたって、3年前にイタリアで大学に入ってみたら、またもやここでも大学の大改革1年目に当たりました。学部を3年制とし、新たに2年の大学院を設けたのです。イタリアではそれまで、学部4年制とは形ばかりで、卒業まで文系で7-8年が当たり前でした。以前の4年制卒は、その大変さ、というよりその長さから、他国の院卒に相当する、と少なくともその学位保持者はそう信じていました。確かに、大学院、という区分がなく、10年近くかかって卒業して、それ以上続けたい人はそのまま大学に残る、「院」がないので、言ってみればそれがまあ直接、博士課程にあたっていたのです。
今、卒業する友人はみな、旧制度での卒業。私が入学した時には、既に3-4年生、もしくはそれ以上で、卒業まで「あと少し」と言っていた人たち。あと少し、と思ってから3年たって、ようやく、卒業するわけです。彼女らは口々に、「ほんとに大変だった、あなたたちは新制度になってラッキーよね」と言います。
そうかもしれません。確かに、現在3年生の友人たちは、運が良ければ早くてこの11月には卒業するかもしれない。でも、そうだろうか、と、新制度で始めた私としては、疑問にも思います。年数はさておき、旧制度では卒業に必要な試験数が約20。新制度では、約40。新制度の試験2つが、旧制度の1つに相当する計算です。では、新制度の試験1つが、旧制度の試験半分程度のレベルかというと、必ずしもそうではないのです。意識してきっちり、調整している教授もいますが、前と同じレベルで試験を行う教授もザラ。30時間の授業出席に加え300-400ページの本を3冊、それで口答試験を受けた上、さらに課題に沿って独自に研究をし、論文を提出、なんていうのもありです。それで、試験1つ分、4単位。
新制度ではこれに加え、「実地研修等」の単位が必修で、関連期間での見習い、あるいは実習が、私の学科では16単位。原則的には24時間の実習で1単位なので、16単位とるには、結構な時間がかかります。
どう考えても、割に合わない気がします。ところが、そうやってぶつぶつ言いながらも、今どきの学生の、適応の早いこと。3年前にはほとんどの学生が「試験は筆記より口述の方がいい」と言っていたはず。確かに、授業に出て、ある程度勉強していけば、口述はその場の問答でなんとかしのぎやすいのです。多少間違えても言いなおせるし、うまく行けば知っているところだけわーっと答えて、乗りきりやすい。筆記は、だめならだめ、がすぐに出てしまうし、言い訳ができないので。でも実は、口述のほうが、ほんとうに勉強したかどうか、わかっているかどうかがすぐにお見通しなのですが。
ところが、最近は、皆口々に「筆記のほうがいい」と言うのです。より数をこなさなくてはならなくなった新制度では、順番がいつ回ってくるかわからない口述よりも、日時さえ重ならなければ一度にたくさんこなせる筆記の方が、都合がいいのでしょう。そして、これはもうほとんど9割方の大前提が、カンニングありなのです。こちらで大学に通い始めて驚いたのは、とりあえずカンニングが普通、なこと。それは優秀な学生でも同じです。
ほんとうに勉強したかどうかは、旧制度に軍配が上がるでしょう。が、誰もがそれを知っているのです。自分より上の人は皆、旧制度の卒業で、彼らからは「新制度卒業」は軽く見られる。どうせ同じ扱いを受けないのなら、苦労して同じレベルに持っていくのは無駄、とっとと終わらせて次へ、というのも無理もないことでしょう。相変わらず、基本的には卒業が一斉ではなく、それでいて試験の数が増えて、5週間ごとにばんばん試験期間がやってくる今の制度では、何かみなが早さと要領を競う、障害物競争のようになっているようです。
大学というところが、これでいいのかどうか。が、誰もが大学に進学するようになった今、旧制度のように、ほとんどすべての若者が20代の大半を、勉強と称してのらりくらりしているのも、どうかと思います。
新制度卒業第1号は、いったい、いつ誰になるのでしょう。この競争社会からすっかり脱落している私は、プラス1年で卒業できるかどうか。まだまだ苦しいところです。
Fumie
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