亀の歩みと年の功


こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

新潟の地震について、こちらでも報道されていることもあり、友人や知り合いに、「だいじょうぶ?」と聞かれます。日本は、耐震構造がしっかりしていると聞くのに、それでも被害が出るのだから、これがイタリアだったらひとたまりもないわ、とも。古い石の建物、あちこちにあるといわれる手抜き工事、確かに、と思います。でも、備えあれば憂いなしとは言いきれない、人間の知恵をまた簡単に超える、それが自然のこわいところでしょう。
せめて被害に遭われた方々が、少しでも早く日常を取り戻せるよう、今日もアックア・アルタのヴェネツィアから、願っています。

哲学者たち

若い天才数学者は有り得るけど、若い天才歴史学者はありえない。うろ覚えですが、と確かここの歴史の教授が言っていました。すなわち、天才数学者というのは、何か「ひらめき」のようなものがあって、あるいは必要で、それは20代からせいぜい35歳くらいに頂点に達するもの。ところが、歴史学というのは、「ひらめき」ではなく、調べて調べて調べて、その積み重ねで結果が出るものだから、若くして天才というのはありえない、そんなような話だったように思います。真偽のほどはともかく、少なくともイタリアでは、歴史についてはそうかもしれない、と思います。
いわゆる歴史そのものだけでなく、美術史、文学史、と名のつくものはたいていそうなのですが、授業に出ていて、あるいは試験勉強をしていて、感じるのは、教授の側と、学生の側の圧倒的な知識の差です。ここは入試がなく、高校卒業資格さえあれば誰でも大学生になれるので、仕事を辞めて、あるいは定年退職して来ている年配の学生もいます。たまにそういう学生が、若い講師などに質問をすると、しどろもどろになってしまったりすることもありますが、まあ例外の例外。たいていは学生の方が年が上でも、教授、助教授レベルであれば、専門知識で負けることはありません。
○×史、というタイトルの科目が圧倒的に多い私の学科では、そのせいもあるでしょうか、授業といえば、クラシックな講義スタイル、教授がほぼ一方的に話をして、学生たちは一心不乱にノートをとります。そのノートを元に、試験勉強をするわけです。
今回、いつもと様子が違ったのは「美学」。美術史、美術批評史などの一部かと思っていたら、これは完全に哲学なのだそうです。
まず、初日の授業で、100人くらいいた学生のうち、およそ半分が哲学科の学生だったことに驚き・・・なぜなら、ここの文学部は、おそらくその大半が私と同じ文化財保護科、それに文学科、歴史科の学生が少々いるくらいで、哲学科の学生は今までたった1人しか出会ったことがなかったのです。それをいきなり、一気に50人も、それも一度に見たのは初めて・・・。確かにそう言われてみると、全体の雰囲気が大人、というのか、思慮深そうというのか、何か独特のものを感じます。男子学生の割合が案外高いのですが、それが、鼻ピアス君に、金髪ロングヘア君、ポニーテール君、青白眼鏡君・・・いやいや、文化財科にもいないわけじゃないけど、なんとなくより凝縮されているような・・・かなり個性的な風貌がたくさん。
そして、そんな彼らがまた、よく質問するのです。
この授業では、カントに始まり、シラー、ヘーゲル・・・の美術論を追っていくのですが、哲学の場合は、賛成か反対かはともかく、それぞれの理論がわかるかどうか、が重要なのでしょう。なので彼らは、わかるまで質問をします。美術史や歴史の授業でも、質問が出ることももちろんあります。それでも歴史の場合は、結局のところ、教授の言うところが絶対です。最終的には、わかろうがわかるまいが、それが事実、あるいは事実とされていること、という面もあるでしょう。
そんなわけで、こんなふうに学生がかなり積極的に質問をし、さらに他の学生の質問に対しコメントまでする、そんな言ってみればインタラクティブ、相互的な授業はここへ来てからほとんどなかったので新鮮でした。
私はというと、質問どころではありません。なにしろ、お恥ずかしながら、名前くらいは聞いたことあるけれども、これまでの人生において一切、1行も読んだこともないのですから・・・。もう慣れっこになってるとはいえ、自らの無知と、道のりの遠さに再び頭を抱えているところです。

それではまた。
Fumie