こんにちは。
大変ごぶさたしておりますが、お元気でお過ごしでしょうか。あれも書きたい、これも伝えたい、などと迷っているうちにあっという間に時が過ぎ、久しぶりにメイルしよう、と思っていた矢先、イタリアを揺るがす大事件が起きてしまいました。
ナシリア
11月12日、イラク南部のこの町で、イタリア部隊駐屯地が自爆テロ攻撃に合い、18人が犠牲になりました。
第二次世界大戦の敗戦国であるイタリアは、防衛目的以上の軍隊を持ちません。ナシリアには、「戦後」の治安維持のため派遣された、いわば平和部隊。今回犠牲になったのも、そのうち14人はカラビニエーリ、イタリア国内では警察官の一種にあたります。濃紺に赤いラインの入った制服の二人組、と言えばイタリアに旅行されたことのある方は、思い当たるかもしれません。もちろん派遣されたカラビニエーリは、こういった国際任務のための訓練を受けた特殊部隊で、観光地で白馬に乗って、観光客のカメラに収まる彼らとは違います。が、あくまでも治安維持が目的であることには変わりありません。
その、カラビニエーリの駐屯していた建物の二つのうち一つが、攻撃を受けたのです。
ナシリア、という町は比較的治安もよく、当部隊も、地元のイラク人とも穏やかな関係を保っていたそうです。
では、なぜ、テロの対象となったのでしょうか。
ひとつには、ごく最近も、テロリストのリーダーにイタリアが名指しで標的として挙げられたことがあります。そしてもうひとつ、思い当たるのは、米国がイラク攻撃を決めたときに、イタリアは早々と賛成の側に回った国のひとつだったということでしょう。
この戦争は、石油利権というよりは、思いがけず順調なユーロに対し、覇権維持を狙うドルの挑戦だ、という説がありました。それに反対したフランス、ドイツは、本音では決して平和主義者などというものではなく、その挑戦を受けてたつ宣言であったにすぎない、と。うがった見方かもしれません。が、逆に欧州内で攻撃を支持したのは、スペイン、イタリア、あるいは中欧の準加盟国。欧州連合の主導権を二大国だけに握られまいと、必死の抵抗で米国にすりよっているようにも見えたのも事実です。
武装していたとはいえ、犠牲になった個々はもちろん、隊としても現地警察とともに治安維持という任務を遂行していたにすぎません。「(地元の人と)うまくやっていますよ、我々は米兵とは違うし」というわずか数日前のコメントも、嘘ではなかったでしょう。
イタリアは幸い、戦地への積極的な参加はできません。だからこそ国際協力として平和維持部隊を、というのは間違っていないと思います。その際、派遣される者は、物見遊山ではない、何かの犠牲になることもあるかもしれない。いざという時の覚悟も必要なのでしょう。犠牲者の中には、コソボ、アフガニスタン、と経験した人もあるそうです。が、その、平和維持部隊そのものの駐屯地がテロの標的となったのです。単純に判定できる問題ではありません。でも、それがもし、占領者の手先、として恨みを買っていたのだとしたら。
政府が早々と攻撃支持を打ったあと、平和集会、戦争反対デモが各地で繰り広げられたこと、虹色に白抜きでPACE(平和)と書かれた旗があちこちに翻っていたのを思い出します。いったい全体、イタリア国民の中でどれだけがこの戦争を支持していたのでしょう。
それ見たことか、と、野党の政治家が声をあらげて、危険地への派遣についての責任追及を主張しています。議論は必要でしょう。でも、だからといって、それなら全面撤退すればいいかというと、そういうものではないように思います。
現地司令官の「それでも我々は、安全の確保に最大限留意しながら、できること、やるべきことをやっていくしかない」というコメント、あるいは負傷した一警察官の、「その瞬間は、ほんとうに無力を感じた」そして同僚の死に涙しながらも「でも私はここに残りたい、残って任務を遂行したい」という言葉、それが現場の責任感というものでしょう。
24時間後には、犠牲者、負傷者の交代要員の出陣式が行われました。
18人の、冥福を祈ると同時に、どこの何人であろうとも、おろかなせめぎ合いによる犠牲者をこれ以上出ないよう、願うばかりです。
Fumie
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