| 1967年4月、ミラノの、同名の美術館でも知られるブレラ通りに、世界で初めての写真ギャラリーが誕生した。その生みの親が、ランフランコ・コロンボ。自身、もちろん写真家である。戦後のイタリア写真の発達、発展を見つめ、また若い写真家を積極的に評価、応援していくことが目的だったという。 思えば写真ほど、お気楽に誰でも作り出せるものは無いのではないか。被写体にレンズを向け、パチッ。もはや焦点を合わせる必要もないし、デジタル化は、写真の消費をより簡単にした。だからこそ、プロの写真とは何か、こうして「巨匠」たちの写真を前にしてやはりそこにある決定的な違いに、驚嘆する。
ある瞬間、ある場面をどう切り取るか。
ここにはいろいろなタイプの写真がある。
被写体が有名人のもの、例えばオーソン・ウェルズ、ペギー・グッゲンハイムその人、あるいはマイルス・デイヴィスなど。もちろん、写真には全く疎い、私でも知ってるような写真家の作品ももちろんある。例えば、ロバート・キャパの戦場写真、中でも1944年のノルマンディー上陸作戦、海の中の兵士たちの写真は特に印象的だし、ベネトンの広告写真で知られるオリヴィエーロ・トスカーニの1枚の写真は、いかにも、でありながら、さすがにぐっと人目を引く。
文化人類学者フォスコ・マライーニ氏の2枚の写真は、そういう意味では写真の専門家ではないだろうが、被写体を知り尽くしてこその、内面をも強く感じさせる、一種やはりプロの写真だと思う。
そうかと思うと、Fulvio Roiterの”Unbria”(ウンブリア、1954年)は、どういうテクニックなのだろうか、ネガをそのまま焼いたような・・・それが不思議で幻想的な絵本のような美しさを放っている。
報道写真に、実験的な、抽象画のような写真。シルクスクリーンによる現代アートのような作品もあれば、ヴェネツィアの海、街角、水上バスの1シーン。
静かな写真。周りの音や声が、今にも聞こえてきそうな写真。映画の1シーンのような写真。驚くべきことに、つい最近、新聞記事の写真として見たことがあったものもあった。Toni
Nicoliniの”Visita al Museo Poldi Pezzoli”(ポルディ・ペッツォリ美術館訪問、1985年)。
Cesare Colomboの2枚の写真も面白い。”Milano
Fiera”(ミラノ見本市、1958年と2005年)。同じ場所を、時間や季節を変えて撮る、あるいは描くという手法は新しくないのだろうが、ここでは同タイトル、同じテーマだが見せているものは全く違う。賑わう人を見せる58年。一方、2005年ガラス張りのそのデザイン自体が評判をよんでいる建物を見せる。人はわずかに1人、2人、その間にコミュニケーションはない。
あえて、年代順でもなければ、種類別でもない自由な展示は、ありきたりな写真「史」ではなくて、写真というものの可能性と醍醐味を味わわせてくれる。
例外は最後の部屋で、ランフランコ・コロンボ自身の作品にあてられている。どれも美しいが、特に好きだったのは、”Strada
verso il cimitero, Istanbul”(墓地への道、イスタンブール、1982年)、”Il
Cairo, periferia, Egitto”(カイロ、郊外、1980年)。
Fumie
19
novembre 2005
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