「ミケランジェロ:6枚の傑作」展

パドヴァ、サント・ステファノ館

Palazzo Santo Stefano, Padova

2006年1月8日まで

http://www.mostramichelangelo.com/

* システィーナ礼拝堂のための習作「男性の顔」
* 同「右腕」
* プラート門要塞設計図
* イサックの犠牲
* 「復活したキリスト」の習作
* 聖ジョヴァンニ・デイ・フィオレンティーニ教会のための設計図

県庁舎の1角の1部屋のみ、文字通り、素描6点のみの小さな展覧会。
それでも、作品の種類が皆違うこと、1510年前後〜60年頃までと、年代的にも幅のあることで、芸術家ミケランジェロのいろいろな面をうかがうには効果的だろう。

デッサンこそが創造の瞬間だ、と定義された時代。フィレンツェ・ルネッサンス。
工房の中で、師匠の真似から学ぶのではなくて、自らの目で対象を見つめ、デッサンする。
息遣いが聞こえてきそうな男性の少しうつむき加減の横顔。あの「天地創造」の中で神がアダムと交わす人差し指、それとは多少角度が違うものの、やはり人差し指で何かを示す力強い右腕。ただの1枚の小さな紙切れのはずが、天才の手によって、生き生きと命が吹き込まれる。
一方、「イサック」や「キリスト」では、その天才の試行錯誤の様子がありありと浮かび上がる。何度も何度も、あるべきポーズを探して描き重ねられた腕や足。ところが、試行錯誤のはずのその腕や足が重なり合って、まるでその紙の上でほんとうに動いているように見える。最初の2点、小さな、部分の習作に与えられたのが、血と肉だとすると、この2点には躍動すら与えられているといえる。

20世紀始め、イタリアのジャコモ・バッラという画家は、「動き」を絵にした。アニメのセルを、何枚もまとめて、重ねて見たような、といえばいいだろうか。面白いことに、ミケランジェロの素描から、そのバッラを思い起こした。

会場で入場券売り場にいた女性は、専門家ではないらしいが、聞けばいろいろと親切に教えてくれる。ルネッサンス全盛のフィレンツェ、心身一体が理想とされた時代、若きミケランジェロにとってデッサンとは、体のラインをより忠実に精密に描くことであり、その肉体の美が魂の美と同義だった。
ところが、そのミケランジェロが自身の成長とともに見たのは、フィレンツェでもサヴォナローラによる神権政治とその失脚、やがて北方でおこる宗教改革と、ローマでのいわゆる反宗教改革。「キリスト」の素描は、体から、より崇高であるべき魂が昇華していく、そんな風に見える、と。
哲学科卒という彼女の解釈も、なかなかなるほど、と思わせる。

設計図2点、こちらは言ってみれば動いてはいけないものだが、やはり、描いては消し、描いては消し、の跡が残る。天才といえど、ペンを握って、いきなり一筆書きで製図したわけではないらしい。

1部屋とはいえ、広い部屋に贅沢に、6点が間隔をあけてすくっと並びたっている。身長165cmの私にとって完璧に目の高さ、ということは身長の低い人や子どもには少し見づらいかもしれない。作品自体が薄いガラスのかかった額に入っていて、くっつくようにして間近で見られるのは嬉しい。作品保護のため照明はもちろん最低限だが、十分。

Fumie

20 novembre 2005