[ 藤田嗣治の絵画 ]
「自画像」
「カフェにて」
「タビスリーの裸婦:五人の裸婦(乳白色の肌)」」
藤田がフランスへと渡った1910-20年代、モディリアニやスーチンなど、多くの異邦
人の芸術家たちがパリに集まっていた。彼らはいつしか「エコール・ド・パリ(パ
リ派)」という名称で呼ばれるようになる。藤田はこの時期、これらエコール・ド・
パリの画家たちと交流しながら、独自の画風を作り上げていく。とりわけ藤田のト
レードマークともなった、細く優美な線とやわらかな「乳白色の肌」を持つ裸婦像
は高く評価され、藤田は一躍パリの寵児となる。
「藤田嗣治」年譜
1886年 東京に生まれる。
1910年 東京美術学校西洋画科を卒業
1913年 フランスに渡る。
ピカソ、モディリアニ、スーチンらと知り合う。
1917年 パリのシェロン画廊で初めての個展を開催する。
1919年 サロン・ドートンヌに初入選し、会員に推挙される。
その後、サロンに出品を続ける一方、パリのほかブリュッセル、アントワープ等で
個展を開催する。
1931−33年 パリを離れ、ブラジル、アルゼンチン、ペルー、ボリビアを訪ね、
メキシコを経由してアメリカに入る。
1933年 日本に帰国する。
1934年 二科会会員となる。
戦時中は従軍画家として活躍する。
1949年 ニューヨークのブルックリン美術館付属美術館の教授として招かれる。
1950年 パリに移る。
1955年 フランス国籍を取得する。
1959年 カトリックの洗礼を受ける。
1966年 ランスのノートル=ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂のフレスコ画を制作する。
1968年 チューリッヒの州立病院で死去、81歳