仏教の人間像

          

人間のこの世の命は、有限で、生きられても、たかだか100年、それも生まれる
と直ぐ亡くなる人、又最高118才まで生きる人、それぞれ命の定まりがなく、ほとん
どの人は、明日亡くなるとも知らず、欲も多く、怒り、嫉み、妬む心も多く臨終の
一念まで止まらず、消えず絶えずと先人が教えた通り、煩悩に流されながら、
ほんとうの自分に気ずかずに日暮らしをしています。


仏教の人間像を考えるキーワード

項目 キーワード 人間世界 仏の世界
寿命 無量 有限で生きてもたかだか100年 永遠に無量の命をもらう
肉体 無常、無我 常に刻々と変化している。(老い
ている)
永遠に普遍で変わらない。
煩悩 常に欲望に駆り立てられ,、それ
が満たされないと腹を立て、時
がたてば愚痴となり、常に自我
にかき立てられて悩みが絶えない。
煩悩が消え、常に他人を
救いたいと思う利他の心が
一杯の慈悲の世界
私の存在 無我 心も肉体も常に変化しているの
で、しっかり定まった普遍の私
の存在はない。(無我)定まり
のない私を、絶対真実(絶対
正しい)の自分と考えると矛
盾が出て悩みの元となる。
永遠に変わらない真実の世界
世の中の事象 縁起 世の中の事象は、すべて原因
があり、その結果の事象である。
私の命も両親、祖先の縁で生ま
れ、又この世では、無数の方々
の縁で生かされている。




死後の世界 六道輪廻・極楽 死後は、地獄,餓鬼,畜生,修羅,
人間、天上の六道の生死を繰り
返し、もしこの間悟りを開くことか
出来れば、輪廻を離れ極楽に往
生が出来るというインド古来の考え

輪廻のない、常住の涅槃(煩悩
の消えた)の世界


仏教では、この世は、煩悩に汚され、人々は、それにより苦しむ世界と言う
見方のため、
一切皆苦(すべてが苦しみ)とか、娑婆は、忍土(苦しみを耐
え忍ぶ世界)とかいいます。この面だけをとらえれば仏教は、真っ暗な希望
のない世界と考えがちですが、釈尊は、
人間の真実を見つめさせるための
表現であったと考えれます。即ち私の苦しみを考えると、苦しみは、楽しみに
もなり、又苦しみにもなり常がなく変わり行くもので(
無常)、なぜ私達は、そ
れにこだわるのだろう、又それにこだわる(
我執)私自身も常に変わり行く
存在で実態がないではないか(
無我)と教えていますが、私達は、そう簡単
には、煩悩から逃れられない「さが」を持つ自分に気付きます。、又よくよく
仏教を聞いていくと、生きている自分は、生かされている(
縁起の法則)私で
あったかと気付き、煩悩に煩うことのない自分を願い(
涅槃)、恒久の安堵を
求め私自身は、堂々と自分の信ずる道を生きていきたいと考えるでしょう。


                                       

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