雑記_2013
備忘録のようなものです. 思ったことや, その時々の出来事を書き連ねておきます.
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「文書化」
要求される文章化能力 さて, 個人の書斎に日本語ワープロが鎮座しても. 書く中身がなくては何にもならない. ワープロの前でウーンウーン唸って, 文章が思い浮かばないというのは, こっけいを通り越して悲惨でさえすらある. そこで, 文章化能力についての問題が発生する. この本をお読みいただけるような読者は, 個人の知的生活について, 深い関心をお持ちの方が多いと思われるので, 書く中身はたくさんあっても, それを打つべき日本語ワープロがない場合が多いだろう. しかし, 一般の人は文章化することにはかなりの苦痛を感じるものらしい. あまり, 固くなる必要はないから, 普段から文章を書くことを習慣にしておくとよいのではないだろうか. 名文家である必要はないし, 他人が読んでわかりやすい文章を書くことがたいせつなのである. 学生たちを見ていると, 文化の質が変化していることは事実である. 四角い漢字がびっしりと詰まった岩波文庫よりも, ひらがなと空白の多い文庫本を好み, 思想性よりもフィーリングをたいせつにする. 戯作の1種であったマンガが完全な市民権を持ち, 『朝日ジャーナル』の代わりに週刊マンガを小脇に抱えている. 手紙はあまり書くことがなく, もっぱら電話に頼る. 会話による自己表現は巧みだが, 文章で表現することは不得手のようだ. ゼミなどで, 本を読ませると, 漢字が読めない. レポートを書かせると誤字・脱字とひらがなが目立つ. 70年代の歴史的試練において知性主義・教養主義の無力さが目立ったことによる反動もあるだろうし, 中流意識の普及による享楽主義の普及もあるだろう. しかし, 最大の原因は時代がせわしい, あきやすい時代になっていることにあるだろう. けれど, 口頭だけで話がすむわけではない. どのような時代になろうと, 文書化能力は絶対に必要なのだ. 毎日, 少しずつ自分の文脈で文章を書く(あるいは日本語ワープロで打つ)練習をしておくとよいのではないだろうか. |
[文章力をつける]
「毎日, 少しずつ自分の文脈で文章を書く(あるいは日本語ワープロで打つ)練習をしておくとよいのではないだろうか.」
と, 書かれていますが, 実際には, 難しいことだと思います.
毎日, 書くといっても, 多くの人間は, そう書けないものだからです.
石原_千秋『大学生の論文執筆法』筑摩書房(ちくま新書), 2006/06/10_第1刷発行, 2011/06/10_第5刷発行,
p106-p108.
9.1_悲しい浪人生 高校生時代の僕の時間は, 交換ノートと恋愛と読書とトランプのナポレオンとブリッジで埋め尽くされていた. 高校2年生の僕は, 2人のガールフレンド(懐かしい響きの言葉だ, たしかに「フレンド」以上でも以下でもなかった)と交換ノートを熱心に書いていた. むこうは僕1人が相手だから, 1日おきでいい. しかし, 僕は毎日2時間以上書かなければならない. 普段の勉強にも差し支えが出るくらいだった. 受験勉強など, まったく手に着かなかった. 高校3年生の時には, クラスメイトと恋に落ちた. もちろん, 受験勉強などさらに手に着かない. 浪人. ところが彼女はしっかり合格して(女の残酷さを知ったのはこのときだ), 大学のサークルの先輩と恋に落ちた(こっちが浪人生では, 勝負にならないだろう). 失恋. 当然, 受験勉強は手に着かない. 予備校には, 合計で30日も通ってはいないと思う. 今度は同じく浪人生活を送っている親友と, 週に1度の割で往復書簡を交わしていた. そして, 猛烈に小説を読んだ. 当時新潮文庫は明治・大正期の名作を多く出していたから, それらのすべてを買って読んだ. 読み終わったら恋の傷は癒えていたけれども, もう2月も終わっていた. 気がついたら. 現役の時と同様に, すべての大学に落ちていた. [中略] 注:ここで, 著者の石原氏は, なんとか成城大学の2期試験に応募し, 入学することになったことが記されている. [中略] この話の教訓といえば, 文章は切実なときに切実な相手と交わすのが1番鍛えられる, ということだ. 小説を読むのも, 同じだ. 切実な動機で読むのが, 1番身に付く. 僕が仮にいまセミ・プロ程度の書き手としてなんとかやっていけているとするなら, その土台はこういう経験がつくってくれたのである. |
石原氏が, 書いているように, 「文章は切実なときに切実な相手と交わすのが1番鍛えられる」のです.
また, そうでないと, 文章自体, なかなか書けないのです. 切実な時・・・・どうしても, 出さなければならないとか,
せっぱ詰まった状況がない限り, 書けないものなのです.
それは, 申請書でも, 依頼文でもそうだと思います. 業務とは限りません.
そういう時に, 文書を書くし, 力もつくのです.
脱線ですが, 脇_英世氏が, 書いていることで, 気になることを一つ.
どういう意図で, 脇氏が, 書いておられるかは, わかりませんが, 「戯作の1種であったマンガが完全な市民権を持ち」という文からは,
マンガを軽視しているように思います.
いえ, 私自身, マンガが軽くないとは思いません. マンガしか読まないというのは, 問題がありますが, しかし, マンガにしても,
結局は表現なのです.
マンガも読むという立場でいいと思います.
マンガにしても, 切実な動機で読むと, 得るところがあるのです.
(2013/12/12(thu))
「光の色は無限」
大西_巷一『豚王』講談社(「月刊アフタヌーン」_1997/07), 1997/06.
人が魔に堕ちるのは易しいが, そこから這い出るのは難しい. 闇の色は一様. だから闇への道は一つ. しかし光の色は無限. だから自分の光を求める者は, 案内人なしで探さなくてはならない・・・・・・. |
「ノンフィクション物」
「自分の目で見たことだけが真実である」 プロシャの無名詩人 |
「己の力に驕るなかれ, 目に映るものがすべてと思うな」ってな. |
「奥付」
「ギャップ」
脇_英世『ニューメディア時代の知的生産の技術』講談社(講談社文庫), 1984年09月15日_発行, p135-p141.
まちがいだらけのパソコン勉強法 パソコンが現代生活に必要不可欠とはいわないまでも, あるていどの重要度をしめるようになってくると, 人はパソコンを「勉強」しようとする. たとえば, 通勤の帰りや昼休みなどに付近の書店に出掛けて行き, パソコンの入門書を買い求めることになる. 特定機種向けのBASIC言語の本ならば, ほとんど当たり外れはないが, パソコン入門書なるものには, まったく役に立たないと思われるものがある. たとえば, コンピュータでは2進法を使っているからと言って, 2進法を説明する. 次に論理数学のAND(アンド)やOR(オア)やXOR(エクスクルーシブオア)などについての説明がある. さらに記憶装置とは何かについての説明があってフリップ・フロップとはどういうものかという話が出てきたりする. もしその通りの本があったとしたら. 工科系の人でないかぎりは買うのを止めて, 本を静かに閉じて書棚に返し, 粛然として帰った方がよい. 2進法は足し算までの説明は簡単なので, どういう入門書にも書いてあるが, 引き算となると逃げ腰になる. 掛け算や割り算となるともっと逃げ腰になるか, ほとんど何も書いてない. そしてもっとも重要な浮動小数点演算については, まったく何も書かれていない. 結局, 2進法については, 0と1だけで数値を表現するらしいことと, 足し算だけがわかる. しかし, この程度のことは, 気の利いた小学生にだってわかることだ. 問題は小学生以上のレベルには絶対に進めないことである. 論理数学になるとANDやORの講釈が長いたとえで示されるが, それがコンピュータの論理設計とどうつながるかはまったくしめされない. せいぜいが加算器までの構成までである. コンピュータの全体像とどう関係するのか, まったくわからないままにほっておかれる. メモリの説明にフリップ・フロップが出てきたのではどうしようもない. シーソーのようなものを想像すればよいことになっているが, 一般の人にはなかなか理解できないだろう. さらにこまったことには, フリップ・フロップの段階と, 現在のメモリのテクノロジーの間には膨大なギャップのあることである. こうしたやり方では, 現在のマイクロ・コンピュータ技術との間のギャップを埋め尽くせない. [略] そこでパソコンの勉強法としては, 初めに例をあげたようなやり方はまちがっているのではないかと思わざるを得ない. 発想を転換して現在の最新のテクノロジーの結晶であるパソコンにまずさわってみてから, 基本に戻って行った方がよいのではないか. [略] つまりこれだけコンピュータ技術が発展してくると, 一般の人はハードウェア部分をきりはなして, コンピュータをどう使いこなすかの利用技術に力点を置いて勉強した方がよいではないだろうか. 私はこういう利用技術を勉強することこそがたいせつなのではないかと思う. |
同じ扱いをしてはいけないのかも知れませんが, 電気系の資格に電験3種というものがある.
電験3種の問題を解きながら, 感じていることですが, どうも, 現場の仕事とはギャップがありすぎる.
理論的なことを知っておくのが大事な事だというのはありますが, 実物----電気機器の実物のイメージとだいぶ, かけ離れている.
実物をさして, これは, なんですかと, 問われても, 答えられないように, 思います.
さすがに, モータくらいはわかりますが, 断路器だの, 開閉器だの・・・・を見せられても, これは何ということになりそうな.
また, 実務上役にたつ能力と, 理論的知識には, やや, ずれがあります.
http://www1.kcn.ne.jp/~tanii/tenshoku/ten-8.htm
http://www1.kcn.ne.jp/~tanii/tenshoku/ten-9.htm
転職の歴史
に, こんな記事が出ています.
現場にいても, 断路器を知らない人もいるようで. . . .
(2013/12/10(tue))
「学ぶということ」
まえがき (略) 昔教えた日本の学生, あるいはその後教えたアメリカの学生に比べると, 最近の日本の学生の大半は, 自分の頭で考え直そうとはせず, 教師の言うことをそのまま写して終りとしているように見える. 書物を疑い, 教師を疑い, 自ら問い質すというのが, 勉強の始まりではないのだろうか? アラビヤ語の学生は"探し求める"と同根である. "学ぶとは真似ること"というのは, せいぜい幼稚園の段階であろう. (略) |
厳しいことを書かれていらっしゃいますが, 実際には, 自分で創造することができるようになるまでは, 「真似ること」も必要なのではないかと思います.
また, 自分で考える事が出来るようになったとしても, 他人から得るものもあるように思います.
具体的には, 次の例があります.
脇_英世『文科系のパソコン』講談社(講談社現代新書), 1984/04/20_第1刷発行, 1985/06/22_第3刷発行,
p100-p101.
上手な人のプログラムを研究する プログラムを上手に書く人もいれば, 下手な人もいる. 普通の水準までは誰でもいくが, それ以上となるとなかなか難しい. 絵だって, 写真だって, 音楽だって, 教育を受ければ, 怠けないで持続する限りは, ある水準まではかならず到達する. 問題はそれからである. それ以上上達しようと思ったら, もう教科書はない. しかし, 上手な人の書いた手本はある. うまいプログラムだと思ったら, 書き留めるなり, コピーするなりして研究してみることである. スタイルのうまさが際立つこともあるし, ちょっとした工夫がすぐれていると思うこともある. 気に入ったプログラムがあったら, まずそれをそのまま入力して, いろいろ動かしてみることである. そして少しずつ変形して, 自分なりのものを作ってみることである. 完全にマスターしたと思ったら, 整理してまとめておくことである. 人間はすぐ忘れてしまうからだ. BASICでさえも, そういう工夫はたくさんある. [略] 良いアイデアだと思ったら, 早速メモしておくことである. 長いのだけが良いのでなく, 光るアイデアを探すのである. |
実務上は, 脇_英世_氏の, 書かれていることが役に立つことが多いのではないかと思います.
少し, 話がずれますが, 以下の記事も重要だと思うので, 掲げておきます.
諏訪_邦夫『キーボード革命』中央公論社(中公新書), 1997/01/25_発行, p199-p200.
トレーニングは教育とは違う 私は医師ですが, 医療に限らず社会生活のいろいろな場面で, トレーニングの果たす役割が非常に大きいことをいろいろと痛感させられてきました. スポーツはもちろんですが, 車の運転も, 言語と文章を綴ることもそうです. そこには, 外国語を使うことも含みます. 現在, 小学生に英語の教育をするかどうかが問題になっていますが, 言語をマスターするには教育も必要ですが, トレーニングが絶対に必要で, それは学校教育では不可能だというのが私の意見です. 中学・高校で6年学ぼうが, 大学を含めて10年学ぼうが, 英語を読める人はそれ以外に読むトレーニングをしたのです. 授業に出席したから読めるようになったのではありません. それ以外に, 豆単を覚え対訳の小説を難儀して読み, さらに英字新聞を難儀して読み, 『PLAYBOY』も苦労して読んで(あれは, とてもむずかしい雑誌です), その上専門の論文も読んで身につけたのです. 英語を話す人も, ただ会話学校に通ったり, 外国留学で教室に座っていたのでなくて, 話すチャンスをいろいろつくって身につけたのです. これは, 頭脳の働きとは少し違う, 同じようなことを繰り返し, さらにいろいろなアプローチを工夫する「トレーニング」です. |
(2013/12/09(mon))
追加記事
友人のメールの言葉ですが
手順に添えばスグ解決するような事柄なんてそんなにないと思うよ. 失敗しながら経験を積んでいくんだと思います. |
書籍の引用ですが,
脇_英世『ニューメディア時代の知的生産の技術』講談社(講談社文庫), 1984/09/15_第1刷_発行, p160-p163.
失敗を恐れないこと パソコンに上達するにはやはり失敗を繰り返すしかない. 自動車の運転だってそうらしい. 私は米国に行くまで, 女房のとなりの助手席に座っている人だった. ハリウッド近くのラ・ブレア通りのあやしげな中古屋で買ったボルボ265は, およそ故障の塊でいろいろなことを教えてくれた. 乗って1時間で, ギアがきかなくなり, 煙を吐いたのには驚いた. 生まれて初めて, ボルボのディーラーに出掛けて, 修理を頼んだ. 日本人は日本人の自動車修理工場で直すことが多いので, 誰もボルボのディーラーには顔がきかないのである. 長くいる人たちも結局, 日系人の工場に頼っている. ディーラーで買った車でないと直してくれないだろうとか, 紹介なしでは直してくれないだろうとか, 憶測ばかりである. 出掛けてみると, 直してくれないというのは, 予約なしに出掛けていくからだということがわかった. つぎの日を予約すると, ちゃんと直してくれた. このときはオイル・メイン・シールが悪く, 油がこぼれていた. 本当はこのとき, でたらめな中古屋が, アイドリングの低いのをごまかすために, めちゃくちゃにネジをまわして, 混合比を上げていたらしく, 臭くてたまらなかった. 1酸化炭素がもれていたのである. この臭さは2度目の修理で直った. ラスベガスへ日本から来た友人を連れて行ったとき, スピード狂の私は制限速度55マイル(約88キロ)のところを80マイル(約128キロ)で走ってしまった. ロサンゼルスからラスベガスまでの280マイルの5分の4を追越車線で80マイルで飛ばしたのである. バック・ミラーに黒い弾丸のような点が見えたとき, しまったと思ったが, あっというまに追い付いて来て, 赤いランプが車の横に出てしまった. 仕方なく, スピードを落として, 右に寄り, かねて注意されていたようにハンドルに手をかけたまま, 車からは出なかった. 免許証を出そうとして胸に手をいれたりすると, 射たれることがあると言われていたからである. サングラスのハイウェイ・パトロールはニヤッと笑って, 速く走り過ぎだと言った. それ以来60マイルは越えずに走るようになった. 罰金の85ドルはこたえた. さらにこたえたのは, 休みなく80マイルで飛ばした結果, ラジエーターの水温が上がりすぎ, チューブが燃えてしまったことである. ラジエーターの冷却用の水がガレージにこぼれていたことも気がつかなかった. リトル・トーキョーまでつぎの日出掛けて駐車したとたん, 白煙が上がって閉口した. ガレージに水がもれていたのに気付いた家内が, すぐ水を持ってきてくれたので助かった. 砂漠の真ん中でこれだったらとゾッとしたりした. 温度計は見なかったのかと秘書に笑われてしまった. 修理に出すと, 今度はアイドリングが低く, パサデナ・フリーウェイで何回かエンジンが切れるという恐怖を味わった. スピードの出し過ぎのことは何も言わなかったから, アイドリングを低く押さえて調整されてしまったらしい. パソコンについても, これと同じくらい, ものすごい失敗を数限りなくやっている. とても恥ずかしくて書けないようなことばかりである. そういう失敗の繰り返しで, だんだんパソコンというものを覚えてきた. だから, 初めての人はうまくいかなくても気にすることはない. 才能がないなどとあきらめるのは論外である. 誰もそういう失敗のことは人に言わないだけである. パソコンで来月から蔵書の管理をしようと思っているとか, 税金や帳簿の管理に役立てたいなどとか, ワープロで原稿を書きたいなどと, 機械を買ったばかりの人が言っているのが, 雑誌に載ったり, 本にも書いてあるが, そんなに簡単にはいかないだろう. 行くはずがないと思う. 何事も失敗の連続で上達するのである. 京都大学型カードがプロペラ型の練習機なら, パソコンやワープロはF15なみの性能を持つ超音速ジェット機である. 何度かの失敗は避けられない. 京都大学型カードだって, だいたいの人はかなり失敗しているはずである. そういう失敗を繰り返して, 初めて上手に使えるようになるのである. 失敗をおそれてはいけない. 失敗はだいたいの場合, 知識と経験の不足によるものである. よく反省してもう1度やり直すことがたいせつである. 恥ずかしいなどと思わないことである. 最初は誰でも何も知らないに決まっているのである. 秋葉原の子どもたちが実に巧みにパソコンを操っているのを見て, 脂汗を流して帰ったりしないことである. かれらはそれなりに研究もしているし, 経験も積んでいるのである. |
トレーニングとは, 失敗と反省を繰り返すことでもあると思う.
(2013/12/10(tue))
「事実というもの」
電話とグラハム・ベル パソコン通信といっても, これからかなり長い間, 電話線を使うことになるだろうから, 電話というものについても, ある程度の知識を持っていた方がいいかも知れない. 我々は電話といえばグラハム・ベルというだけで, グラハム・ベルについては, それ以上多くは習わなかったのではないだろうか. またある程度知っている人でも, 有名な電話の第1声「ワトソン君, こっちに来てくれ, 君に会いたい」とか, グレイやエジソンとの特許争いの話の方に力点が置かれているのではないだろうか. グラハム・ベルは電気工学者ではなかった. 彼は話術の大家で, 耳の不自由な人のために話術を教えるのが本業だった. ベルのお父さんは, 「マイフェア・レディ」に出てくるレックス・ハリスンの演じたヒギンズ教授のモデルである. オードリー・ヘップバーンが演じる, クックニーというロンドンの下町方言を話す若い娘を貴婦人に仕立て上げる言語学教授が, ベルのお父さんなのである. ベルは数奇な運命のめぐり合わせから, 耳の不自由な奥さんを妻に迎えた. 彼のお母さんも耳の不自由な人だった. ベルはしかし, とぎすまされた聴覚と発声を持っていた. ベルはそうした環境にあったせいか, 聴覚の生理学に興味を持っていたようである. 耳の模型と彼の研究した解剖書が残っている. 写真で見る限り, 彼の研究した解剖書はグレイの解剖書らしい. 私の持っている版は1901年の版なので図版の位置が違うが, 図版と文章はベルの持っていた本と同一である. ベルは, ドイツの大物理学者, ヘルムホルツの調和電信機に興味を持っていたらしい. ヘルムホルツは物理学の大家で, 光学・電磁気学・音響工学などの部門に大きな業績を残した人である. ヘルムホルツは実物を使って音響生理学の研究をしたらしい. ベルも実物を使って機械を作り, 認められている. 人間の生理器官をそのまま使った機械というのは, どうも好きになれない. 調和電信機の発明 調和電信機の発明に没頭したベルは, やがて自分の限界に気付いて, 電気技術者のトーマス・ワトソンを連れてくることになる. この時代の電気工学というのは, 理論ばかり進んでいても, 技術は低い段階にあった. ワトソンの使った道具が残っているが, ハンマーやペンチや木槌ややすりや穴あけドリルは音叉などで, 電気の工具というよりは日曜大工道具のようである. ただワトソンはジグ(治具)を多用したようであり, 製品の仕上がりは驚くほどよい. 丹念に作られた機械は芸術品のようである. だが, 正直な感想をいうと, よくできた小学校の理科教材のようで, これで本当に音声が聞こえたのかと思いたくなるような所もある. 調和電信機などと立派な名前がついていても, 電磁石がいくつか並んでいて, その上に鉄片があり, それが電線で結ばれているだけである. ある高さの音で激しく叫ぶと鉄片が共振し, 磁界の変化を生み, それが送信側のコイルの電流の変化となって, 受信側の特定のコイルの上の鉄片を振るわせるである. つまり, あるのは, 鉄片とコイルだけである. こういうものすごい原理的な機械を動かすのは, 大変なことだったろう. ベルにもワトソンにも, 本格的な電気の理論というものがなかったから挑戦できたのだろう. しかし, ベルとワトソンには, 余人の追随を許さない部分があった. ベルは人1倍大きな澄んだ声を出す特技があり, 鉄片を振るわせることができた. ベルの最初の電話機は増幅器を使っていない. 声が枯れたという話だが, もっともである. そしてベルは耳がよかった. 音叉を頼りに, 鉄片の振動数を調整できた. こういうことは, シンクロスコープも周波数カウンターもない時代のことだから, 力をなっただろう. ワトソンには, すぐれた工作技術があった. この技術とベルの聴覚の生理学の知識が結びついて, 次第に改良が加わった. 送話器には声のエネルギーを逃がさないためのラッパがついたし, 増幅機としては硫酸の中にひたした針金を使った. ラッパの奥にある膜につながった針金が振動すると, 抵抗値が変動する. これを増幅器として使ったのである. 1876年3月10日の有名な電話の第1声, 「Mr.Watson--Come here--I want see you.」はベルの特許申請文章中にあることを確認したが, これはワトソンにいわせると, 「Mr.Watson--Come here--I want you.」だという. ベルが硫酸をこぼしたため, ワトソンに助けを求めたというのである. どちらもウソだろう. 2年近くも寝食を共にした年も違わない相手を, ラスト・ネームでは呼ばないだろう. たぶん, ファースト・ネームでトーマスとかトムと呼ぶはずである. それにそれほど危険な事態なら, ただ叫べば良いほど彼らの使っていた屋根裏部屋の実験室は狭かった. 雄弁家らしい粉飾がある. ベルの雄弁術は, 特許の争いにも効果があった. 純技術的にはグレイやエジソンの方がすぐれていたが, こと陪審員や裁判官にはベルの主張がまさって聞こえた. |
上記の記事については, 私自身は, きちんと調べてはいません.
グラハム・ベル氏の電話発明に関しては, いろいろ疑惑があるのは, 知っていましたが.
しかし, 実際に何があったのかは, 永遠に, わからないでしょう.
上記の件に限らず, 新聞記事にしても, 本当のところはわからない.
当事者が密室の中にいる以上, 当事者が, 主張した以上のことはわからないのだと思います.
ことによると, 公(=おおやけ)の場で行なわれた事や, できごとでさえ, わからない事も多い.
その場にいた人々の思いこみによって, 「事件」は作られているからです.
[蛇足]
本のタイトルは, 『文科系のパソコン』ですが, 文科系の人を相手に, 「シンクロスコープ」とか「周波数カウンター」と書いてもわからないと思います.
著者は, 理工系のかたですから, (理工系の)常識として書いてしまっているような・・・・.
あら探しに, なってしまいますが「耳の不自由な奥さんを妻に迎えた」という文章も, 変です.
書くのなら, 「耳の不自由な女性を妻に迎えた」と, 表記すべきでしょう.
(2013/12/08(sun))
「原典を調べた方がよろしいのでは. 」
ある国の故人の名言に「聞いたことは忘れ, 見たことは覚え, 行動したことは理解する」ということがあります. 電子工学の講義などを聞いて, 工場などを見学したりしても, 電子工学の基本的な理論や原理を真に理解することはきわめて困難です. [略] 昭和49年7月 中澤_仁 |
「縦書き, 横書き」
「リンク」
この「雑記」でも, インターネット上のサイトにリンクや, アドレスを標してしますが, リンク切れも, いくつかあります.
一々表記していませんけれども, いくつかのアドレスは, 消えてしまっています.
個人的に, ダウンロードして保管してあるものもありますが, 保管していないもののほうが多い.
ウェブアーカイブというサイトで, 観ることができるものもありますが, できないサイトもあります.
当事者(そのウェブの管理人)さんの都合もあるでしょうから, とやかく言えないけれども, 気になった記事は, 保管しておかないといけないと思います.
たしか, こういう事が書いてあったなと思って, 調べてもわからないし, 記憶はもっと曖昧になっていることが多い. 別にネット上だからというものでもないでしょうけれど,
ログをとっておくことも大事なことだと思います.
逆に, 何年も新規記事が掲載されず, 放置されっぱなしのサイトも, いくつもありますけれども.
(2013/10/28(mon))
「女子読みのススメ」
貴戸_理恵『女子読みのススメ』岩波書店(岩波ジュニア新書), 2013/09/10_第1刷_発行.
という本を読んでいます.
女性の生き方についての本ということになるのでしょう.
小説を題材に, 女性の生き方について, 貴戸氏が解説を加えています.
でも, 小説(や, 私小説)がメインなのですが, ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』みすず書房も引用されています.
個人的には, 上記ロラン・バルトの本も引用するくらいなら,
山田_昌弘『希望格差社会』筑摩書房(ちくま文庫)
や,
「家族論」の本(多数出ています)も紹介したほうが良いように思いました.
実社会において直面する事態に関する資料も読んでおいたほうが良いのではと感じます.
山田_昌弘『希望格差社会』の本も, いろいろ問題もありますが, 一読の価値はあります.
ノンフィクションですと,
山田_規畝子『壊れた脳 生存する知』角川書店(角川ソフィア文庫)
も, 著者の主題とは違いますが, 一読の価値はあります.
著者が, 生まれ育った家庭から, 結婚, 離婚, 子育てについて書かれています.
タイトルというか, 主題からしてやむを得ないのですが, 男性に関する本も, 読みたいものです.
女性らしさ, 男性らしさという話題はここでは深入りしません.
ジェンダー論については, 未だ, 不勉強で, 書けないからですが. . . .
(2013/10/27(sun))
「映像化」
感覚の映像化について.
ある知人のサイトで, 感覚の映像化が得意な人とそうでないという話がアップされていました.
私自身は, 極端に映像化が苦手な人間です.
その知人は, 得意だそうです.
その知人は, 人の話を聞いても, 小説を読んでも, 頭の中で映像化されるそうです.
映像化が得意なかたがいるという話は聞いていました.
うろ覚えですが, アメリカの物理学者R.P.ファインマン氏も, 映像化が得意だそうです. (うろ覚えながら, そう記されていたのは,
『ご冗談でしょう, ファンマンさん』, 『困ります, ファインマンさん』共に岩波現代文庫に, 出ていた話だと思います)
映像化と同じかどうかわからないのですが, 視覚的な人間というのもいるようで,
脇英世『IBM20世紀最後の戦略』講談社(講談社文庫), 1991/02/15_第1刷発行, p51-p52.
に,
ホレリスは強い視覚化の資質を持っていて, それが発明の才能につながった. 彼はどこにでもカメラを持って行ったが, 彼は非常に視覚的なタイプの人間で, 興味のあったことに対しては, ほとんどすべての微細な点まで思い出せた, と伝えられている. |
「星に帰った少女」
末吉暁子『星に帰った少女』偕成社
以前にも, 引用したことがある本です.
個人的には, 好きな本なのですが, googleで, 検索をかけてみたところ, いくつかのサイトに書評が出ています.
末吉暁子「星に帰った少女」 - 現代児童文学
http://blog.goo.ne.jp/buburu45/e/855c239afc2eb56d2afdb2c5448be7b4
辛口な書評だなと思いました.
そのサイトに掲げられている, フィリッパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』は, 以前読んだ記憶があります.
別に, フィリッパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』に限らず, タイムスリップ物は, 海外, 国内を問わず, 多数出ているので,
『星に帰った少女』を読んだとき, よくある手法だなとは, 私も思った事です.
エーリッヒ・ケストナー『エーミールと三人のふたご』は, 読んだことがありませんので, なんとも言えないのですが, 母親の再婚の話らしく,
『エーミールと三人のふたご』のほうが, 心理描写がすぐれているそうです.
エーリッヒ・ケストナーの作品自体は, いくつか読んでいるのですが, この本は読んだことがないので, 読んでみたいと思います.
『星に帰った少女』を読んだ時には, よく心理が書かれていると思ったのです.
(2013/10/14(mon))
「商売の裏側」
唐津_一『儲かるようにすれば儲かる』PHP研究所(PHP文庫), 1998/12/15_第1版第1刷.
[p128-p130] 大阪の電電公社を黒字にした交換手のひと言とは? 客を説得し, ものを売るには, お天気の話からはじまって盛り上げていくだけとはかぎらない. たったひと言をそえるかそえないかが, 勝負の分かれ目となることだってある. 今のNTTが, 昔の逓信省(ていしんしょう)から電電公社に変わったときの話である. 逓信省というのはいまの郵政省のことだが, これは当時, まさにお役所的雰囲気をもったところで, 仕事ぶりは毎日のんべんだらり, 収支も赤字のタレ流しという状態だった. この雰囲気を変えたのが, 電電公社の初代総裁である梶井剛(かじいたけし)氏だった. 梶井氏は電電公社の赤字を減らすべく, 組織の簡素化をはかると同時に, 増収対策を積極的に打ち出した. 増収といっても, 電電公社はメーカーと違い, 製品を作っているわけではないから, 増産することはできない. しかも当時電話機の数というのは, 年度計画で決められていたから, 加入者数を増やすことも無理だ. それでも総裁はおかまいなしに, 各電話局単位で成績を評価し, 増収した局にはごほうびとして賞金を出すことにした. このとき, 大阪の近畿電気通信局が真っ先に売り上げを増やし, 黒字に転化することに成功したのだが, このとき彼らが行なった方法は, まさに説得の技術である. そのころ市外局番というのは, いまのようにダイヤル式ではなく, すべてが交換台に申し込んで接続してもらうという方式だった. これには「普通」「至急」「特急」の3種類があって, 列車と同じように, 早くつないでほしい人は至急や特急を頼むが, そのぶん料金が高くなるという仕組みになっていた. 近畿電気通信局の職員は, ここに目をつけた. 大阪で市外局番を申し込むと, 交換手にかならず, 「至急になさいますか?」と言うようにさせたのだ. 用事があって電話をかけているわけだから, なるべく早くつないでほしい. 「至急になさいますか?」と聞かれると, たいていの客は「至急で」と言う. すると料金は普通の2倍になる. やがて至急の客ばかりがたまってくるようになるから, 至急と頼んでもそれほど早くはつないでもらえなくなる. すると今度は, 「特急はいかがですか?」と聞くようにさせた. これだと料金は普通の3倍とれる. これなら電話機の数が増えなくても, 電電公社の収入は増やせる. この結果彼らは, 巨額の増収対策費を獲得し, 大阪・中之島のいう一等地に, 当時としてはめずらしい屋内プール付きの福祉会館を建ててしまうまでになった. 知恵というのは, 考えれば無から有を生み出すこともできるのである. |
これを引用したのは, クロネコヤマトのメール便について思うところがあるからである.
そう, 同様に, クロネコヤマトのメール便も, 「普通」と「至急」(速達)があるのである.
それは, 2006年半ばから, だそうである.
「至急」(速達)を維持するためか, それまでは, 翌日配送していたメール便も, わざと遅らせている様子である.
引用文だけを読むと素晴らしいことのように, 見えるが, 実際に, それを維持しようとすると, いろいろと汚い面も出てくるのである.
上記引用文に出てきた電電公社が, 実際にどのように対応したかは, 不明である. しかし, 利益を確保しようとすると,
「普通」や「至急」を, わざと遅くしたのではという疑念もわいてくるのである.
上記の引用の記事は,
昔の逓信省(ていしんしょう)から電電公社に変わったときの話である.
とあることから, 1952年(昭和27年)のこと(電電公社の設立)だと思われる.
後の, 電電公社の民営化----NTTになった時の話である.
脇_英世『16ビットパソコンを使いこなす』講談社(講談社現代新書), 1986/03/20_第1刷発行, 1986/05/16_第3刷発行,
p187-p188.
「電電」民営化と規制の緩和 ファクシミリに代わる通信手段はパソコン通信である. しかし, それが広範囲に可能となるためには, 電気通信事業の民営化と電話線の使用に関する規制の緩和が必要だった. 電気通信事業とは, 簡単に言うと電話業のことだと思えばよい. これまで電話事業は独占事業であった. 電話業のような公共性の高い事業はあまりに利益追求に走った場合には, 収益性の低い僻地(=へきち)などには見向きもしないことも考えられ, 公平の原則に反することも出てくるので国家の独占事業としてきたことに一定の意味もあっただろう. ただ, それがあまりに独占企業となると無競争下の官僚制に基づく弊害も出てくる. たとえば民営化された電話局での運動スローガンには, 独占時代には使われなかった言葉を心がけて言うようにというものがあった. 次の言葉が張り出されているのを見た時には衝撃を受けた. ありがとうございました/いらっしゃいませ/ お待たせしました/少々お待ち下さいませ/ かしこまりました/おそれいります つまり顧客に対してこういう言葉はあまり使われていなかったのである. それを疑いもしなかった. しかも最近こういう言葉が大切だと気がついたのは意識の非常に進んだ電話局でのことである. 遅れた部分では独占時代とまったく同じである. 顧客と接する最前線でさえこうであったのだから, 電気通信事業の運営における悪い意味での官僚性はどのくらいのものだったか想像に難くない. ただし, 戦後の混乱期に電気通信事業の復旧には, 非営利的な運営の仕方も必要であったことは認めなくてはならない. |
最初の唐津_氏の見解は, まだ甘いように思われる. . . .
引用の書籍の発行年月日を見れば分かるが, 唐津_氏の著作は, 1998年のことである. 単行本がいつ出たのかは, 知りませんが,
文庫になったのは, 1998年のことである.
脇_英世_氏の著作は, 1986年のことである. 脇_氏は, 1947年生まれである. まさか, 電電公社が設立された1952年のことではないと思う.
NTTの設立は, 1985年であるが, 1986年には, 民営化がなされつつあった. 実は, このあたり詳しくないので,
大きなことはかけませんが, 唐津_氏の話は, 電電公社の最初期のことであろう.
唐津_氏の書籍は, 1998年の文庫化に際しては, 1985年の電電公社の民営化にあたっての付記もあってしかるべきでは,
ないかと思う.
(2013/08/15(wed))
(2014/10/10(fri)_補足)
「読書----博識(?)」
白上_謙一『ほんの話_--青春に贈る挑発的読書論--』社会思想社(現代教養文庫), 1980/04/30_初版第1刷発行.
[p256-p257.] 読書の第1歩として諸君におすすめしたいのは, 逆説的に聞こえるかも知れないが, 本以外のものを読めということである. つまり新聞, 週刊誌, 綜合雑誌といったものをよめということである. 注意はたった1つ, それらを本のように勉強せよということのみである. スポーツ新聞とか, なんとかポンチなどというようなものだけではちょっと心細い. なぜかというと, いわゆる大商業新聞や名のある週刊誌に比べて発行数が1けた以上も低いからである. 諸君の友人や先生の内に何とスマートで物知りな奴だと感心したり, うらやましく思う人がいたら, 10中8, 9は本ではなく新聞, 雑誌を勉強している人達なのである. それに気付かず, あいつらのようになろうとして本などを読んでいたのでは, なかなか彼等に追いつくことはできないで, いたずらに劣等感や自己嫌悪におち入ってしまうであろう. 「文芸春秋」という雑誌は大して高級な綜合雑誌だとはいえないのであるが, 1時いわれたようにこの程度の雑誌でさえ読んでいる人は日本人のたった5%しかないのである. 例えば「毎日新聞」と「朝日ジャーナル」と「読書新聞」だけくらいを1箇月も勉強してみれば諸君にとって超人的秀才と思われる大部分の人達と対等に太刀うちができるようになるであろう. 諸君の心はやすらぎ, 自分自身のための読書への道が開かれるであろう. 今回は次の2書を推薦するにとどめておこう. 梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波新書) 三国一郎『私の切りぬき帖_はさみとのり』みゆき書房_390円 1970.7.1 |
私自身は, 異論もありますが, それは, また, いずれ.
(2013/08/14(tue))
「ライティング・メモ」
脇_英世『文科系のパソコン』講談社(講談社現代新書)
脇_英世『ニューメディア時代の知的生産の技術』講談社(講談社文庫)
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(1.)
あの本に書いてあったはず.
と思っても, 間違っていたりする.
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脇_英世『ニューメディア時代の知的生産の技術』講談社(講談社文庫), 1984年09月15日_発行, p52-p53.
ノートの必要性. ノートを上手に作る人は本当にうらやましい. 自分で講義していても, 試験の時間にノートの参照を許すときには時間中に回って見るけれども, 単位はやるからそのノートを私に譲ってくれないかと言いたくなるようなきれいなノートを見掛けることがある. [略] 単に美しく記録を作ることだけがノートを作る目的ではない. 人間の記憶容量には限界があるし, 使わない記憶は段々うすれていくものである. [略] ビジネスマンの人でも克明にノートを作って活用している人を見たことがある. あれがわからないというと, たちどころに必要な人の名前と電話番号を教えてくれるので感心したことがある. それにくらべて記憶に頼る人は曖昧である. 「たしか, あれはあの本のどこかに書いてあった」とか「たしか, あの雑誌のどこかにあった」と言われて, 徹底的に調べても見付からないことが多い. 創刊号からしらみつぶしに捜してもなかったこともある. そのことを報告すると, 「ああ, そうですか」で片付けられてしまうことがある. 捜したという経験は無駄にはならなかったけれども効率はよくはなかった. |
* 私自身, この本に書いてあったはずと, 思って探しても, 見つからない事をなんどか経験した.
e.g. 浅田次郎氏のエッセイについて.
浅田氏が, 冷凍庫に閉じ込められた話を, [極道放浪記]シリーズに,
記載されていると思って探したが, 見つからなかった.
講談社の[勇気凛々_瑠璃の色]エッセイのなかに記載されていた話であった.
(2.)
世間の引用文は, 甘いことが多い.
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脇_英世『文科系のパソコン』講談社(講談社現代新書), 1984/04/20_第1刷発行, 1985/06/22_第3刷発行,
p116.
文献名の入力 文献名は, できるだけ正確であることが望ましい. 正確でなくとも探せるが, 間違いが少ない. 一般に文章中の引用は甘いことが多く, 困ることが多い. 発行所は発行年は, さらに適当なことが多い. ニューヨークとかロンドンなどとされても, 発行所は東京とか京都と記したのと同じで, 何の情報にもならない. こうした無意味な情報は, カットすべきである. しかし自分のことを考えて反省すると, 私もかなり適当なところがある. 本来, 学術文献の場合は, 文献表を先につくってから本文にかかると失敗が少ない. |
* 私自身, 引用文は, 甘く, 誤字, 脱字が多い.
* 上記引用文は, 「文献名」についてであるが, 引用文も, いい加減なものが多い. 誤字脱字があるのである.
* ネットで見掛ける「引用」にも, ずさんなものがある.
(3.)
書籍の引用するときには, その書籍の第何版, 何刷かと明確にしておく事.
ひどい時には, 版によって, 逆の結論が書いてあったりするという.
(同じ著者, 書名であるにもかかわらずで, ある. )
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脇_英世『文科系のパソコン』講談社(講談社現代新書), 1984/04/20_第1刷発行, 1985/06/22_第3刷発行,
p112-p114.
ワープロをデータ・ファイルとして使う 日本語ワープロは, 面白い機械である. 活用の仕方次第では, 非常に強力なものとなる. ここでは, 日本語ワープロをデータ・ファイルとして使うことを考えてみよう. よく引き合いに出されるのが住所録で, これは何といっても効果的であるが, 変化に富んでいないので, 読者に退屈の感じを与えるであろうから, ここでは少し変わった使い方を考えてみよう. たとえば, 山口昌男著『本の神話学』(中央公論社)という本を題材にとりあげさせていただこう. 一読されれば誰でも感じられるように, 著者は博覧強記で大変な読書家である. 引用文献の数も多く, 目もくらむほどである. 博引傍証趣味とは, こういう人をいうのかも知れないと思う. 『本の神話学』の中でも, 「二十世紀後半の知的起源」という章は面白いと思うので, これを取り上げて考えることにしたい. 引用はスチュアート.ヒューズに始まり, L.ガーショイの『ザコリンのベッカー解釈』に終わっているが, 実に多彩である. 読んでいると, どこまでが著者の意見で, どこまでが引用文献の著者の意見なのかわからなくなる. 冷静に分析するためには, まず引用文献の一覧表を作ってみるのがよいと思う. 文献の一覧表を作る場合, 項目をどう配置するかが問題である. これは穏当に, 著者名・文献名・訳者・発行所・発行年とすることにしよう. 普通, 学術文献では原典第1主義で, 原典の題名と発行所と発行年はやかましい. どのテキストを参照したかということが, まず議論の前提になるからだ. 同じ著者の同じ名前の本でも, 発行年が違うと, 書いてあることが違うことがある. ひどいのは, 逆の結論が出ていることさえある. したがって, 学術文献の場合, 仮に訳書があっても, 引用はしないで原典の引用をキチンとする. どのように入手が難しかろうと, 正確さを重んじる. この本の場合は, 訳書の間違いを指摘して, 出版文化のあり方を批判することにも力が注がれているので, 訳書の方も項目に取り入れることにした. |
* 逆の結論が, 書いてあることも珍しくない.
* 思想関係の本では, 何度も経験したことである.
* また, 何版, 何刷になっても, 訂正されない間違いも見掛けたことがある.
(2013/08/12(mon))
「引用文」
このウェブも「引用」だらけだけれども, 気になっていることを一つ.
脇 英世『文科系のパソコン』講談社(講談社現代新書), 1984.
に書かれていたことだと思う.
手許に, この本がないので, うろ覚えだけれども, 「引用」は, 概して甘い.
甘いというのは, 誤字, 脱字が多いと言うことである.
きちんと, 校正しないと, 誤字脱字は, 避けられないのである.
ネット上で見かける「引用文」にも, 誤字脱字が多い.
もともとは, 書籍からの引用を打ち込んだときに, 間違っていて, そして, それをまた引用する(孫引き)するから, 間違いがそのまま流布した例を何度も見かけた.
私も, 以前チェック無しで, 打ち込んだ文章を原典と参照したところ, 誤字脱字が多かったのに, 気づいたことがある.
絶対引用ミスはないとは, いえないが, 何度かチェックして, アップしています.
脇 英世『文科系のパソコン』講談社(講談社現代新書), 1984.
どこかの古本屋にないかと, 近隣を探して回っています(汗).
ほかにも, 大事なことが, 書いてあったような気がする. . . .
(2013/08/11(sun))
「言葉は嘘つき」
別冊宝島356『実録! サイコさんからの手紙』, 1998年01年03日発行.
[p194]
村崎百郎「俺の読者に贈るコトバ_電波ファンレターの練習問題」 人の心の不安や淋しさにつけ込んで囁きかけてくる"電波"のコトには耳は貸すな. 最後に, 俺にファンレターを書くおめでたい連中に言っておく. 簡単に人を信じるなよ. 易々と他人に影響されるな. 文字なんか活字に組まれて本になってるとそれなりにご立派なコト書いてるように見えるけど, 言葉なんて大したことないんだからな. 書かれた文字を疑え, 語られた言葉を疑え, いちばん悪いのは, 何か自分以外の者に過度に期待して, 判断を全面的に他者依存することだ. むやみやたらと他人を尊敬なんかするんじゃねえぞ. 全ての文字には嘘があると思って間違いない. 俺がお前らを騙そうと悪意を持って文を書いていることを忘れるな. |
そう, 言葉は, 嘘つきなのです.
上記の引用文は, 原典から引用して確認してあります.
下記の文は, ネットから持ってきたものです.
今, 手持ちの宝島のサイコさんからの手紙っての読み返してるけど, 村崎さん, 自分にファンレター書いてくる人に対してこう締めくくってるわ. 簡単に人を信じるなよ. 易々と他人に影響されるな. 文字なんて活字に組まれて本にそれなりにご立派なこと書いてるように見えるけど言葉なんてたいしたことないんだからな. 書かれた文字を疑え, 語られた言葉を疑え, いちばん悪いのは何か自分以外のものに過度に期待して判断を全面的に他者依存することだ. むやみやたらと他人を尊敬するんじゃねえぞ. 全ての文字にはうそがあると思って間違いない. 俺がお前らをだまそうと悪意をもって文をかいていることを忘れるな. |
一々, 比較箇所は, 示しませんが, 後者の引用文には, 誤字, 脱字が見受けられる. こういうことは, 多々あるので,
できる限り原書, 原典に当たってみるほうが賢明である.
(2013/08/10(sat))
「偏見と成り得る?」
[遺伝病に関する偏見につながる可能性のある記述]
小長谷_正明『神経内科_----頭痛からパーキンソン病まで----』岩波書店(岩波新書), 1995/93/20_第1刷, pp218-219.
明治の名古屋で報告された病気 このような運動に関係する錐体路や, 脊髄の前角細胞を徐々におかしていく病気のことを運動ニューロン病という. ALSによく似た症状で筋肉がやせて力が入らなかったり, ファシキュレーションが出てくる病気に脊髄性筋萎縮症(SMA)というのがある. これは前角細胞だけがやられる病気で, 反射は亢進しない. 幸いにして進行は遅く, 以前は脊髄性進行性筋萎縮症とよばれ, SPMAと略されていたが, 最近は進行性をとり, 略称もSMAとなった. 神経内科には長ったらしい病名が多いが, 病名が短くなり, 略称も簡略化することは歓迎だ. 学問的にはいくつもの病気のタイプにわけられるが, そのうちで, 舌と手足が障害される球脊髄型というのは, 19世紀の末に愛知県立医学専門学校(名古屋大学の前身)の川原汎が報告したのが最初である. 私の親しい先輩が全身全霊をこめてその病気を追究していた. この病気は性染色体劣性遺伝で, 80年前の川原の患者の子孫を追跡し, 病院にきてもらって診察し, 検査していた. あるとき, その先輩がいうには, こうして同じ病気の人が待合室にならんでいて, 本人たちはまったく他人だと思って話しているが, じつは明治のはじめには同じ親から生まれた人たちの子孫なのだよ, 何代かさかのぼれば祖先はみな同じになってしまうだろうし, 遺伝とはおもしろくもあり, おそろしくもあるものだと. 日本で発見された病気なのだが, 川原型とはいわれずに, 何十年ものちに報告したアメリカ人の名がついてケネディ・オルター・スン型とされている. 察するに, 明治時代の言葉の壁はいまよりさらに厚かったのだ. この病気の遺伝子も解明されてきている. |
下線部は, 引用者の私によるものです.
遺伝によるものだという意味では, たしかにその通りかも知れないと思う.
反面, あそこの家系は, 病気持ちだから----というふうに, 偏見というか差別にも, 成り得ると思う.
別に, 脊髄性筋萎縮症(SMA)なる病気だけではない, ほかの病気にしても, 業病とか, 遺伝病という理由で, 偏見にもなることも考えられる.
うっかりとは, 口にしたり, 記述したりしたくないなと思う.
感情的に過ぎるかもしれませんが・・・・.
(2013/08/10(sat))
「歴史とは公認された作り話である」
これは, ウ"ォルテールの言葉だそうである.
歴史に限らず, 人づてに聞いたか, 読んだ話であって, 本当の事かどうかは, わからない話が, 世の中には多い.
ここで, 紹介するのは変だけれども, こういう話を読んだ.
『修養全集 第八巻 古今逸話特選集』大日本雄弁会講談社, 昭和四年六月.
「一夜弟子」 ドイツの片田舎のみを演奏して歩いていた女音楽師があったが, 当時世界的に有名なハンガリーのフランツ・リストの弟子だと吹聴していたので, 相当の聴衆を集めていた. 或町で演奏会を開いていた時にも, 例の如く, リストの弟子という肩書で大いに人気を惹き立てていた. ところが, 偶然この町へ実物のリストがやってきた事を知った彼女は, 散々懊悩の末, 遂に意を決してリストの旅館を訪れ, 今まで無断で弟子と詐称していた罪を告白して免しを求めた. 彼女が, 年老いた母を養う為に, 止むなく大音楽家の弟子と称し, 漸く生活を立てていることを, 涙ながらに物語るのを聞いたリストは, 明日彼女が演奏する曲を試みに弾かして見た. そして, 彼女が熱心に弾奏する間, 或は正し, 或は教えて, 漸く一曲終わった時, 「さあ, これで, 貴嬢は今日からほんとうにリストの弟子ですよ. そして, まだ, 明日の番組(プログラム)を印刷してなければ, 師匠リストが, 最後の一曲を奏する為に出演する, と, 書き加えなさい」 果然, 翌日の演奏会は非常に盛会であった. |
「ゲリラ戦」
脇_英世『パソコン新世紀』講談社(講談社文庫), 1987/07/15_第1刷発行, p18-p20.
1985年の終わりごろから, 私はパソコンの本の世界の変化に気がついていた. それはパソコンの草創期を支えていた出版社の支配力が落ち始め, 新興出版社の参入が激しくなったということであった, そして本の質も変化し始めた. 従来のハードウェアと呼ばれる機械的部分中心や, BASIC言語中心の本が姿を消し始め, アプリケーション・ソフトウェアの解説書やプロテクト破りの本が全盛となってきたのである. パソコンが大衆化し著者の層も広がったし, 読者もより実用書としてパソコンの本を望むようになってきた. 誰にでもパソコンの本が書けるようになってきた. したがって市場は混乱の様子を見せてきた. 小さなパイに蟻の大群が群がるような状況が発生してきた. 過当競争である. 私はこれをある種の末期的症状と判断した. それでいながら, むしろそれだからこそかも知れないが, 異常に肥大したパソコンの本の出版社は出版点数をむやみに増やす競争を続けていた. 当時, 私は皮肉を言ったことがある. 「ゲリラが大平原に出て行って, 正規軍を気取って大平原の大会戦をやろうなんて馬鹿げた話だ. これまで我々が多少でも強かったとすれば, ジャングルの中でヒット・エンド・ランのゲリラ戦を展開したからだ. 大平原なんかにのこのこ出て行ったら, いつのまにかまわりをぐるりと包囲されていて, 逃げることもできず全滅してしまう. 未来にパソコンの本の洋々たる市場が控えていると考えるのは本当に正しいのだろうか. 先は渓谷で間口が一旦せばまっているような気がする. そこを抜ければ確かに洋々たる市場が開けているだろう. しかし, そこを突き抜けるには軽量化して逃げ足を速くできることが大切なのではないか. これだけ無茶苦茶に本が出ていては読者の購買力は追いつかない」 相当ペシミスティックで神経質な見方だったかもしれないが, 1月に1つの出版社からパソコンの本が12点も刊行される状況を見て, 私は心配したのである. |
これは, パソコンの本の話である.
しかし, 他の事にも言えるのではないかと思います.
私自身もバカですから, 高度な事は出来ない. しかし, 生き残る為に出来るとしたら, ヒット.エンド.ランで, 戦う事だけでしょう.
それを調子づいて, 正規軍というか, 「出来る人間」気取りでいたら, あっという間に, 撃破されて破滅するでしょう.
(2013/07/01(mon))
「感傷」
三木 清 氏の『人生論ノート』(書籍としては, 新潮文庫にあります)に, 「感傷について」という章があります.
青空文庫に旧字体で, 入っています.
http://www.aozora.gr.jp/cards/000218/files/46845_29569.html
この中で, 三木氏は
あらゆる物が流転するのを見て感傷的になるのは, 物を捉(=とら)えてその中に入ることのできぬ自己を感じるためである. 自己もまた流転の中にあるのを知るとき, 私は単なる感傷に止まり得るであらうか. |
私の言葉で言えば, あらゆる物が変化していくのを見て, 感傷的になるのは, 自分の中に, 変化しない, いや, 変化が遅いものがあるからでしょう.
あらゆる物は, 変化するし, 自分自身も変化しているのだけれども, 自分の中でも, 変わるものもあるし, なかなか,
変わらないものもある.
なかなか変わらない物が, 自分の中にあるから, 感傷的になるのでしょう.
そんな事を, 感じます.
(2013/07/01(mon))
「信頼」
昭和のろうそくが1本また消えた日
[コラム] 2010/05/26(水) 23:19
http://www.webserai.jp/2010/05/post-850d.html
「あんまり腹の底までしゃべるとこの店に来られなくなるよ, 腹の底まで見せた相手には負い目を感じるもので, そういう人の前にはみっともなくて現れにくくなる法則がある. しゃべりたいことを100%話し尽くした時は気分が晴れたような気になるが, 酔い覚めの自己嫌悪は最悪で, 醜態を演じた場所には絶対に行きたくなくなり, そういうのは店にとっても損だから, そこから先はもう聞かない」 |
これは, 私自身, 何度も体験したことである.
相手の悩みを, 聞くのはいいけれども, その後, その相手が, 離れていくのである.
しかし, この問題は, 信頼関係にある.
相手が, そこまで, 自分を, 信頼していない場合は, 往々にそうなる.
この場合も, マスターは, このかたから, そこまでの, 信頼を受けていないのを感じていたのだろうと思う.
腹の底まで, 見せても良い相手は, お互い, なかなかいません.
相手が, 深いところまで, 自分を信頼しているかどうかにかかっている. そうでない場合は, こんな風に断るべきだと思う.
(2013/06/23(sat))
「分かるということ」
脇_英世『パソコン新世紀』講談社(講談社文庫), 1987/07/15_第1刷発行.
[p99-p100]
LU6.2を理解するにはSNAネットワークについて多少知らなくてはならない. 本当は多少分かったくらいではとても分からない. 何メートルかの高さになる文書を読みぬかないと分からない. しかし学生時代に教わった話だが, 分かるということはしょせん錯覚である. 何となく分かったような錯覚を読者に与えるように努力しよう. |
前後の文書も, 引用したが, 気になったのは, 青文字のところである.
結局, 人間は, 分かるということは, 無いのであろう.
単に, ある程度, 観念を使って, 物事を扱うことが出来るようになるということであると, 私は思う.
(2013/06/22(fri))
「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」
キング.スレイ.ウォード『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』城山 三郎 /訳, 新潮社(新潮文庫).
数多い, ビジネス書と呼ばれる本の中でも, 比較的, まともだと思う本の一つです.
脱線だけれども, ビジネス書と呼ばれるものの多くを, 私は, 認めない.
全部では, ありませんけれども.
読んでみると, いろいろ興味深いことが書かれている.
この中で, V.E.フランクル『医師と心』という本のタイトルが紹介されている.
さて, この『医師と心』という本の和訳が見あたらない.
調べてみると, 日本語訳のタイトルは, 『死と愛』というものだそうである.
本屋で, 「医師と心」で, 検索しても, 出てこないわけがわかったのである.
「医師と心」(ウ"ィクター・E・フランクル)の書誌事項が知りたい.
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000041406
によると, 英語名「Doctor and the soul, from psychotherapy tologotherapy」だそうである.
城山氏は, これを, 『医師と心』と訳したらしい.
"Doctor and the soul." 直訳(?)すれば, 「医師と魂」というところか.
いずれにしても, それだけでは, わからない. . . .
上記, アドレスの記事のおかげで, 日本語訳が, 『死と愛』みすず書房 刊 ということがわかった.
実は, この本を買ってきて, これから読んでいこうと思っています.
日本語訳には,
V.E.フランクル『死と愛』実存分析入門
とあります.
英語表記の, タイトルの後半 "from psychotherapy tologotherapy"
を実存分析入門 と訳したらしい.
原語は, ドイツ語である. 私自身が, ドイツ語は, ほとんど全然わからないので, 英訳タイトルでお茶を濁すけれども,
たぶん, ドイツ語でも, そんなふうに書いてあるのであろう.
(2013/06/02(sun))
「守護の月」
かつて, この大地が暗闇に包まれていた時代. . . . 天の彼方から, 無数の悪魔が, 流星となって, やってきた. しかし, 悪魔は, 月に阻まれ, 退けられた. この大地を守った月は, その戦いで, 月は傷だらけに, なった. 大地からは, 見えない月の裏側に, クレーターが多いのは, その時の傷跡だという. そして, 今も, この大地を守る為に, 大地の上を回っているのだという. |
「終わらない鎮魂歌を歌おう」
人はみんな寂しがり屋だ だから人は一人ぼっちじゃ歩けない でもそれはきっと 一緒に歩いていける人がいれば どこまでも歩いていけるという事だと思う |
「Windows7」
「車のセールスマン」
唐津_一『販売の科学』PHP研究所(PHP文庫), 1993年7月15日_第1版第1刷, 1996年10月15日_第1版第11刷,
p15-p17.
に, こんな話が出ている. 一見, 美談である.
しかし, 「物事は, 善ならず」というか, 反面があるのである.
商品を選ぶのは人間である 「クルマがご入用になったら, お客様のほうからお電話がかかってまいります」. これは1年間に365台の自動車を売ったことで有名な, あるセールスマンの言葉である. そのナゾを聞いてみたら, 次のようなことだった. 道路を走っていて, クルマがエンコしていたら, 必ずクルマをとめて, みてあげる. 上着をぬいでワイシャツ姿になり, 平気でクルマの下にもぐりこむ. たとえ, その場で故障が直らなくても, できるだけのことをしてさしあげる. もちろん, ワイシャツは泥まみれになるかも知れないが, もうこれで, "一発"だそうである. 経験した人はご存じだろうが, クルマのエンコほど情けないものはない. 押してもダメだし, かついで帰るわけにもいかない. 雨でも降っていようものなら, なおさらである. そこで, このようにして面倒をみてもらえば, その名前は自分の心に焼きついて, 離れるものではない. ====略==== いま述べたクルマのセールスマンの話も同じである. あの人からクルマを買えば, 安心だということが年間売上げ365台のセールスマンに仕立てあげたのである. クルマは手に入れればよいというものではない. 走ってみれば不具合がみつかるかも知れないし, 故障でエンコすることもある. それに次のクルマに取りかえるときの下取りの問題もある. あの人から買えば, すべてについて安心で面倒見がよいとなれば, どこで買っても同じクルマなら, あの人から買おうということになるのである. 時には, 他社のクルマに乗りかえようかという話が出ても, そうなるとあの人に面倒をみてもらえなくなるからということで, 結局はこのセールスマンから買うことになる. |
以下の記事を, 参照して欲しい.
大手車販売の営業職の給料って良いのでしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1471185659
回答者のty470620さんの, 回答をである.
上記のセールスマンらしき方の話が出ていて, かなりの給与をもらっていたようである.
いや, それは, 問題ではない. 問題は, 以下の記事を読んで欲しい.
トップ営業マンに肩入れする会社に, 強い営業組織なし
http://www.zeirishiblog.com/mao/item_15429.html
そう, 営業トップ本人は, それでよかったのであろうけれども, そのセールスマンの周りの方達の志気は, 落ち込んでいたのである.
記事に, あるように, 当のセールスマンの都合(お客の自動車のメンテナンス, その他)が, 優先になり, 周りのセールスマンの事は,
後回し, 周りのセールスマンの志気を, 落としていたのである.
「組織」の中では, 当のセールスマンはある意味, 悪しき存在だったのである.
この話は, すごく微妙な面があります. 組織優先では, いけないと思いますが, かといって, 一個人優先では, 「組織」としては,
うまく機能しないのである.
当のセールスマンが, 悪いなどと, 言うつもりはありません. しかし, 一概に, 冒頭の話だけ読んで, 美談だ, すばらしいと決めつけることはできない.
. . .
(2013/05/23(thu))
「タービンの原理」
富塚_清『動力物語』岩波書店(岩波新書), 1980/03/21_第1刷発行.
[p87] 8 重力直動水車から圧力型に 水車は, 人類にとってきわめて付き合いの長い原動機であるが, 何千年もの間, その原理は不変だった. それは, 水をバケツに受け, それが重力作用で下降するのを直接に受けて輪が回る方式である. だから, 高落差を扱うのに不向きである. また, 軸の高速回転にも不向きである. もし, 高速回転にしようとしたら, 水の速度が追いつかないし, 去り際の水の持って逃げる運動のエネルギーが多すぎて, 高効率が実現できない. よって, 1台の出力も, 数十馬力がせい一ぱいで留まっていた. |
[p88] 水車の根本的改良についての最初の提案はフランスの学者プルーダンのものである. 方針の骨子は, 従来の重力直動ののろのろ型から圧力型への転換ということである. 従来のものは, バケツに水を入れて, それを持ち降ろすのだから, 水圧は問題にならない. しかし, 新方式は, じかに持ち降ろすのでなく, 水は, 溜めて圧力水とし, それを何十メートルでも何百メートルでも下方に導く. 水の落差10メートルごとに圧力は1平方センチメートルあたり1キログラムずつ増す. 水車は, 最下位に設け, その位置に高圧水を噴出させて動力を発生させる. 途中の下行管中の流速は導水路の流速なみである. よって, 水のエネルギーは最下位に集中, こぢんまりとした高速水車となり, どんな高落差でも楽々とこなせる. プルーダンはこれにタービンという名をつけた. (20世紀の日本では, これを牙輪水車などと訳した例もある. ともかく, 従来のバケツ型水車との区別を表現したかったのであろう. )タービン羽に対する水の動作は, バケツ型水車とは根本的に違う. タービンの場合は羽の面に対して全然静止することなく, 高速に流れて通過する. つまり, 動的である. よって, 力の及ぼし方も動的である. |
「やりたいようにやりゃ, 満足もするもんで」
「あいつは, 指示せにゃ, なにも見つけられんが, やるとわかれば, 自分の満足するようにするじゃろ. 」 「わしもそうじゃろ. 」 「やりたいようにやるじゃろ. 」 「石井のとっちゃんもじゃろ. 入社したときから, 借金返済のために, で, やりたいようにするじゃろ. 」 「今井なんかは, ひどいで, やりたい放題じゃ. 」 「あいつらは, やりたいように, できるけぇ, 旗揚げもできるよの. 」 「やりたいように, やれりゃ, 満足もするもんで. 」 「それが, できにゃ, どこ行っても変わらんよー. 」 「なんか, お前だけ, やらされとるよ. 好きにやりゃええんで. 」 「みんな, しよるじゃろうが. 」 |
「自分の存在の起源」
バビル2世「200年の年月を生き, まだ知を求めるか. 」 ヨミ「そうだ. 私は知りたいのだ. 」 ヨミ「この宇宙の創造者を. そして, 私のルーツを. 」 |
「信念を貫ぬくことができなければ・・・・. 」
和月信宏『るろうに剣心 (14)』集英社 ジャンプ・コミックス, 1997/03月09日_第1刷, pp61-62. 志々雄に闘わずして負けた時, お前は剣を捨てるべきだった. それを形だけでも取り繕おうと虚栄を張ったのがそもそもの間違い. 己の信念を貫けなかった男など, 死んでも生きてても惨めなものだ. |
厳しいことばだが, その通りであろう. . . .
松本零士『銀河鉄道999』少年画報社文庫(少年画報社)版 第9巻, p41. 「時間城の海賊」 男にはな. 負けると, わかっていても, 行かなければ, ならない時もある. 死ぬと, わかっていても, 戦わなければ, ならない時が, ある. おまえたちは, その時に, 行くことも, 戦うことも, できなかった. |
引用した言葉は, マンガ中では, キャプテン・ハーロック(らしき人物)の言葉である.
引用文の中で, 「男」となっているが, 「人間」とした方が良いでしょう.
男女関係なく, 「その時」があるのを, 私は知っている.
(2013/03/15(fri))
「具体的とは?」
有名な大論文といえば, マルクスの『資本論』などは代表的なものであろう. これを読んでみてもわかるように, もう全篇が具体的記述で充満している. イギリスの陶器製造業の労働者たちが極度に寿命の短いことの詳細な背景とか, 合州国の南北戦争のおかげでイギリスの木綿工業界はどのように機械の改良・大規模化がすすんでいったかとことが, 実にこまかな具体的記述ですすめられる. あれだけの具体的事実で支えられているからこそ, 世界をひっくりかえすほどの説得力を持つにいたったとさえいえよう. |
あなたの睡眠時間は? いかにも正確らしい感じというのは, 最も評判のよろしくない統計にさまざまの重みをつけ加えるものだが, その1つとして小数点の問題を考えてみよう. たとえば, 100人の人たちに昨夜何時間寝たかを聞いてみる. 合計で, 783.1時間になったとする. こういったデータは, 始めからとても正確とはいえる代物ではない. たいていの人の答えは15分かそこらは違っているだろうし, そういった差がお互いに相殺し合うという保証は何もないからである. それに, 誰でも経験していることだが, 眠れなかった5分間を, まるで1晩の半分も眠れずに寝返りを打っていたと考える人だっているであろう. しかし, それはそれとして先へ進もう. 算術をすれば, 1人が1晩に平均7.831時間寝ているということになる. こんな数字をみると, 自分のいっていることがまるで正確にわかっているかのようだ. 読者諸君がもし, 人は1晩に7.8時間(あるいはほぼ8時間)睡眠をとるものだということだけを明らかにすれば, それでよいというのなら, この数字をおかしいと思うことはなかったに違いない. そして, その数字が, お粗末な近似値であって, ほとんど誰でもがするような当て推量と全然変わらないものなのに, まるで真実のよう思えたことだろう. マルクスの数字はこけおどし かのカール・マルクスのやったことも, 同じような方法で, いかにも正確らしい感じをだしたというだけのことなのだ. マルクスは, 紡績工場での「剰余価値率」を計算するに, 素晴らしいほど多くの仮定, 推測, 概数を始めに設けている. 「くずは6%と仮定する・・・・・・, 原料費は概算で342ポンドである. 10,000個の紡錘は, 1個の原価が1ポンドと仮定し, ・・・・・・その磨損は10%としよう. ・・・・・・工場建物の賃借料は300ポンドと推定しておく・・・・・・」といった具合である. そして, マルクスは書いている. 「私はこれらの信頼できるデータをマンチェスターのある紡績工場主から手にいれた」と. マルクスは, これらの近似値から次のような計算をしている. 「したがって, 剰余価値率は, 80/52=153_11/13%である. 」1日10時間労働の場合には, これから「必要労働時間=3_31/33, そして, 剰余労働時間6_2/33」ということになるのである. この33分の2時間というのは, いかにも正確な感じをだしている. ところが, みんなこけおどしなのだ. |
「センスというもの」
『マンガライフオリジナル』竹書房, 1996年04月号. 「あなたの横にもきっといる街のヘンテコさん」 第15回__king Queen of ヘンテコさんの巻 大阪編__又野_尚 (西) 雅子様に似たKさんの出身高校は女子校だった. 卒業してから12年ぶりの同窓会の案内に, まだ独身の彼女はずいぶん迷ったが, いろいろリサ-チの結果, クラスの40%が未婚なのを確認して出席することに決めた. 当日, なつかしい友人達の顔ぶれの中に, 見慣れぬ同級生が混じっていた. 彼女は超が付くほどのロングソバ-ジュに濃い化粧, ニュ-ハ-フ御用達の「ミュグレ-」のス-ツ, シャネル系の小物など, おおよそ考えつく限りのバリバリの格好で自身満々に立っていた. 「やだ!, 山田よ!」とにっこり笑った彼女が, クラスで一番地味だった子だと言うことに気付きみんな愕然とした. 「魅惑の変身」のはずが, 「服を買う財力」ほどには, 「服を選ぶセンス」の持ちあわせが足りなかったようで, 昔の女装のような姿になっていたのだ. お金をかけてある分笑える. 同級生達の微妙な視線を受けて, 彼女はますます自分のいい女ぶりに満足したようだった. 「同級生が突然ニュ-ハ-フになってびっくりする方がましよね. だって, 綺麗だもん」帰り道この強引な発言に反論するものは一人もいなかったらしい. |