ある禅僧の死に関するエピソードである.
最初に掲げたエピソードが, 原型だと思う.
しかし, 伝言ゲームをしていくうちに, 多様に変化し, 原型がわからなくなっている.
また, それに対する解釈, 感想も多様である.
物を伝えるということについて, 正確に伝えるのは難しい.
また, 相手がどう解釈するかという問題もあるという資料として掲げておく.
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
丸田俊彦『痛みの心理学』中央公論社(中公新書), 1989年.
この本によると, 言い方の問題も大きいという.
「あなたはガンである」といった場合, そのかたそのものがガンであるということにならないであろうか.
ガンを持っているという言い方の方が, 相手にとっていいのではないだろうかという.ガンと共存し, また生きていく為には, ガンを持っているという言い方がいいという.
かつて禅宗の高僧が, 「私には本当のことを伝えて下さってかまいません」と主治医に告げ, それを信じて主治医がガンを宣告したところ, 急に食欲が衰え, 死期が急速に訪れたという逸話があります. どんなに修行を積もうとも, 「自分という人格がガンに侵された」と悟ったら, 生きる意志を失うのも無理ないように思われます. |
ここでは, シンプルに, 急に食欲が衰えたとある.
http://www.plinst.jp/musouan/koramu05.html
コラム
禅宗のある老師様が病気になられた時, 首を傾げる主治医の先生に, 『私は, 坊主ですから死の覚悟は付いている, 本当の事を教えて下さい』と, 告知を促したものの, 癌を宣告された数日後, 自殺されたと言う話を聞いた事があります. |
自殺したという話になってる....
(あえて, 断食して死んだという意味にも, とれるが・・・・)
小林_光恵『愉快なナースのないしょ話』幻冬舎(幻冬舎文庫), 2000年02月25日_初版, p221.
私も気合いが入りました. 彼の病室に行くときは, 悟りを開いたお坊さんが, 癌の宣告を受けて発狂してしまったという話を思い出し, 自分に頑張れと言い聞かせたのです. それに私から漏れて, 彼のエンドステージを台無しにしてしまったら一生, 罪の意識に苛まされるという恐怖, 責任逃れの気持ちもあったように思います. |
発狂・・・・したことにまでなっている.
http://www2.ocn.ne.jp/~siseiken/end.html
内田_誠『死に直面したあなたに』2006年
特別な修行(しゅぎょう)を積んだとか, 悟(さと)りを開いたとか, 信仰心があるからとかそういうものではないようです. 長年修行を積んだ偉いお坊さんが, がんの告知をされて, びっくり仰天(ぎょうてん)されたという話を聞いたことがあります. |
これはわからないけれど, 禅僧が, しずかに聞いていたという話が多い.
http://yamato-mahoroba.sakura.ne.jp/blog/2010/02/
侏儒のことば: 2010年2月アーカイブ
に, このエピソードが出ている.
解釈, 色々・・・・と, コメントしておきます.
(2011/12/01(sat))
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/