青い鳥


【第29回】 「つまり、お前、時空の波にさらわれたな。」  幽助は、起こったことを全て雷禅に話した。 雷禅は、話を聞き終えると低く笑いながら、そう言った。 「時空を越えるなんて、そう体験できるもんじゃない。  オレも長いこと生きているが、残念ながら体験したことはないな。」 「っていうことは、もとの世界に戻る方法知らねーんだ。」 「そういうことだ。」  実は、幽助はあまり期待していなかった。 きっと雷禅は、知らないと思っていたからだ。 この世界が“過去”かもしれないと分かった時、 同時に、「誰ももとの世界に戻る方法を知らない」という予感がしていた。 自分で何とかしなければならない。  しかし、今、幽助は、もとの世界に戻ることよりも 深刻な悩みを抱いていた。  雷禅は、幽助が未来から来たということを信じてくれている。 つまり、雷禅からみれば、幽助は、将来の出来事を知っている人物ということになる。 ――未来の出来事をしゃべったら駄目だろうか?  雷禅と幽助が再会した1年後、雷禅は空腹のため死んでしまうのだ。 雷禅から、食脱医師<くだくすし>の女に再会することを願って、 食事すること―人間を食べること―を止めた、と聞いた。  でも、でもさ……、結局、会えなかったんだぜ?  しゃべったら、どうなるんだろう? “どうせ、会えないんだから、あきらめて食事したら?”  そんなこと言ったら、雷禅、怒るかもしれない。 いや、絶対に怒る。 オレを見損なうかもしれない。 オレを恨むかもしれない。 だって、食脱医師との再会の望みを断ち切ってしまうのだから。 でも、だからこそ……、 ――望みがなくなったら、食事をするようになるかもしれない!!! 「……親父……。」  言っちゃえ言っちゃえ!! これは、雷禅を生かす最後のチャンスだ! 言ったら、きっと未来が変わる!! あの時、人間食べないと死んでしまうと分かっていながら、 結局オレは、雷禅に食事をさせなかった。 きっと雷禅は、後悔せずに死んでいったと思う。 でも、オレは、後悔していないといったら、嘘になる。 無理矢理にでも、食事させたかった。  雷禅のことを「親」だと思ったことはないと思っていた。 「親」なんて実感がなかったから。  でも、悲しかった。 たった1年間の付き合いだったのに。 北神達とは違って、会話もろくにしていない。 ただ単に、オレは雷禅に殴られていただけなのだ。  目の前で、雷禅がだんだんと弱っていった。 目の前で、雷禅は死んでいった。  雷禅を「親」だとは思っていなかったはずなのに、 どうして、どうしてこんなに――  悲しかったのか―――? 「なんだ?」  今なら、雷禅が食事をしない原因を取り除くことができる。 さあ、言え!!オレ!! 「…………。」  言葉が続かなかった。 幽助は戸惑っていた。  どうして、しゃべらないんだ?! これが最後なんだぞ!!こんなチャンス2度とやってこないんだぞ!! 雷禅が死んで、悲しかったんだろう?悔しかったんだろう? もっともっと、雷禅と戦いたかったんだろう? だったら、しゃべれよ!!!  幽助は、自分自身にそう言い聞かせた。 必死に、未来の出来事を言おう言おうとした。  しかし、 「…………っ。」  なんでだよ? なんで、しゃべらないんだよ? なんで、しゃべれないんだよ? しゃべったら、雷禅を死なせずに済むのに……。 「おい?」  雷禅が幽助の様子をうかがう。 幽助は、険しい顔のまま、何も言わなかった。 雷禅も、幽助に何も聞かなかった。  しばらく、沈黙が続いた。 「奥さん、よろしければ、オレの話も聞いてくれませんか?」  無意識に蔵馬は、志保利にそんなことを言っていた。 「変な話ですけどね、おとぎ話のつもりで聞いてくれませんか?」  一体何を言っているんだ?! 蔵馬は、“自分の口”が、“自分の意思”を無視して、勝手にしゃべってしまっている、と感じた。 「ええ。私の方こそ、変なお話をしちゃったんだもの。  是非、お話して。私、聞きたいわ。」  志保利は愛想よく、微笑んだ。 「昔、魔界というところに、残忍な心を持つ妖怪がいました。」  おとぎ話調に話す蔵馬。 おとぎ話のように話せば、今話していることが事実と気付くはずがない。 だいたいここは未来なのだ。 本当のことを言っても、“おとぎ話”でカタがつく。  蔵馬にしては、楽観的な考えだった。 蔵馬自身もそう感じていた。 だが、“話しておきたかった”のである。 その思いを我慢することは、「今の蔵馬」にはできなかった。  淡々と蔵馬は、“事実”を話し続けた。 「その妖怪は、盗賊でした。しかし、ある日、その妖怪は、ハンターに追われ、  人間界へと逃げ込みました。  ハンターに重傷を負わされ、力が激減していたその妖怪は、  妊娠中だった女性のおなかの中にいた子供に憑依しました。」 「……憑依……?そのおなかの中の子供は……どうなったの?」  蔵馬の“おとぎ話”を遮って、志保利は恐る恐る蔵馬に尋ねた。 蔵馬は、冷たく言い放った。 「その子供の“体”は、変わりありません。異常なしです。  でも、その子供の“意識”は、殺されました。  つまり、その子供の体の中に存在するのは、その妖怪の“意識”ということです。」  志保利の顔が険しくなった。 それでも、蔵馬は淡々と話を続ける。  蔵馬は、妙な気分だった。 今まで、必死に隠し通してきた真実を暴露しているのに 何の感情も湧かない。 どうして、こんな話を淡々と話すことができるのだろう? 『無感情』。 オレは今、『無感情』。 「その妖怪は、人間の子供として生まれました。  そして、人間として暮らしていきました。」 「母親を……父親を……騙してることに……。」 「ええ。そのとおりです。その妖怪は、母親を騙し続けた。もちろん父親も。  母親は、生まれてきた子供を当然、自分の子だと思っている。  生まれてきた子が、まさか本当の自分の子を殺した妖怪だとは思わない。  その母親は、騙された。利用されたんです。」  あ、分かった。 どうして、今『無感情』なのか。 『無感情』じゃないと、話せないからだ。 こんなこと、感情を殺さないと、とても話せないからだ。  少し間を取った。 志保利はじっと蔵馬を見てる。 蔵馬も志保利をじっと見る。  小さく深呼吸をし、蔵馬は質問した。 「もし、奥さんがその母親の立場だとして、“自分の子供が実は妖怪だった”と  知ったら、どう思いますか?」  これは、蔵馬が志保利に一番聞きたかった質問だった。 全てを話し終え、ようやく蔵馬の感情が動き出したのだろう。 急に、蔵馬の手が汗でビショビショになっていた。  志保利は、なかなか答えなかった。 真剣に考えていた。 難しい顔をしていた。  どうしてこんな“おとぎ話”に真剣になる? 蔵馬は不思議だった。 バカにされるかもしれないと思っていたのに。  蔵馬は、肩の力を抜き、静かに微笑した。 ――ああ、そうか。母さんは、他人をバカにするような人間じゃない。  蔵馬は静かに志保利の答えを待った。 「……私がその女性だったら、すごくショックを受けるわ。」  しばらく経って、志保利はそう答えた。 「生きていけないかもしれない。」  志保利は、難しい顔のまま、きっぱりそう言った。  蔵馬は、ほっとした。 当然、悲しかった。 それでも、やはり自分のしたことに間違いはなかったと分かって安心した。  辛かったけれど、母さんの記憶を消して、良かったんだ。 「おとぎ話を真剣に聞いてくれて、ありがとうございました。」  蔵馬は、静かな笑顔で志保利にお礼を言った。 志保利は、何も言わなかった。 何かを考えているかのようだった。 志保利は、難しい顔をやめなかった。 「おい……、オレが食事しない理由知っているか?」  雷禅は、突然話を切り出した。 幽助は無言でうなづいた。 「じゃあ、話は早い。そういうことだ。お前には関係ない。」  “関係ない”と言われ、幽助はムッとした。 反論しようとした時、雷禅が話を続けた 「オレは、自分のしたいようにする。したいことは、やらなきゃ気がすまねー。  オレは、わがままだからな。」  幽助は、一瞬“ん?”と首を傾げた。 今の雷禅の言葉って、どこかで聞いたことあるような? 「オレの人生は、オレのものだ。誰の指図も受けないぜ。」  雷禅は、真っ直ぐ強い目で幽助を見た。 「どんな結果になろうと、生き方はオレが選ぶ。  たとえ、お前が今、何を言ったって、無駄だ。  お前の小言に負けるほど、オレは弱くない。」 「…………。」  幽助は、頬を掻いた。 そんなにオレって、顔に出るんだろうか?  幽助は、何も言わなかったが、何を言おうとしたのか 雷禅に伝わってしまったようだ。 だから、雷禅はこんな話をしたのだろう。  「安心しろ。オレは、絶対に後悔はしない。」  雷禅は、そう言って、ふっと笑った。 そんな雷禅を見て、幽助は小さくため息をついた。 そして、幽助は、少々すねるように 「知ってるよ!」  悔しいけれど、たとえ、未来のことをしゃべっても 雷禅は、希望を持ち続けるし、絶対に食事をしない。 幽助に雷禅を食事させる術はない。  幽助も、ふっと笑った。  やっぱり、雷禅は強かった――。
【第30回】 「長い時間、付き合ってくれてありがとう。」 「いいえ、オレも話を聞いてもらいましたし。ありがとうございました。  紅茶もおいしかったです。」  蔵馬は、玄関で志保利に別れのあいさつをした。 「それじゃあ……。失礼します。」  蔵馬は、これで「最後」にしようと心に決めていた。 もう、志保利に会うのは、これで「終わり」だ。 志保利に言う最後の言葉が「失礼します」という事務的な言葉なのが辛いけれど。 でも、未来の志保利と話をして、自分の考えに間違いがなかったと確信した。 ―――志保利の記憶を消し、二度と志保利に会わない。―――  これは、一番正しい方法だったのだ。  蔵馬がドアに手をかけたとき、 「あの……!ちょっと、待って!」  志保利が蔵馬を呼び止めた。 蔵馬は振り返って志保利を見た。 「……あの…………。」  志保利は、下を向き、「あの……」を何回か繰り返した。 志保利は、蔵馬に何かを話そうとしていた。 しかし、言おうかどうか迷っているようだった。 「あの……さっきのお話なんだけれど……。」  ようやく、志保利は話を切り出した。 やはり言いにくいことなのか、おずおずと話し出す。 「私、あなたのお話を聞きながら考えてたの。何の根拠もないんだけれど……。」  志保利は、ここまで言うと一息入れた。 何故、ここで一息入れたのか。 これから言う言葉は、志保利にとって、心の準備が要ったからだ。  志保利は、怖かった。 もし、自分の直感が正しければ、今から自分が言う言葉は“真実”ということになる。 “真実”というものは、怖い。 志保利にとって、衝撃的なものになる。 その衝撃的なものを、志保利は今、自分の口から語ろうとしている。 勇気が必要だった。  しかし、次の志保利の言葉は、蔵馬にとっても、衝撃的なものになった。  しばらくして、志保利は、意を決し、その言葉を言った。 「あなたの言っていたお話……作り話じゃなくて、本当のお話じゃない?」 「さあて、じゃあ、オレもう行くよ。」  幽助は、努めて明るくそう言った。 「もとの世界に戻る方法のあてがあるのか?」 「いや、全然。」  本当にあてなんてなかった。 幽助は、雷禅に「もう行く」と言いつつも、どこに行くのかも考えてなかった。 でも、いつまでもここにいるわけにはいかなかった。 幽助は、雷禅とまた戦いたかった。力試しをしたかった。 しかし、それは、してはいけないことだろう。  また、過去にきて、雷禅に会って、すっかり忘れていたが、蔵馬のことが気になった。 一体蔵馬はどうなっているんだろう?  まずは、もとの世界に戻らないと話にならない。 あては全くないけれど、とりあえず、この国からは早く出ないといけない。  何故なら、長居すると離れるのが余計に辛くなるからだ。 「じゃあな。親父!!」  元気良くそう言って、幽助は雷禅に背を向け、部屋を出ようとした。 「ああ、またな。」  雷禅は、“またな”と言った。 雷禅の“またな”に、幽助は、反応した。思わず足を止めてしまった。  もう、雷禅と会うことはない。 これで「終わり」なのだ。 今度こそ、正真正銘、最後の別れ。  “またな”と言われ、幽助は、なんて言い返せばいいのか分からなかった。 ――もう、“また”はないのに……。  幽助は、黙って振り返り、雷禅を見た。 「本当に、何の根拠もないのよ。でもね、作り話にしては、あなた……すごく“真剣”に話していた。  それに、なんだか、あなたが話してくれたお話……他人事とは思えないの……。」  志保利は、なんとか冷静になろうと努めていた。 しかし、感情が湧き上がってくる。 熱い熱い感情が。 この感情はなんだろう?  志保利は、早口になりそうなのを必死に抑え、できる限りゆっくりと話した。 「……それで……それでね……、私がさっき言ったお話……私は“真実”だと信じてる。  つまり、私が言ったお話も“真実”。あなたが言ったお話も“真実”。」  志保利の声が段々震えてきた。 蔵馬の体も同じように震える。  蔵馬も怖かった。 志保利は今、“真実”に触れようとしている。 蔵馬が隠した“真実”があばかれるかもしれない!! 蔵馬は思った。  ―――今すぐ、この場から逃げないと!!!―――  しかし、体は、何故か動かなかった。 「私には、私が産んだ子供がいた。  でも、いなくなった。  何故?  しかも、私には、その子の記憶がなくなっている。  何故?」  志保利の顔が、泣き顔に変化していった。 「もし、あなたが言ったその妖怪と私が産んだ子供が同一人物なら……。  全てつじつまが合うわ……。」  志保利の目が大きくなる。 口調に勢いがついてくる。 抑えがきかなくなり、早口になる。  蔵馬は志保利から目線をはずせなかった。 何もしゃべれなかった。  志保利は棒のように突っ立ったまま、しゃべり続けた。 「どうしてそう思うのか、私も分からない。  でも、でも……。  私の子が姿を消したのは、その子が妖怪だから。  そして、私にその子の記憶がなくなったのは……、その子が私の記憶を消したから。  妖怪って、人の記憶を消すことができる能力があるのかどうかなんて、分からないけど。  でも、そんな能力があっても、不思議じゃないわよね?」  志保利の目に薄っすらと涙が生まれた。 「全部、私の直感よ。他の人が聞いたら、こんな現実離れなことないって笑うかもしれないけれど……。  でも、つじつまが合うわ。私の直感……すごく、つじつまが合う。  私の直感が当たっていたとしたら……その妖怪のお話をしてくれたあなたは誰?」  涙の量が、どんどん多くなった。 志保利はボロボロと泣き出した。 「私、不思議に思ったの。  どうして、あなたは、私のお話を申し訳なさそうな顔をして、聞いてくれたの?  またまた通りかかった他人が、私のお話を聞いて、そんな顔するかしら?  それに、どうして、あなたは、私に、その妖怪のお話をしてくれたの?  どうして、あなたは、その妖怪について、そんなに詳しいの?」  志保利は、泣きながら、少しずつ蔵馬に近づいた。 「……まるで、自分のことみたいに……詳しい……。  もしかして……その妖怪というのは…………あなた…………の……こと……?」  逆に、蔵馬は、後退した。 背中がドアにぶつかった。 蔵馬は、震えが止まらなかった。 (それ以上……、それ以上は、言わないでくれ……!)  しかし、志保利は止まらない。 「もし、そうだとしたら、あなたは……あなたは……。」  本格的に泣き出したので、志保利は上手く話せなかった。 それでも、必死に、必死に……、精一杯の力を振り絞って、 志保利は、言った。 「あなたは……私の……子……。」  バタンッ!  気が付いたら、蔵馬はドアを開けて走り出していた。 今まで動けなかったのが嘘のようだった。 蔵馬は、弾けたように逃げ出した。 「ま、待って!!!」  志保利は、履物も履かずに蔵馬を追った。 外は、雨が降っていた。 すぐ目の前には、蔵馬が走っている。 必死に追う志保利。  今、ここで蔵馬を逃がしてしまったら、志保利は一生自分の子供のことを 思い出せないと本能的に悟っていた。  しかし、目の前にいた蔵馬が段々と遠ざかる。  志保利は力の限り走った。 でも、追いつかない。 そのうち、志保利は、転んでしまった。  待って……。 置いていかないで……。 独りにしないで……。 「待って……!!」  あの子は、妖怪なんだ。 だから、私から姿を消したんだわ。  私はさっき、自分の産んだ子供が妖怪だったら、 ショックを受けると言った。 生きていけないと言った。  私がそう言うと思ったから、あの子は、私の記憶を消して、どこかに行ってしまったんだ。 私を不幸にしないために!!  でも、あの子は、肝心なことを言っていない。  あの子は、「残忍な妖怪」の話しかしていない。 そりゃあ、自分の子供が「残忍な妖怪」ならショックを受けるに決まってるじゃない!!  あの子は、私を母親と慕ってくれている。 私のことを考えてくれてる。 私のことを想ってくれている。 だからこそ、私から姿を消したのでしょう?  ねぇ……、どこが「残忍な妖怪」なの?  確かに、自分の子供が人間じゃなくて妖怪でした――と分かったら、 「残忍」じゃなくても、ショックを受けると思う。 でも、目を閉じて思い出すのは、“幸せだったという想い”。 私の“幸せ”には、あの子が必要なのよ。 この“想い”が何よりもの証拠。  あの子は、間違っている。 私は、自分の子が人間だからといって、愛するわけじゃない。 妖怪だからといって、嫌いになるわけじゃない。  “あなた”だから、こんなにも愛しいのに。  だから、お願いよ、行かないで。 お願い、私を置いて行かないで……。 お願いよ、お願いよ、お願いよ!!  しかし、蔵馬はどんどん遠くなる。 「待って、行かないで!!」  志保利は、立ち上がり、追いかけようとした。 しかし、雨で滑りやすくなっているためか、また転んでしまった。 涙と雨で顔がビショビショだった。 「待って!!待って!!待ってぇ!!!」  志保利は、叫ぶ! でも、蔵馬は止まらない。  志保利はふと思った。 あの子の名前は? 何ていう名前だったかしら?  あの子を呼び止めないと!    名前、名前、名前……。 あの子の名前よ……!! 思い出して!!思い出してよ!!  ……駄目……、『秀一』しか思い浮かばない……。 (ここでいう『秀一』とは、志保利の再婚相手の息子のこと)  志保利は、転んだままの姿で、茫然と蔵馬の姿を見ていた。 蔵馬の姿は、もう小さかった。  誰か助けて……。 誰かあの子を止めて……。  このままあの子を行かせてしまったら、あの子も寂しい人生を送ることになるんだわ。 あの子……なんて悲しそうな顔をしていたんだろう。 あなたは、一生、そんな顔をして、生きていくの?  でも、私の足じゃ、あの子に追いつくことはできない。 あの子の名前も思い出せない。 どうすればいいの?  ―――誰か助けて!!―――  そんな時、志保利の脳裏に2人の男性の声が聞こえた。 『志保利。』 『志保利さん。』  志保利は、大きく目を開けた。 2人の男性の言葉は、段々と鮮明に蘇る。 『志保利。この子の名前考えたんだけど、』 『志保利さんの息子さんと僕の息子は同じ名前なんですね。』  志保利の視界から、とうとう蔵馬が見えなくなった。 その瞬間――! 『志保利。この子の名前考えたんだけど、“秀一”はどうだい?』 『偶然ですね。志保利さんの息子さんと僕の息子は同じ名前なんですね。  僕の息子も“秀一”っていうんですよ。』  志保利の想いが、涙と一緒にあふれ出た。 「秀一ぃぃぃぃぃぃ――――――――――!!!!!!!」  志保利の声は、辺りに響き渡った。 志保利は、大きな声でわんわんと泣いた。 泣いて泣いて泣いて……。 とても、涙を止めることはできなかった。  やっと、思い出せた。 秀一。 私の子――秀一。 ずっとずっと、あなたを想い続けてきた。 思い出せなくても、想い続けてきた。 長年、記憶にもやがかかっていた。 今、ようやく記憶が晴れた。  ああ、でも、もう少し、早く思い出したかった。 あの子は行ってしまった―――。 きっと、あの子は、もう戻ってこない。  志保利は、雨の中、道端でうずくまり、延々と泣き続けた。  雷禅も、幽助を見た。  こいつ(幽助)は、絶対に知り得ない。 雷禅は、先ほど幽助の様子からして、そんなに遠くない将来、自分には死が待っている と感付いた。  だが、いいのだ。後悔はしていない。 幽助にも言ったが、これが、自分らしい生き方なのだから。  遠くない将来、待っているのは、「死」だけではない。 「希望」も待っていた。 未来から来た息子に会ったことで、それを知った。  会えるのだ。オレが生きている間に会えるのだ。 ――あの女とオレの子供に。  そのことがどんなに救われることか。  あの女の生まれ変わりに会えることなど、不可能に近かった。 そんなことは、人間を食べるのを止める決意をする前から、分かりきっていた。 それでも、断食を決意したのは、不可能に近いだけで、不可能ではなかったから。 あきらめたくなかった。 あの女に再会できる望みを捨ててしまったら、生きる意味がなくなってしまうと思った。  自分の体のことだ。言われなくても死期が近づいていることくらい分かる。 あきらめたわけじゃないが、女に会える可能性はどんどんなくなってきていた。 そんな時に、未来からお前(幽助)が来た。  お前は、きっと気付いていない。 あの女に会うことも不可能に近かったが、 お前に会うことも同じくらい不可能に近いことだったということを。  オレがどんなに嬉しかったか、お前は絶対に知り得ない。  お前は、オレが悔やむことなく真っ直ぐ生きてきた「証」なのだ。  今度、お前が魔界に来たときは、真っ先にオレがお前を見つけてやろう。 オレのことを知らないお前に、オレの存在を気付かせてやるよ。  その時まで―――「またな。」  幽助は、目を大きく見開いた。 雷禅は、笑っていた。静かに。優しく。 そんな表情をする雷禅を、今まで幽助は見たことなかった。 “初めて”雷禅が「親」に見えた。 今、雷禅は、何を想っているのか。 幽助には見当もつかなかった。 けれど、幽助は、その「想い」が自分に向けられていると感じた。  今更だけど、実感した。 自分と雷禅は、“親子”なのだ。 決して変わることのない事実。  当たり前のことが、今、初めて分かった。 幽助は無性に嬉しくなった。   「おう!またな!!」  幽助は笑顔で雷禅の“またな”に“またな”と答えた。 幽助は、部屋を出た。 振り返らずに前だけを見て、走って雷禅の国を出て行った。   ここで雷禅と別れたからといって「終わり」じゃない。 ずっとずっと続くのだ。 幽助と雷禅との関係は、「終わり」を知らない。  幽助は、雷禅と1年間戦ってきて、1度も雷禅を殴ることはできなかった。 いつか、雷禅に追いついてやる、いや、追い越してやる! 1年間、そう思って、修行してきた。   その気持ちは今も変わらない!これからも親父が目標だ! 絶対に追い越してやる!!全盛期の親父を……。  そんな想いを込めて―――「またな。」  志保利は顔を上げた。 そこには、志保利と同じように、雨でビショビショに濡れた蔵馬がいた。 「……なんて…………言ったの……?」  蔵馬は、呟くように言った。 声は震えていた。 「秀一って……聞こえた……。」  蔵馬は、座り込んだ。  蔵馬は、志保利の元に戻るつもりなんてなかった。 しかし、志保利に“秀一”と呼ばれ、勝手に足が止まった。  今、母さんは、オレのことを“秀一”と呼んだのか? そんなまさか……。 記憶を消したんだぞ? でも、“秀一”と聞こえた。 空耳だろうか?幻聴だろうか?それとも……。 いや、きっと幻聴だ。そうに違いない。 もう一度でいいから、母さんに“秀一”と呼ばれたい――と心の奥底で願っていたから。 だから、そんな幻聴が聞こえたんだ。   でも、でも……。  本当に幻聴?  幻聴かどうか確認したくなった。 だって、もし、幻聴じゃなければ……、母さんが“秀一”と呼んだことになる。 それは、つまり……。  しばらく経って、蔵馬が走ってきた道を戻ると 志保利がうずくまっていた。 「秀一……秀一……」と泣いていた。  幻聴じゃなかった。  どうして? 夢幻花の花粉で消した記憶は、そう簡単には戻らない。 なのに、どうして、記憶を取り戻したのか?  志保利は、蔵馬に勢いよく抱きついた。 「秀一、秀一、秀一!!秀一ィ――!!!」  また、志保利は、声を上げて泣いた。 「もう、どこにも、行かないで!母さんを独りにしないで!!  私は……私はね……秀一がいなかったら……絶対に幸せなんてなれないんだから……。」  志保利は、記憶をなくしても、蔵馬を想い続けてきた。 だから、記憶を取り戻すことができたのだ。  蔵馬も志保利を強く抱きしめた。  “秀一”と呼ばれることなんて、もう2度とないと思っていた。 でも、今気付いた。 母さんに思い出してほしかったんだ。“秀一”という名を。 そして、また“秀一”って呼んでほしかったんだ。  だから、オレは、おとぎ話だとごまかしながらも、真実を母さんに話さずにはいられなかった。 また、母さんが真実の核心に触れてくるまで、オレは、母さんから逃げることができなかった。  オレの本当の願い。 それは、「帰る」こと。 自分で母さんの記憶を消したというのに、なんて勝手な願い……。  でも、心のどこかで、もう1度母さんに“秀一”って呼ばれたら、帰ってもいい気がしたんだ。  蔵馬は、ふと幽助の言葉を思い出した。 ――“自分”独りじゃ、絶対幸せにはなれねーよなぁ。 ――“相手”の幸せがあって、初めて“自分”が幸せになるんだろうなぁ。  幽助……。 オレ、帰ってもいいのかな? オレは今、初めて、帰ってもいいのかもしれないと思った。  帰りたい。 帰りたい。  ―――オレは、帰りたい。―――  志保利は、ずっとずっと泣き続けた。 こんなに泣き続ける志保利を、蔵馬は初めて見た。  蔵馬は無性に母親に対して、申し訳なさで胸が一杯になった。 声を震わせながら、蔵馬は言った。 「ゴメン……。母さん。」  志保利は、蔵馬の“母さん”という言葉に反応し、蔵馬の顔を見た。 蔵馬の顔は、志保利と同じように濡れていた。蔵馬は、また申し訳なさそうな顔をしていた。 そんな蔵馬を見て、志保利は、涙を流しながら、優しく微笑んだ。 そして、再び蔵馬を強く抱きしめながら、言った。 泣いていたから、志保利の声は、小さかった。 雨の音が、うるさかった。 しかし、蔵馬は、はっきりと志保利の言葉を聞き取れた。  ―――おかえり。秀一。―――
【あとがき】 第29回は、どちらかというと、「幽助編」という感じですね。 第30回は、どちらかというと、「蔵馬編」になると思います。 そう!つまり、次回がクライマックスです。(最終話じゃないですよ。) 第29回は、幽助&雷禅親子のお話でした。 正直、雷禅もよく分かりません。だって、すごく出番が少ないんですもの……;;; でも、きっと幽助にそっくりなんだろうなぁと思って書きました。 いや、正確には、幽助「が」そっくりなんでしょうけれど……。 雷禅が死んで、幽助には悲しむ時間もなかったのですが、 でも、どれだけ悲しかっただろうかと思います。 幽助は、戦うことで相手を知るタイプで、きっと雷禅もそんなタイプなのでしょう。 だから、戦う度にこの2人は、無意識のうちに親子の絆を感じていたのでは?と思うのです。 でも、戦う度に雷禅は弱っていく。 当然、幽助は、雷禅が弱っていく様を感じとっていたと思います。 たまらないなぁと思うのですよ。 そして、幽助は、雷禅が死んでも、北神達の前で、悲しむ仕草をするわけにはいかなかったし、 これからの魔界について、色々行動していかなければならなかった。 なかなか大変な時期を幽助は過ごしたのに、原作では、さらっと流されていたので 今回、「青い鳥」で、幽助と雷禅を書いてみました。 【だが、“話しておきたかった”のである。】 どうして、蔵馬が、志保利に事実を話したか分かりますか? 前回、志保利の想いを聞いたからです。 今回、ほとんど、懺悔に近い思いで、蔵馬はしゃべってます。 しゃべってる時、蔵馬は、無感情で無表情なのですが、 気持ちの奥底では、志保利に対して申し訳ない気持ちでいっぱいなのです。 【じゃあ、話は早い。そういうことだ。お前には関係ない。】 幽助が何を言おうとしていたか、気付いた雷禅が言ったお言葉。 「食事しない理由は、お前(幽助)が知っているとおりだ。  オレが勝手に食事しないだけ。その結果、死ぬだけだ。   お前が気にすることじゃないよ。」           という意味です。 でも、普通気にするぞ……;;;と思うのは私だけでしょうか? こういうところ、雷禅と幽助そっくりです。 第30回はクライマックス……なんですが、すごく書きにくい回でした。 「蔵馬編」というより「志保利編」っていう感じでしたね(笑) これを書きたい!!――というのはあったのですが、 いつも言ってるような気がしますが、志保利さん……私にはあなたが分からない;;; だから、第30回は非常に時間がかかり、何回も直したりして、妙に疲れた回でした。 蔵馬さんには、「記憶戻らないでほしい」と「記憶戻ってほしい」の2つの気持ちがありました。 だから、今回志保利から逃げなかったり、逃げたり、はっきりしない行動をとってたわけですね。 でも、志保利に“秀一”と呼ばれたことから、ようやく1つの気持ちにたどり着くことができたんです。 最後に第30回を書いてて思ったこと。 【過去にきて、雷禅に会って、すっかり忘れていたが、蔵馬のことが気になった。】 とありますが、思い出すだけでも偉いと思うぞ、幽助! 蔵馬の方は、幽助がどこかに飛ばされたなんてこと、すっかり消え去っていますから(笑) 幽助が出した条件なんて、もはや忘却の彼方といったところでしょう(笑) このお話の感想メールお待ちしております。
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