インデックスに戻る

<出産体験記>

4.)初産 〜兄ゼブラの場合〜

2001/8/18生(予定日:2001/8/15) 
分娩時間:約12時間 出産体重:2980g 天候:台風 

am 5:30 予定日から3日過ぎた明け方、腹痛で目覚める。いつもと違い下腹部が下痢や生理痛のように痛むが10秒くらいで去って行く。時間を計るときっちり20分間隔。「あぁ、これはきっと陣痛だわ」
本能的に察する。そのまま布団のなかでしばらく様子をみることにする。
am 7:00 トイレに行く。「うわ、これが”おしるし”なのね」
am 7:30 陣痛を確信して病院に電話する。初産なので9時まで待って外来で診察を受けるよう指示される。
am 8:30 旦那様の運転で病院へ向かう
am 9:30 外来で診察。「陣発です」ということでそのまま入院。いよいよ始まるのね〜。ちなみに子宮口は1.5センチ開。医師から「初産なので子宮口を柔らかくする注射を打つが、これが効けば今日中に生まれる。効かなければ明朝までかかる。」と説明される。どっちにしろ先の長い話だ。
am 10:30 入院窓口に行っても陣発ラッシュらしく誰も居ない。待たされたあげくに病室が空いていない為、いきなり陣痛室(*1)に入れられる。となりでは2日前から陣痛に苦しむ初産の人。カーテン越しに苦痛のうめき声が聞こえる。
am 11:30 旦那様、一時帰宅
pm 12:00 昼食を出される。朝食を満足にとっていなかったのでかなり空腹。ぺロッと完食して自分でお膳を下げに行く。この時点ではまだ余裕。雑誌を読んだり病院内を散歩したりして過す。
pm 1:45 診察。どうやら知らないうちに破水していたらしい。子宮口が4センチ開。陣痛は5分おきで結構痛くなってきた。深呼吸をしてしのぐ。
pm 2:30 陣痛が3、4分おきになり、痛みも本格的になってきた。事前にもらっている「出産の過程」を参考に呼吸を深呼吸から「ヒ、フー」にかえてみる。
旦那様が来て「どう?」
答えるどころではないので部屋から出てもらう。
pm 4:30 陣痛の間隔がドンドン狭まってきて1分間隔に。なんだか骨盤のあたりがミシミシして腰がぬけそうに痛い。なんだこりゃぁぁぁ!!!!この痛み尋常ではない。「ヒ、フー」で追い付かないので「ヒ、ヒ、フー」に変更。
pm 5:30 陣痛が1分続くようになる。合い間の1分でなんかとても回復できない。ナースコール。忙しいらしくなかなか来ない。来たと思ったら「あら、大丈夫。まだ顔が余裕よ。間隔の間もいきみたくなったらまた呼んでね〜」と言い残すとバタバタと走り去る。ウソだろーーーーーー!
pm 6:00前 やばい、もう死ぬ。絶対死ぬ。骨盤砕け散るに違いない。ナ−スコ−ル。「ホントにもうダメですぅぅぅぅ」(なにがダメなのかは本人にもわからない)
pm 6:00 助産婦の婆さん登場。「はい、ベッドに寝て!」
実はここまでベッドの横にあった陣痛椅子という木馬のような椅子に座っていたまま動けなくなっていたのだ。とてもベッドになんか移れませんーー。
私:「む、無理ですぅぅぅ」
婆:「寝なきゃ診れないでしょ!早くしなさい!」
どうやってベッドに移ったかは覚えていないが、婆は診た瞬間に
「ありゃ、だめだこりゃ」。
なにがダメなのぉぉぉ?まだ我慢するのぉぉぉぉ?とにかくもうこれを極限と言わずしてなにを極限というのだろうって感じ。マンガで悶え苦しむ人が「うおぉぉぉ」ってプルプル震えながら両手を挙げる描写があるでしょ。あれ、ほんとよ。痛くて息も満足にできない状態になると人間、神に助けを求めて空を掴むのよ。
呻いているうちに看護婦に抱えられ車椅子に乗せられて分娩室へ。どうやらもう赤児の頭が見えていたらしい。
pm 6:10(多分)
分娩室へ

 今日は出産ラッシュ。分娩室前で苦しむ産婦の長蛇の列をごぼう抜きにして分娩室へ。あぁ、これでようやく産めるのね。と救われる思いもつかの間。なんと台上にはまだ出産し終わったばかりの人がぐったりして寝ているではないか!マジかよ?!
 入口で婆に「はい、ここで立って待っててね」と言われるが立ってるなんて絶対無理ーーーー!痛くてしゃがみ込んでしまいそう。「こ、ここに、す、す、座ってもいい?」悲鳴のように聞くとすんごい冷静に「あんた今しゃがんだら
出ちゃうわよ」と睨まれた。入口のドアに掴まり、じたんだのように足踏みして半分泣きべそかきながら分娩台が空くのを待つ。その姿、まさにオモラシしそうな小学1年生。先客もフラフラしながら一生懸命降りてくれようとしている。ありがとーー!たのむよーーーー!

 ようやく分娩台に乗る。階段を2段くらい登らなきゃいけないはずなんだけど、どうやって登ったか全然覚えていない。
ごぼう抜きで割込んだ為になんの準備もできていないので名前から聞かれる。極限状態のなかでこれはかなりの拷問。
婆「あなたお名前は?」
私「ぜぶらですぅ(絶叫)」
婆、カルテを探しながら「ぜぶら、ぜぶらっと。あら2人いるわ。下のお名前は?」
私「ぜぶら妻ですぅ(絶叫)」
婆「あ、あったあった。」
カルテを見つけるとこんど医療器機の交換。この間20分間分娩台の上でほったらかし。
「いきみたいでしょ。好きに息んでいいわよ」って言われたってわかりませーーーん!たすけてーーー!

 やっと準備が整って助産婦と看護婦が周りに集まってくれた。2回息むと婆が「先生、生まれます」と内線をかけた。おいおい、もう生まれるのかよ。
医師が来て切開。確かにバチンとすごい音がしたけど陣痛に負けて痛みなんか感じない。すげー話だ。
再度息む。その時、これ以上は私はもうできないと思った。これが限界。
ところが婆は「ほらもっと力入れて!
さぼっちゃダメよ!!
私、耳を疑う。本気で言っているのか?これ以上圧力がかかったら多分私の身体は二つに裂けると思う。もう無理です。なんでもいいからひっぱり出してくれ。精も魂も尽き果て意識が遠のきかけたとき、「しょうがないわね!」と看護婦が私のみぞおちの辺りに両手をついてジャンプした。
二ョロ!
とした感覚がした。「出たのか??」と我に返ると、婆に「まだ肩が残ってるわよ!あとは自分で出しなさい!」と叱咤され最後の力を振り絞って息む。うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉお。
出た。
「はーい、生まれました。元気な男の子ですよ」「おぎゃー、おぎゃー」
婆の声の後ろの方で産声が聞こえた。
18:58だった。は〜、生まれたのかぁぁぁぁ(脱力)

 後産の処理が終わると、旦那様が分娩室にやってきた。
「おつかれさん」とか「ごくろうさま」とか言われたような気がするが定かでない。それよりも「ど、どうしたの?すごい震えてるよ」とびっくりした彼の顔をよく覚えている。そう、全身がガタガタと大きく震えて長いこと止まらなかったのが印象的だった。

pm 7:30
病室へ

本来ならば産後2時間は分娩室隣の回復室というところで安静にして様子をみるのだが、この日はてんやわんやで産後すぐに車椅子で病室へ移動。「なにかあったらナースコールして下さい」って言われても、身体はヘロヘロで寝返り一つうてないんですけど。。。ぐったりして返答もままならないわたしをおいて看護婦は駆け足で去って行った。

2時間くらい休んでようやくなんとか持ち直すと
「うー、喉乾いた。腹減った。でも食べるもんなんかなーい。」
仕方がないので壁をつたい歩きしながら自販機までジュースを買いに行った。こんなことなら入院する前にコンビニでバナナとかヨーグルトとか食べやすいもの買い込んでおけばよかった、と後悔。
そして翌日からは新米ママ研修の日々が始まる。「これ、身体はもとに戻るんだろうか??」と不安になった。

産後  「産後床上げ21日」というけれど本当に万年床から立ち直るのにひと月かかりました。
(1)切開&裂傷したうえにさらに息んで脱肛もしちゃったので痛くてとても座れない。ドーナツ座ぶとんは欠かせません。抜糸も痛いしね。
(2)骨盤と尾てい骨。胎児が通過したお陰で腰回りの骨がガクガクに。
(3)子宮の収縮。普段卵程度の大きさの子宮が臨月には直径30センチ以上に拡大。これが元の大きさに戻る痛みってのがあります。下っ腹痛いよぉ。
(4)母乳が出るようになると胸が張って痛い。たしかにバストサイズはアップはするけれど豊乳などという美しいものにはほど遠く、乳腺がいっぱいになって岩のようにゴツゴツします。痛くて腕もあげられない。これは赤児に飲んでもらうか搾乳しないといけないんだけど放っておくと炎症を起こして高熱が出たりします。
 ほんと、産後がこんなに痛いことだらけだとは知りませんでした。安直に「産んだらスッキリ!」なんて思っていたけどとんでもない。そしてこのボロボロの身体に鞭打ちながら24時間泣き声とオムツ替えと授乳に追われる生活が始まります。ここから3ヶ月間くらいは満足に睡眠がとれた日がほとんどなくて「あー、2時間続けて寝てみたいーーー!」が最大の願い。今にして思えばたったの3ヶ月なんだけどあの時はこれが永遠に続くのか。。。と気が遠くなりました。
1人目の出産はこんな感じでした。まさに未曾有の世界。聞きしにまさる壮絶さ。で、こーーーーーーんなに苦労して産んだ長男ももうすぐ3才。反抗期真っ盛り。生意気な口を叩く度に「あんな思いしてこの世に出してやったのにぃぃ!」と怒るわたしでありました。

インデックスに戻る